これまでの経験から、ただ 闇雲に 歩き回っていても 

時間の無駄に なってしまうだけだ、と思い

行きついた答えは 多くの、出会いを求めている人達と 

同じ様に、ネットの世界でした。

 

 

フェイスブックも 満足に使えないので、

まずは 基本的な パソコンの操作方法から 学び直す為に

短い期間ですが、パソコン教室にも 通ってみました。

 

のどかな 住宅街の中にある、民家の様な 

落ち着ける 空間で、大人だけでなく、20代の 

若い人や 小学生達も いっぱい 来ていました。

 

ツイッターや ブログの 基本的な使い方を 

一から 学び始め、詳しい内容は 

自分で、分厚い解説本を 購入して

カーテンを閉め切った、アパートの部屋の中で 

キーボードを 打ち続けていました。

 

 

このパソコン教室では、休憩時間になると

他の 学びに来た方達と テーブルを囲んで、

紅茶を 頂きながら おしゃべりをして 

交流ができるので、心の安らぐ時間でもありました。

 

80代くらいの お爺さんや、20代の

きれいな女性もいて、これも 人と出会っていくための、

一つの きっかけなんだな… と 参考にしていました。

 

まずは ブログから 初めてみようと 決心して、

小学校を 卒業してから あまり 文章を書いた事が 

なかったので、どうしても 子供の作文の様な 

文章に なってしまいましたが 12歳から 

経験してきた事を ひとつひとつ 書き綴っていきました。

 

 

ある日、僕のブログに 「いいね!」 を 

付けてくれた人の中に 出版サポートサービスを 

されているという方が いたので

気になって、メッセージを 送ってみました。

 

あまり 耳にした事がなかったのですが、

電子書籍 という、パソコンの画面や スマホでも 

いつでも 読むことができる、新しい形の 出版物でした。

 

普通に 紙の書籍を発売すると、出版費用だけで

数百万も かかってしまい、

売れ残ると ほとんどが 赤字になってしまいます。

 

 

電子書籍だと 費用は低額で、

その方の 出版サポートサービスだと、

2、30万円ほどで 発売できるとの事でした。

 

僕は しばらく 考え込んでから、多少、

費用が掛かってしまっても、このまま 何もできずに 

ずるずると 月日だけが 経ってしまう方が 

経済的にも 良くない、と 結論を出して 思い切って 

「 電子書籍を出版してみたいです、」 と 

メッセージを 送りました。

 

少しでも たくさんの人達に 僕の闘病記を 

知って頂くためには 「 書籍 」 は 

もっとも、有効な手段だと 思ったのです。

 

 

指定された口座に 料金を お支払いした後、

これで もう 後には引けない、と 覚悟を決めて

さっそく パソコンの画面に向かい合って、

キーボードを 打ち込み始めました。

 

ですが、思っていた以上に 作業は 難航していきました。

 

12歳から ほとんど 文字も 文章も 

書いた事がなかったので 物語の書き方も 

よく分からず、難しい漢字も 読み書きができずに 

すぐに 頭を抱えてしまいました。

 

目の痛みの障害なので、5分ほど、パソコンの画面を 

見つめていると すぐに 目が痛くなってしまい、

その度に 執筆作業を 中断して

ベッドに 横になって 休んでいました。

 

 

僕は 文章を書く事すら、満足に できないんだ… と

無力感に 何度も 挫折しそうになっていました。

 

まず 僕がするべきことは、本の執筆よりも 

先に、自分は 12歳から 

人生経験を 積んでくる事ができなかった…、

子供で 成長が止まったままの人間だと 

僕自身が、素直に 自分を認めてあげる事でした。

 

無力な 自分を許してあげる事から 始めていったのです。

 

何もかもが 初めての 経験なんだ…。

どれだけ 情けなくても、失敗だらけでも 

いいじゃないか、と 下手な 文章を 書き綴りながら 

自分に言い聞かせていました。

 

 

僕は 20年以上もの歳月の間に、

いつの間にか 自分の弱さも 欠点も 

無駄に抗う事もなく 緩やかに受け入れて、

前向きな方向へと 繋げていく事が 

できる度量が、年齢と共に 身に付いていたのでした

 

出版 サポートサービスの方は

「松下さんの文章は 読みやすくて、読者の心に 

真っ直ぐに 伝わってくるので

このままで 大丈夫ですよ。 自信を持ってください、」 と

ありのままの 自分で 良いよ、と

僕を 勇気づけてくれました。

 

 

文章の合間に 僕が 今まで 

撮影してきた、風景の写真も 載せてみて

読みやすくなる様に 自分なりに 工夫していきました。

 

真っ暗な 部屋の中で 過去のトラウマの数々を

ひとつひとつ 思い起こしていく度に、

底の見えない、深い暗闇に 飲み込まれて行く様な 

絶望感を 味わっていました。

 

中学校の不登校から 始まって、

精神科を たらい回しに されてきた事、

姉の 母さんに 対する激しい暴力、

不良ばかりの フリースクールや 全寮制の高校生活…。

 

 

たくさんの 女性たちに 

「顔が気持ち悪い、キツネの様な 目つき、」 と

罵られ 続けてきた事…。

 

12歳の頃から 心を癒してくれる友人も 

そばにいてくれる 恋人も、

看病してくれる人も 誰もいなくて

数え切れないほどの トラウマの数々は、

何ひとつ 傷跡が癒えることなく

僕の心の片隅に、必死になって 閉じ込めてきたのでした。

 

その 約23年間分の トラウマを、ひとつひとつ 

取り出して 文章に 表現していくというのは、

心理的に 心を破壊されていく 拷問の様なものでした。

 

 

数ヶ月も かかって、やっとの想いで 

完成させると、僕の電子書籍を 見つけて 

読んでくれた人達から 連絡が来る様になりました。

 

僕と同じように 線維筋痛症で 苦しんでいる患者さん、

自分の子供を 心配するかの様に、

僕の事を 気遣ってくれる お母さん世代の女性達、

 

北海道の人達からも 数人ですが、メッセージが届きました。

宮城県からも、「私も 線維筋痛症と 闘っています。」 と 

メッセージを くれた子がいました。

 

長い時間が かかってしまいましたが、

希望の光が 射してきた気がしていました。

 

 

都築区にある、北部ユースプラザ( 若者の居場所 )には

片道、約一時間もの道のりが 大きな悩みになっていました。

 

ただでさえ 痛みがあるので、

長時間の移動は避けたいのに 横浜駅で 降りて、

人込みで ごちゃごちゃの構内を 通り抜けて

地下鉄に乗り換えて、閉鎖的な 空間の中

山奥にある ニュータウンまで 乗り続けて、

ようやく着いた時には もう ぐったりとしていました。

 

ユースプラザには 通ってみると、

明るい子や 冗談ばかり 言っている子もいて

みんなで カードゲームをしたり、おしゃべりをしたり、

それなりに 楽しい時間を過ごせました。

 

 

一番好きだった プログラムは 

月に 1、2回だけある、農作業でした。

スタッフさんの 車に乗って 畑のある場所まで 

移動して、野菜の収穫などを 体験できるのです。

 

畑を貸してくださる方も 僕と同じ 北海道出身の人で

北国らしく 大らかな人柄で、話も合いそうでした。

 

僕の書籍を読んで メッセージをくれた方々は

その後も 交流が続いていて、

たまに電話で お話ができたり、

お菓子を 送ってくれる方も いました。

 

横浜市に引っ越してから もう 一年が経過した頃、

出版サポートサービスの方が 紙の書籍も 

出版するサポートも 始めたと 教えてくれました。

 

 

僕は 一度、電子書籍も 発売しているので

特別価格で 割引された料金で 

作ってくれると お聞きして、これからの

未来への 必要最小限の投資だと思い、

紙の書籍の出版を お願いしました。

 

紙の書籍ならば、自分で 読んで欲しい人に 

手渡しして 次々に 回し読みして 

人から人へと、広がっていくと思ったからでした。

 

文書の書き方に 慣れてきた僕は、

電子書籍の 闘病記よりも、更に 文字数を 

大幅に増やして 修正作業も お願いしながら 

より 完成度の高い作品を 目指していきました。

 

 

これまでの 23年間もの月日に 起きた出来事を

何もかも 全て 書き綴っていたら

あまりにも 長文すぎるので 読んでくれる

読者の気持ちも考えて、できるだけ 

省略して 削っていきました。

 

3月9日に 紙の書籍は 無事に

出版する事ができました。読んでくれた方達からは 

最高の賛辞も 頂けることができました。

 

ひとつの物事を 成し遂げる事が 初めてできて、

僕は しばらく 休息を取る事にしました。

 

4月になり 待ち望んでいた 春の季節が巡ってくると

僕は 紙の書籍を 一冊だけ持って、長い間 

夢見ていた、僕にとっての 心の居場所へと向かいました。

 

 

15歳から 約19年ぶりになる、春の季節を 

一番 感じられる街へと 帰ってきました。

 

多摩センター駅に 降り立つと

想像していた通り、「 耳をすませば 」 の街は 

和かな 日差しと共に 僕をすんなりと、

子どもの頃みたいに 受け入れてくれた。

 

ニュータウンだからなのか、街並みには 

特に 大きな変化もなく 少し 中心部を

探索してみると 大きなデパートが建っていたり、

古い団地が 改築工事をしているみたいでした。

 

僕は ベンチに腰掛けて、リュックから 

分厚い紙の書籍を 取り出すと ページを開いて 

一行ずつ、ゆっくりと 読み始めました。

 

 

ずっと 恋しかった、爽やかな 春風を感じながら

「時間が掛かったけれど、

ようやく ここまで 来る事ができたよ。」 と

紙の書籍を 片手に持って、春の季節に 

包まれた、「 耳をすませば 」 の街に

感慨深く 語りかけていました…。

 

「 耳をすませば 」の ヒロインの女の子は

もし 本当に存在していたのなら、

もう 40歳頃の 立派な中年の女性に

なっていたはずだ…。

 

あれから どんな大人に 成長していったのだろうか。

 

 

あの頃と 変わらずに ピュアな 心のまま、

小説家を 目指し続けていたのだろうか?

 

仕事一筋の 堅物な人生を 送っていて

「 どこかに良い出会いは 転がっていないかな… 」 と

40代になっても そんな愚痴を 言っていたのかも…。

 

ごく 普通の主婦になっていて、子育てと 

家事の生活に 慌ただしく 追われながらも 

意外と すごく、充実しているのかも 知れない。

 

好きだった、天沢聖司くんの事は 

過ぎ去った 遠い過去の様に 記憶の片隅にあり

もう 何ひとつ、覚えていないかも知れない。

 

 

そんな 空想をしていると 楽しくもあり、寂しくもあり

時間は 瞬く間に 流れていきました。

 

いつまでも この景色を 眺めていたかった…。

 

のんびり 散歩していると、たまに見知らぬ、

お爺さんや お婆さんに 話しかけられる事がありました。

 

「 おととしに 北海道から来たのですが、

坂道の多い街は なかなか慣れなくて 大変です。 」と 

答えると 「 どうして 引っ越してきたの? 」 

「 お仕事は? 」 と 色々と 聞いてくれるので

「 実は、子供の頃から 少し 身体が弱くて

東京で お医者さんを探すために 

引っ越してきたんです。 」 と 簡単に お話しました。

 

 

「 そんな 苦労をしてきたの…。もし、また この辺りに 

訪ねてくる事が あれば、何か ご馳走するからね。 」

 

「 横浜市は 家賃が高いから もう少し、

大きな家で 暮らしていたら 空いてる部屋を 

貸してあげたのに…。 なんだか ごめんね、 」

 

などと、まったくの 初対面の僕に ほんの少しだけ 

事情を語っただけで これだけの心配を してくれるのでした。

 

「 そうか、今までは ごく一部の人間しか 

僕の 闘病生活は 知らなかったが

たくさんの人達に 12歳から 経験してきた事を

包み隠さず 正直に伝えると、もっと 

応援してくれる人は、現れるはずだ、 」 

と 目を見開いて 気づきました。

 

 

恐れることなく、これまでの経験を 

素直に語っていくべきだ… と 心は揺らいでいました。

 

「人生が不幸すぎて 関わりたくない、どっかに行け、」

などと 僕の存在を 否定する人達は 

こちらも 相手に しなければいい…。

 

100人の人達がいたら、その中の10人に 

味方してもらえれば それだけで 充分じゃないか…。

 

ボランティアセンターで 出会った お爺さんには

「この世界には 100パーセント、自分の理想を 

満たしてくれるものは ないからね。

 

 

100パーセントではなく 多少の事は 

妥協して、70パーセントくらいの理想で 

満足する事が大事だよ。」 と 教えてもらいました。

 

開発されたワクチンも 徐々に広まっていて

コロナの影響も 薄れていき、世間の人達も 

元の生活に 戻ってきている様です。

 

若者達が たくさんいる サークル活動も

もう そろそろ、活動を再開していくでしょう。

 

僕は 二月ほど前から、また パソコンの

画面に 向き合って これまでの経験を生かして、

新しい試みを 始めていました。

 

 

それは 僕の闘病記を 

もっと たくさんの方達に 知って頂くために、

この投稿記事も 載っている、

アメーバブログに 書き綴っていく…という事でした。

 

簡単な 自己紹介、誰でも 気軽に読めるように 

短い文章に まとめた闘病記、

 

詳しく 僕のこれまでの 経緯を 知ってもらう為に

長めの文章に 書いていった闘病記、

 

ご支援に ついて… など これまでの 

自分の気持ちを、誠実さを込めて、つらい過去に 

真っ正面から 向き合い、書いたものでした。

 

 

紙の書籍では 描き切れなかった、12歳からの 

数々の苦難の物語を ひとつひとつ、思い起こして 

より詳しく 書き綴っていった、

「 完全版の闘病記 」 も 描いてみました。

 

投稿記事の中にある、

「 春の季節を思い描いて。 」 という タイトルの記事です。

 

文字数は 紙の書籍の 2倍以上に、

なってしまいましたが 僕が 応援してくださる方達に 

本当に 伝えたかった物語を 

書き綴っていく事が できたかな… と 感じています。

 

 

とても 長い文章なので なんだか 

申し訳ないのですが、もし よろしかったら、

僕が 本当に伝えていきたい物語を

お時間がある時に、わずかでも

読んで頂けたら 心から 嬉しく思います。

 

「僕のブログを、もし お時間があれば 

読んで頂けると 嬉しいです。」 と 宣伝する、

内容を書き綴ってみた、2、3ページの

チラシの様なものも 作ってみました。

 

これなら パソコンや スマホで 

誰でも 自由に、簡単に 読む事ができるので

きっと 広まっていくのかな、と 期待しています。

 

 

その他にも 25ページほどの小冊子も 自分で作ってみました。

 

この小冊子も 誰でも 気軽に読める様に、

他に 20ページと 10ページのものも あります。

読んでくれる方達に、自分の想いが届く様に

何度も 何度も、手直しして 読みやすく 改良しています。

 

こうして ブログを書き綴っている 今も、

色々と 下準備のために 慌ただしく、作業をしています。

 

これからは 雪の降らない 暖かい土地で

人生も 一歩ずつ、あせらずに 

取り返していけたらいいな、と思っています。

 

 

23年間もの 苦難の日々を 乗り越えてきた分、

これからは 身体を ゆっくりと休めて

たくさんの 心優しい人達と 出会ったり、

支援や サポートを受けられたり、

そばで 温かく見守っていてくれる人に 巡り合いたいです。

 

きっと これからは 今までの苦労が 

報われていくと 信じています…。

 

ここまで 読んでいただいて、本当に ありがとうございました。