「 心の成長について。 」

 

12歳からの 永遠に続いていくかの様な、

長い闘病生活の中で 奪われていった 

心と身体の成長期に ついては 

ブログの 「 精神年齢について。 」 という記事に、

詳しい内容を 書き綴ってみましたので、 

お時間がある時に 読んで頂けたら 嬉しく思います。

 

このページでは、これまでの経過が 伝わりやすい様に、

短く まとめていった経歴を 載せていこうと思います。

 

 

「 12歳の頃 」

 

どこにでもいる、ごく普通の子供だった。

とにかく 体力には自信があり、身体を動かすのが 

大好きで 元気が良すぎるくらいだった。

 

いつも みんなの中心になって、騒ぐのが大好きで 

クラス活動や行事でも リーダーを務める事が多かった。

 

小学6年生の夏休み頃から 思春期になり始めて、

口数が 次第に少なくなり、周りの生徒達とは 

一定の距離を とり、目の前にある物事を 

どこか冷めた目で、遠くから 見つめる様になっていった。

 

放課後は 夕暮れの図書館で 

一人で 読書に浸る時間が 増えていった。

 

 

クラスの女子達を 異性として 意識し始めて、

仲の良い子にも あまり話しかける事が 少なくなっていった。

 

秋になると 舞い散る 落ち葉を見て、淋しい気持ちになったり

いつの間にか 人生の儚さを 感じ取れるように なっていた。

 

やんちゃだった性格は 控えめで 遠慮がちな、

大人しい人間性へと 急激に変わっていき、

もうすぐ 小学校の卒業式を 迎える時期だったので

心のバランスが 不安定になっていた気がする…。

 

4月、東部中学校に入学し、容姿について 

悩んでいた事もあり、小学生の時とは 

別人の様に 引っ込み思案になり、目立つことを嫌い、

他の生徒達に 遠慮ばかりしていました。

 

 

陰口を言われても、不良達に からまれても 

言い返す事もできず、ただ、下を向いたまま 

小刻みに震えているだけでした。

 

「 13歳の頃 」

 

不登校になってからは 勉強もできず、

何も 教育も受けられず、友達と遊ぶ事も 

会話をすることも まったく 無くなってしまいました。

 

静まり返った家の中で 時計の針が 

コチコチと音を立てて 進んでいくのを じっと見ているだけ…。

 

数ヶ月も経つと、時間の流れも よく分からなくなってきて、

一日も 早く、学校に戻らないと…、と 

ひたすら 叶わない願いを 想い続けていました。

 

 

「 14~15歳の頃 」

 

中学2年、3年生も 学校に登校する事が 

できなかったので、心と身体が 一番不安定な時期の、

義務教育を 何もかも 失ってしまいました。

 

思春期も 反抗期も ごくわずかな時間しか 

経験できなかったので、小学生の頃の思い出だけを 

心の支えに、つらい手術にも 耐え抜いてきました。

 

10代の頃は 一年、一年の月日が 成長期の

子供にとって、とても重要です。僕は この時点で 

すでに3年間も 貴重な時間を 失ってしまったのでした。

 

 

卒業式の数日前に 久々に 学校に訪れたのですが、

約3年間もの歳月、毎日 教育を受けて、

自由気ままに 友達と遊んで 中学校生活を

謳歌してきた 他の子供達は、僕よりも 

はるか 年上の大人達に 見えていたものでした。

 

「 16歳の頃 」

 

卒業式が終わった後は  内申点がないので 

地元の高校に入れず、東京の大都会の中を 

行く当てもなく、さ迷い歩いているうちに、

更に 一年間の月日を 無駄に失ってしまったのでした。

 

3年間も 人との関わりがなかったので

言葉の発音が 上手くできなくなり 

誰かと 会話する事も 出来なくなってしまいました。

 

 

9月には 母さんが亡くなり、僕は お葬式にも

呼ばれる事もなく 気付かないうちに 

両親の愛情までも 消えていった…。

 

16歳になっても 小学生の着る様な 幼い服装で

ダボダボのズボンをはいて、洗練されたデザインの 

高層ビルが立ち並ぶ 新宿の街中を 

汗を ダラダラと垂らしながら、自分が 今、

どこにいるのかも よく分からずに 

ただ、周りの子供達に 置いて行かれてしまう、 

あせりだけを感じて、無我夢中で 歩き続けていた。

 

難しい漢字は ほとんど読めず、

他人とのコミュニケーションも まったく取れない。

おしゃれな洋服を着たり、美容院に行き、

髪形を 格好よくしたい、とも まったく思いつかなかった。

 

 

「 17歳の頃 」

 

岡山の高校に 入学すると、同世代の子供達と

寮生活を過ごし始めたからか、

少しずつ 大人っぽい服装にしてみたり

香水を つけてみたり、中学校で 学ぶはずだった勉強を、

中学の参考書や 問題集を買ってきて、

授業の合間に ページをめくって 一つずつ 

頭に入れていったり…と 12歳から

経験できなかったものを 徐々に取り戻していきました。

 

高校に通ってると いうよりも、小学生以来の学校生活だったので

他の子供達より 4年間も遅れて ようやく、

中学生になった様な 気持ちで過ごしていました。

 

 

「 18歳の頃 」

 

北海道の高校に編入しても 体育会系の高校は 

自分には馴染めず また 岡山の高校で 

学校生活を送り始めましたが、この時には 

もう 線維筋痛症の痛みが 手遅れなほど、悪化していました。

 

授業も 痛みで出られなくなり、欠席日数だけが

溜まっていき、ほとんど 何も思い出もつくれずに 

貴重な学校生活の 月日が過ぎ去って行きました。

 

「 19~20歳の頃 」

 

最後の一年間も 日に日に膨れ上がっていく、

容赦のない激痛との 闘いの毎日でした。

ストレスと寝不足で 更に ひどくなり、

唯一の 高校生らしい思い出は、文化祭くらいでした。

 

 

北国に帰郷しても、大学に通う事もできずに 

また 自宅と病院を 往復するだけの生活が始まりました。

 

たったの一日も 遊べずに、たった一言の会話を 

できる相手もいない。20歳前後の若者は 

人生で、一番 遊びたい気持ちを我慢できずに、

刺激を求める 年頃です。

 

テレビドラマの様な 憧れのキャンパスライフ、

飲み会、合コン、サークル活動…。 

たった一度しか経験できない 青春の日々が、

大人になる前の 最後の学生生活が、

目に見えない痛みの障害によって 理不尽に 奪われていく…。

 

心と身体が 目に見えない、冷たいナイフで 

深く、深く、切り刻まれていく様だった…。

 

 

何も出来ずに また 一年間の月日が 過ぎていった。

 

「 20~23歳の頃 」

 

3度目の がんを再発し、最期は 自宅で

心不全を起こし、父さんまでも 亡くなってしまい、

ひとりぼっちで 寝たきりの生活になってしまいました。

 

いつの間にか 大学生活の4年間も 

気が付いたら 過ぎ去っていて 僕の学校生活は 

何もかも 終わりを告げてしまいました。

 

結局、学校に通って、教育を受けられたのは 

高校一年生の一年間と 2、3年生の わずかな月日だけでした。

 

この時点で、同世代の子供達と 共に過ごせた時間は、

12歳から たったの 一年間足らずのみでした。

 

 

他の恵まれた子供達は 大学卒業まで 

10年間も 教育を受けたり、青春の日々を 

自由に謳歌し、その後も 大学院に通ったり、

海外留学したり 何年も フリーターをして

親に甘えきっている子供も 星の数ほどいます。

 

「 23~25歳の頃 」

 

東京の形成外科で 難易度の高い手術を受けて、

顔を メスで切り刻まれるだけの日々が 

終わりがなく、いつまでも続いていく。

 

たった一言も 会話する相手もいなくて、

通院と 買い物以外の時間は ほとんど 

真っ暗な自宅のベッドで 寝たきりの生活でした。

 

 

高校生活の他の時間は 12歳から ほとんど 

自宅と病院の往復か、つらい手術や 治療に耐えるか、

痛みで寝たきりの状態でした。

 

思春期も 反抗期も、まだ わずかな時間しか

経験していませんでした。何かに反抗したくても 

ずっと ひとりぼっちだったし、両親は 二人とも 

早くに病気になったので やり場のない怒りを 

ぶつけたりなんか、できる訳がなかった。

 

姉の暴力から 母さんを守る事で、毎日 必死だった。

 

恋愛も 何も経験した事がなく、岡山の高校にいた頃、

4、5人の子と授業中に 短い会話を交わしただけだった…。

 

 

20代半ばになれば、もう 結婚したり、

赤ちゃんが産まれてる夫婦も いっぱい いるだろう…。

離婚を経験した人だって たくさんいるはずです。

 

恋愛どころか、女性を見て ドキドキしたり、

胸がときめいたり 好きになる感情も、2

5歳の大人になっても さっぱり 分からなかった。

 

いくら タイタニックの様な恋愛映画や テレビドラマを見ても、

現実では たった一人の女性と 出会える環境もない。

 

手を繋いで デートをしたり キスをしたり…。

僕には 手の届かない、別世界の出来事でした。

 

 

「 25~28歳の頃 」

 

20代後半になっても 自宅と病院を 行って、

帰って来るだけの日々は 何ひとつ 変化はなく、

それ以外の時間は ベッドの上で 痛みで 

身動きも ほとんど取れずに 寝たきりの状態のままでした。

 

人とのふれあいは、たった 一時間だけ 

様子を見に 訊ねて来る、訪問看護師さんだけ…。

 

自宅から 北広島駅まで 真っ直ぐに続いている 

線路沿いの遊歩道を ふらふらと歩いて、

同じ道を 往復するだけの むなしい月日でした。

 

途中に 寄り道できる場所も 何ひとつない…。

 

 

他には 知り合いも 連絡できる人も 

数人しかいないので、小学校を卒業してから 今日まで、

何回くらい 人と会話したかな…。と 墓場の様に 

静まり返った家の中で ぼんやりと思っていました。

 

自宅前の 広々とした公園で 放課後に集まって、

サッカーボールを蹴ったり、鬼ごっこをして 

はしゃいでいる子供達を 窓から そっと見つめながら、

「いいな…。一緒になって 遊びたいな…。」と

春の季節が終わって、夏がやって来て、

肌寒くなる 秋と冬の季節に 移り変わっても 

変わる事なく 思い続けていました。

 

サッカーも バスケットも、鬼ごっこも 

テレビゲームも 小学校を卒業してから 

まったくと言っていいほど 経験した事がなかった。

 

 

小学生の頃から、僕は 一歩たりとも、前に進んでいなかった。

 

相変わらず 子供のような服を着て、小さな頃の、

幸せだった わずかな記憶だけを 

心の支えに、やるせない日々を送っていました。

 

「 28~30歳の頃 」

 

30歳を過ぎても、お酒を飲んだことも タバコを吸った事もなく

オレンジジュースばかり 飲んでいました。

 

近所のスーパーに 買い物に行くと、店内を 

幼い子供を連れて 歩いている、20代、30代の

女性達を見かけて 僕よりも 年下なのに 

「 この人が 僕のお母さんに なってくれないかな…。」 と

無意識のうちに 思ってしまいました。

 

 

自分と同じ 30代の人達を見かけると

お父さん、お母さんの様に 僕には見えてしまうのです。

 

フェイスブックで 小学校時代の 同級生たちの

写真を見つけると みんな 子供と映っていたり、

大人の顔になっていたので 怖くて 

それ以来、見れなくなってしまいました…。

 

突然、約20年も 先の未来へと、タイムスリップして

しまった気分だった。一人だけ、子供のまま、

この世界から 取り残されている様な、

悲しい気持ちを いつまでも 抱えていました。

 

「 30~35歳の頃 」

 

闘病記にも 書かれている様な理由で、僕は自宅を出て、

北海道から離れて 新しい土地で 暮らし始めました。

 

 

15~16歳の頃、高校には 入れなかったので

どこにも 行く当てもなく、東京の 高層ビルに囲まれた、 

ネオン街の中を さ迷い歩いていた時と 変わることなく、

宮城県仙台市の街中を ふらふらと 歩き続けていました。

 

横浜市に 移り住んでから、これからは 

大人になるために ひとつずつ 

経験を積んでいかなければならない…と

ブログや 書籍を書き綴っていき、様々なサポートや 

応援してくれる人達を 探し始めました。