「 …人は 早く 立ち直ろうと、

自分の心を 削り取り、30歳までに すり減ってしまう。

 

 

私は 君たちの様な経験を できなかった。

何かが常に 私を抑えた、または妨げたのだ。

心も身体も 一度だけしか 手にできない。

知らぬうちに 肉体は衰え、誰にも 見向きもされなくなる。

 

今はただ、ひたすら悲しく 苦しいだろう。

痛みを葬るな。 感じた喜びも 忘れずに…。 」

 

                  「 映画  君の名前で 僕を呼んで 」 より。

 

学生生活を 失った悲しみを埋めるために、

たくさんの学園ドラマや 青春ものの映画を 観賞していました。

 

 

何百本という作品から、頭の中で 

好きな1シーンを 一つずつ選んで 並べて、

切り取ったフィルムを 上手く繋げて 編集していくみたいに 

思い描いた 理想の学校生活に、一本の映画作品を 

完成させるように ひとつひとつ、当てはめていきました。

 

高校時代の恩師、楠田先生と 

たまに 電話の やりとりをしていました。

 

父さんが 亡くなった時、僕の自宅まで 

会いに来てくれてから 脳梗塞で 倒れてしまい、

その後遺症で 左半身が麻痺する、重い障害を持ってしまいました。

 

「他の記憶は 忘れていっても

松下の お父さんの事は、今でも はっきりと

覚えているよ。本当に 息子想いの立派な人だった。」 

と そのような状態でも よく 語ってくれました。

 

 

自宅に こもりっきりの生活だったので 

すっかり 弱ってしまった、重い足腰を 

引きずりながら、慣れ親しんだ 通学路を歩いて、

小学校まで 向かっていきました。

 

この道を 歩いていたら 小学校を卒業してからの、

僕が送るはずだった、本当の人生に 

いつか たどり着ける様な 気がしていた。

 

この校舎まで 毎日、ランドセルを背負って 

通っていたのが つい 昨日までの事の様で

懐かしさも ノスタルジーも、まったく 感じられなかった。

 

当たり前の様に、玄関に 足を踏み入れると

突然、警報ブザーの音が 

ビー、ビー、と 校内に響き渡りました。

 

 

廊下の奥から 子供達が走って来て、

僕の周りに集まって 興味本位に ジロジロ見つめながら、

「お兄ちゃんは どこから来たの? 

この学校の人なの?」 と 聞かれました。

 

遅れて 走って来た、用務員さんらしき人に、

「この学校の卒業生なんです。久しぶりに 訪ねてきました。」 

と お話すると、

「この小学校も 何年か前に起きた、

大阪の小学校の事件の後、警報ブザーを取り付けて

不審者には 気を付ける様に 対策しているんです。

 

申し訳ないけど、生徒と 学校関係者以外の方は、

勝手に 入ろうとすると 

ブザーが鳴って、通報されてしまうんですよ。」

と 言われてしまいました。

 

 

僕が 不審者… 

つい最近までは 休むことなく 毎日、

この校舎に ランドセルを背負って 通っていたのに

ある日 突然、不審者は校内には入れない、と

追い返されてしまった…。

 

そのような 心境になり、心に受けた 

ショックは とても 大きいものでした。

 

グラウンドの フェンス越しに、 子供たちの 

楽しそうな 笑い声が聴こえる、6年間 

通っていた校舎を 名残惜しそうに 眺めていました。

 

校舎の中で 楽しく 過ごしている子供達は

これから 中学、高校… 大学生…、

と 大人への階段を 真っ直ぐに歩んでいけるんだ…。

 

 

みんな、置いていかないで…、

僕だけを 置いていかないで…。

 

錆びたフェンスを 両手で ぎゅっと掴みながら、

誰ひとり、僕の存在など 気付いていないのに

声にならない叫びを いつまでも 訴え続けていました。

 

もう 2度と 入る事の出来ない、

小学校の校舎は なんだか 寂しそうに見えました。

 

この頃から よく 不登校だった、

東部中学校の校門まで 散歩をしに 通っていました。

 

つい最近 入学式を迎えたのに、

本当は もう 18年もの歳月が経っていました。

 

 

3年間 通うはずだった 通学路を 

一人で歩いていて ふと 振り返ると、 

あの頃の 友達や 同級生たちが 

最後に見かけた時と 変わらない姿のままで

無精ひげを生やし 中年の姿で 立ち止まっている、

僕の横を 通り抜けて 校門に入っていく 幻影が 

はっきりと 目に浮かんでいました…。

 

朝の通学中、歩道に張った氷で滑って 転びそうになり

背後を歩いていた 上級生の女の子たちが

クスクス 笑って 恥ずかしかった事、

 

となりの席の、いつも 想っていた 

笑顔の可愛い 初恋の女の子。

 

 

短い間だったけど、一緒に活動していた バスケ部の仲間達。

ゆずの 「 サヨナラバス 」や ヒステリックブルーの

「 春 」が 昼休みに 校内で流れていた事…。

 

クラスメイト達との会話、これから 

新しい生活が始まる ワクワクしていた気持ち…

 

何もかも 全て、昨日のことの様に 覚えていました。

 

僕が 「 普通 」と呼ばれる 日常を過ごしていた頃。

顔さえ戻れば、僕は 元の人生に戻れる。

 

みんな、あの頃のままの姿で 校門の前で 笑顔で 

僕を 「 おかえり 」 と迎えてくれる…。

 

そんな事を 虚ろな目で、いつまでも 想っていました。

 

 

…長い廊下の先にある 通い慣れた教室から

親しい人との別れと 新たなる 旅立ちを歌った、

卒業ソング 「 3月9日 」 を 歌っている、

クラスメイト達の合唱が 聴こえてくる様になりました。

 

あれは 僕を、春の世界から 

送り出すために 歌ってくれているのだろうか…。

 

次第に 校舎から生徒たちの姿が 少なくなっていきました。

 

人気がなく ゴーストタウンの様に

静寂に包まれた、体育館や グラウンドには、

ボールだけが残されていました。

 

曲がりくねった 桜並木の通学路を 歩いていても

どこからか 指先に、冷たい冬の冷気を感じていました。

 

 

もうすぐ 春の世界とも お別れが 近づいていました…。

 

 

             「 蛍光灯の先 」

                      ゆず 作詞作曲 岩沢厚治

 

「 いつの間にか普通になって そして 誰もいなくなった。

あんなに 何度も叫んでいたのに…。

 

もう 思い出せるはずもなく 思い出す事も

ないんだろう…。 どこへ行く 希望の声

 

僕は どこかへ 行こうとして 

僕は どこへも 行けなかった。

いつもより 高い空に 風が走る…。 」

 

 

…もう、淡い桜色に 染められた風景は 

どこにも 見えなくなっていた。

 

僕は 冬の世界から 一生 逃れられない。

 

僕を 長い年月、桜並木の下で 待っていてくれた 

すみれも 次第に 遠ざかり いつしか消えていった…。

 

一言も 別れの言葉もなく ただ 寂しそうな

表情を 浮かべて、いつまで経っても 

幼い子供のまま 年齢だけを 無駄に重ねていく、

僕の事を 見つめていた。

 

 

消え去っていく時に、わずかに 口元が動いて

何かを ささやいた様な 気がしましたが、

遠く 離れた 「 冬の世界 」 にいる 

僕には 何も 聞き取れなかった…。

 

7月に 駅前の 夏祭りがあった日 

久々に 見に行ってみようと思い、

線路沿いの遊歩道を 痛みがあるので 

左右に ふらつきながら 歩いていきました。

 

気が付くと、背後にいた 小学生の子供達が 

真似をして、身体を フラダンスみたいに 

左右に揺らしながら 僕の後ろをつけてきて、 

「あいつは 知的障害者だ、」 

と 僕を指さして、大笑いしていました。

 

 

それは、どこかで見た 光景だった。

 

映画 「 ビューティフル・マインド 」 で 

ナッシュの 統合失調症が悪化し

キャンパスを おかしな動きで 歩いていると、

学生が面白がって 真似をしながら

後を つけてきて、みんなで 笑い者にするシーン。

 

相手が子供だから、怒ったら 捕まるのは 僕の方だ。

君たちも いつか、他人の痛みが分かる 

年齢になる日は 確実に やってくるのだ。

 

小学6年生の時、クラスに 知的障害の子がいた。

当時、やんちゃで 馬鹿騒ぎするのが 

大好きだった僕は、その子の ノロノロした歩き方を、

みんなの前で 演じて、笑い者にしていました。

 

 

先生に 「ふざけるな、」 と怒鳴られても

「別に 面白いからいいだろ、」と 開き直っていた…。

 

今、僕は あの時の 知的障害の子と 

同じ目にあっている。あの頃の 僕と同じ、

無自覚で 人を傷つける子供によって。

 

結局、人の痛みは 同じ痛みを経験しないと 

理解できないのです。僕は 自分が恥ずかしかった…。

 

気が向いたら 新千歳空港まで 出かけて、

屋上のテラスから、飛び去って行く 飛行機を、

夕日が暮れるまで 眺めていました。

 

 

振り返れば、15歳の時 半年間 暮らした東京、

全寮制の岡山の高校、

旅行で行った 静岡県 沼津市、

沖縄、四国、広島県 尾道市…。

 

僕が僕として 生きられる居場所を求めて、

がむしゃらに 長い旅路を 歩き続けてきました。

 

いつも 岡山の高校から 帰省した時、

迎えに来てくれて、空港の到着ロビーで 

待っていてくれた 父さん…。

 

「 おかえり。 」 と言って 僕の頭を なでてくれた…。

 

 

帰り道の途中 よく 千歳駅の そばにある、

レストラン 「びっくり ドンキー」 で

ハンバーグを食べながら、

学校の思い出話を 嬉しそうに聞いてくれた。

 

自分の注文した ハンバーグカレーを

「もう お腹いっぱいだから 残りを食べてくれ、」 と

半分を スプーンで分けて、僕のお皿に 

移してくれるのが いつもの光景だった。

 

「 いつか、お前の事を 想って 

そばにいてくれる 女の子を見てみたい。

父さんは それまで 頑張るからな。 」

それが いつもの 口癖だった。

 

 

三度も ガンを再発し、手術で やせ細っていく身体で

不甲斐ない 僕を育てるため、

必死になって 毎日、職場に通っていた。

 

亡くなる 前日まで…。

 

雲一つない、陽光がまぶしい 晴天の朝に

父さんの故郷の長沼町の お寺にある、

両親のお墓に しばらくぶりに 一人で行ってきました。

 

町内からも 離れた場所に お寺はあり、

周辺には 民家が 2、3件ほど建っているだけで

他には何もなく、人が手入れしている気配もない、

寂れた雑草だらけの畑や

使い古された、オンボロのトラクターが

そのまま 残されていました…。

 

 

どこからか 冬の訪れを告げる、

乾燥した、からっ風が お寺の中にある、

小さな墓地にも ヒュー、ヒュー、と 

物悲しい音を立てて 吹き荒れて きました。

 

周りを見渡しても、歩いてる人影もなく

電球の灯りも 田舎道に沿って 並んでいる街灯しかない。

 

静寂に包まれた空間に ただ、からっ風に吹かれて 

ススキが さらさらと 寂し気に揺れているだけ…。

 

お墓の前に立っても、悲しいというより、

別の感情が 僕の中に沸き上がって来ました。

 

 

「 父さん、母さん…。 

どうして こんな場所に いるの?

どうして、こんな 寂しい場所にいるの…?

 

こんなところに いつまでも いないで、

僕といっしょに 家に 帰ろうよ…。 」

 

体温の ぬくもりもない、無感情の 

冷たい墓石は 何も 答える事はなく、

ただ この場所に、じっと 立ち尽くしているだけでした。

 

お墓の周りには 落ち葉が降り積もっていて、

しばらくの間、誰も 掃除をしていなかった様でした。

 

この近くにある、農家だった おじいちゃんの自宅も

空き家に なってしまったので

数年前に 何もかも、跡形もなく 取り壊されて 

現在は 更地になっていました。

 

 

「 淋しい、淋しい、淋しい…。 」

込み上げてくる想いは それだけだった…。

 

              「 すすき 」

                     作詞 稲津端子 引用

 

「 すすき… すすき… お前のそばから

秋は どんどん、逃げていくよ。

 

そして その羽毛のような 花がなくなると

ほら、どんな さわやかな風にも 散っていく…。

 

淋しく ひとりぼっちに ならないうちに

私と いっしょに 行く気はないかい…。

 

ほら、夕日も 静かに 姿を消していく。 」

 

 

ある日、思い立って 千歳駅から

ふたりで よく キャッチボールをしていた、工業団地まで

車がないので 徒歩で向かいました。

 

バスや 車がないと 行けないほど 

離れた場所だったので、汗を垂れ流し、数時間も

重い足を ひきずりながら 歩き続けました。

 

途中で 「 クマ出没 注意、 」の 看板が

ありましたが、引き返すには もう 

かなりの距離を 来ていたので、しばらく

歩いていると、ようやく 住宅街が見えてきました。

 

コンビニで 一息ついて 先を見たら、

キャッチボールをしていた 公園まで、

まだまだ 距離がありました。

 

 

時計を見ると 午後4時を過ぎていて、

帰路の体力も考えて うつむきながら、道を引き返しました。

 

もう、父さんは いないんだ。

どこにも いないんだ…。

 

                 「 道程 」

                           作詞作曲 タテタカコ 引用

 

「 独りで 歩く、道程が 寂しいものだと 

感じた時、ぬくもりを持つ 生き物たちは 

互いに 手を取り始める。

 

出会いが 人を変えるのなら、

まだ見ぬ あなたを待ちましょう…。

 

身体を流れる水たちは 自分に 嘘をつけないから。

分けてください、あなたの気持ちを…。 」

 

 

 

       【 優しさにふれて…。 】

 

「 誰でも 幸福について 語れるが、

 それを 知っている者は少ない。 」

                       ロマン・ロラン 引用

 

32歳になった僕は 近所の教会に 

日曜日に通ったり、となりにある 恵庭市や

千歳市に 気分転換と 身体の健康の為に 

よく 散歩に出かけていました。

 

ある日、スーパーの買い物帰りに 

小さい頃から たまに、髪を切りに通っていた、

近所にある 床屋の店主さんを 見かけました。

 

頭には 包帯を巻いて、奥さんらしき 女性に 

肩に手をまわして 支えられながら、

ふらふらして やっとのことで 歩いていました。

 

 

何かあったのかな…、と 不安になっていましたが

しばらくして、事情が分かりました…。

 

僕は また気力を振り絞って、

治療法を探して 雪の中、

札幌中の病院を 歩き回っていました。

 

「 12歳から 不登校になって…。 」

「 14歳の時に 顔を手術してから 痛みが取れなくなって…。 」

「 顔が痛い、顔が痛い…。 」

 

これまで 一体、どれだけの回数、

同じ言葉を繰り返して 語ってきたのだろう…。

 

「 顔が痛い、」 と いちいち説明する度に、

言いようのない吐き気が 胸の奥から 込み上げてきました。

 

 

その度に、今までと 同じように

「こんな症状は 見た事がない、」

「何も打つ手がない、これまで 過去に前例がない、」 

と お決まりの言葉で 断られてしまいました。

 

古くなって 老朽化が進んでいく 家の中で

「父さん、母さん、どこにいるの… 

淋しいよ、怖いよ…」 と

小さな 子供の様に 泣きじゃくっていました。

 

30歳を迎えた頃に、ふと 思い出していた、

幼い時に 読んだ記憶がある 

「 世界の未解決ミステリー 」 に 載っていた、

30年間も 鎖で繋がれて、

地下牢に 監禁されていた幼児に 

いつしか、僕も そっくりになっていました。

 

 

5歳から 真っ暗闇の地下牢に 

閉じ込められていたので

精神年齢が 幼児のまま、止まっていて

「 ママ…、ママ…。」 と 

見た目は 35歳の中年の姿で

泣きじゃくっていた、という 不気味な物語でした。

 

挿絵に描かれていた、暗闇の中で 

ギョロッとした 大きな目玉だけが光っている、

鎖で繋がれた幼児の おどろおどろしい様相に

僕も 瓜二つになっていたのでした。

 

…あの 挿絵に描かれていた、幼児の姿は 

鏡に映った、僕自身の姿だったのだろうか…。

 

 

築25年が経った 自宅は

2階を歩く度に 床がミシミシ 音を立てて、

押し入れは 雨漏りで 付近が水浸しになり、

仏壇の上からも 水が垂れて、壊れてしまい

仕方なく 数十万も払って、新しい仏壇を買いました。

 

水道管が割れて、庭も 

そこら中の地面から、水が溢れて 

大変な事に なりました。家を支える 

支柱までもが、ヒビが入り、崩れかけていました。

 

強風が吹き荒れると、家中が 

悲鳴を上げる様に 鈍い音を立てて、

僕は怖くて、2階で 生活するのを止めて、

1階の和室に 布団を敷いて 一日中、

過ごすようになりました。

 

 

もうすぐ この家も 住めなくなってしまう…。

自宅も 無くなってしまう…。

これ以上、僕から 何を 奪うつもりなんだ…。

 

僕を 孤独に追いやり、一秒でも 長く

苦しめようとする 「 何かの意思 」 が いつも 

暗闇の中から 僕を見つめて、弄んでいる様だった。

 

12歳から ずっと 僕に付きまとって 

離れない、とても 邪悪で、悪意に満ちた 

得体の知れない 「 何か 」だった。

 

14歳の頃から 孤独と 手術の恐怖で、

過呼吸を 毎日、起こしていましたが、それから

18年かけて 悪化していき、薬も 何も効きませんでした。

 

 

夜になると 暗闇が怖いので 家中の電気を点けて、

いつ 暗闇の中から 「 何か 」 が 

襲い掛かってくるか 分からないので、

枕元には 懐中電灯を 二つ置き、子供の時、

両親に買ってもらった ヌイグルミを抱きしめて

朝まで 過ごしていました。

 

姉、親戚たちの暴力的な態度や 差別的な言動も 

ひどくなるばかりで 家の前で、

「 病人や障害者は いつも 

嘘をついて 人を だます奴らだ、

お前の言う事は 全部 嘘だらけだ、嘘つきめ、 」

と 大声で わめき散らし、

近所の人に怯えながら、警察を呼ぶべきか 相談しました。

 

 

「そんな 野蛮な連中とは 早く 縁を切った方がいい、」

「かわいそうだけど、家を離れて 

一人で 生きていった方がいいよ…。」 と 

助言されましたが、でも 結局、

父さんの血を分けた 姉弟だから 

仕方ないと、耐えるしかなかった。

 

法務局や 市役所の福祉課に相談しても、

「 こちらに 来られても、

事務的な対応しかできないので、

かわいそうだけど 一人で頑張って。 」 

と 冷たく あしらわれるだけでした。

 

知り合いの障害者の方に、

「 法務局や 福祉課なんて、何にも 

頼りにならないから、助けてくれるのは 警察だけだよ。 」 

と 言われ、悩んでしまいました。

 

 

作業所で 知り合った精神病の人にも、

親切にしてあげると

わがままを言い始めて 振り回され

手に負えないので 看護師さんに 打ち明けて 

間に 入ってもらい、もう 関わらない方がいい、と 

判断される事がありました。

 

精神的な負担も 更に増えて、看護師さんと話し合い

「 もう 関わっても 疲れるだけだから 

精神病の人には 会わない様にしよう、 」 と 決めました。

 

知り合った人に 3ヶ月に 一回、近況を 

メールで伝えただけで 「 あんたみたいな 

厄介者に関わりたくない、巻き込むな、 」 と

怒鳴られて 非難され、やり場のない悲しみにくれました。

 

 

「 君の 20年間の痛みや孤独なんか 

どうでも いいから さっさと働けよ、 」

「 親のいない障害者のくせに 何様だ、我がまま言うな、 」

 

「 金が勿体ないから、治療を止めて さっさと働けよ、 」

「 人生が不幸すぎて 関わりたくない、

不幸が うつるから 近寄るな、どっかに行け、 」

 

「 他の子供は 恵まれてるから、

毎日 好きなだけ 遊んで 好きなだけ 贅沢していい、

お前は 一日も遊ばないで 働けよ、 」

 

「 電車に飛び込んで 死なれると、周りが

迷惑するから 誰も来ない山奥にでも 

行って 凍死しろ、 」

 

痛みで 何も抵抗できない僕は、

周りの人達に 数えきれないほど 

ひどい言葉を 浴びせられてきました。

 

 

一週間に せめて、たった一回だけでも 

誰かと会話したい、と 言っただけで

「 わがまま言うな、障害者のくせに 贅沢言うな、 」 と

執拗なまでに 罵られました。

 

20年以上も ひとりぼっちで生きてきたのに、

たったの5分、10分だけ 

誰かと 会話しただけで 怒られてしまう。

 

僕が見てきたものは 人の優しさや良心ではなく、

社会的弱者を 目の前にした時、簡単にさらけ出す 

人間の悪意や 暴力的な本性が ほとんどでした。

 

顔の痛みが悪化して、ひきつりが ひどくなるほど

周りは怖がって、僕から逃げていきました。

 

 

この 醜く崩れた顔は、普段、

穏やかに暮らしている人達の 内面に潜んでいる、

暴力的な本性を 引き出してしまう 

「 引き金 」の役割に なっていました。

 

子供の頃は、どうして ナチス ドイツの 

ホロコーストが 起きてしまったのか、

いくら考えても 理解できなかった。

 

半世紀以上も前の、遠く離れた 

ヨーロッパの国の、別世界の出来事だと 

他人事の様に思っていましたが 

今なら よく分かります。

 

ナチス ドイツの兵士たちも、平和な日本で暮らす人たちも

人間性に 何ひとつ、変わりはないのです。

 

 

この世界の 全ての人間は、誰もが 

暴力的、差別的な 本性を隠し持っていて

本性をさらけ出す、「 きっかけ 」が 

あるか、ないか、ただ それだけなのでした。

 

今まで 親切で 優しいと思っていた人達の

野蛮な本性を 見せられる度に、どこからか 

軍服を着て、行進していく ナチスの兵士達の 

整った 軍靴の足音が 

次第に 大きく 聴こえてくる様だった。

 

「 人間の狂気は 重力の様なもの。 

誰かが 一押しするだけで、後は 簡単に落ちていく。 」

 

                   「 映画 ダークナイト 」 より。

 

 

姉と親戚たちの 激しさを増していく、

野蛮的な行為は もう 僕一人では 対処しきれず、

座り込んで 途方に暮れていいました。 

 

久々に 訪ねてきた、

福祉事業所の 眼鏡をかけた 細身の職員に

「 これだけ 周りが優しくしてやってるのに

お前は ろくに働きもしないで、

ただ 文句ばかり 言ってるよな、 」 と

上から見下しながら 嫌味を言われました。

 

心の底から 僕を見下しているのが、

話し方からも 伝わってきました。

 

 

福祉事業所の人は、年に 数回くらいしか

顔を合わす事はないので、

僕の姉や 親戚達とのことなど、何一つ 知らないのに 

僕を 悪者だと 決めつけていたのです。

 

それだけ 言うと、もう こいつに用はない、という 

馬鹿にした態度で さっさと 帰っていきました。

 

僕は しばらくの間、無言で うつむいたままでした。

 

最近 観賞した ボクシング映画の中で、

印象的だった台詞を 思い出していました。

 

若さと負けん気に あふれる主人公が、

ライトヘビー級 王者の称号を 手にした途端、

つまらない乱闘騒ぎを 起こして

相手が放った 一発の銃弾が 妻に命中し、

帰らぬ人に なってしまう…。

 

 

この事件の ショックは大きく、

その後の試合は 無残に破れ続け

これまで 貯め込んできた財産も、豪邸も 

失っていき、周りに いつも 群がっていた

仲間達や トレーナーさえも 主人公を 

あっさりと見捨てて、去っていきます。

 

自暴自棄になり、遂に 最愛の一人娘とも 

引き離されて しまうのでした。

 

「 本当に どん底にいる時は、

誰からも 見捨てられて 一人ぼっちだ… 」

 

孤独な ボクサーの台詞が いつまでも 脳裏に聴こえていました。

 

 

この23年間に 何十人もの人達から

ひどい言葉や、差別的な事を言われ続けてきましたが、

僕は 学歴も あまりない、両親もいない、

顔の醜い 障害者だから、

「 どれだけ蔑まれても、見下されて 馬鹿にされても、

耐えるしかないんだな、 」 と 諦めていました…。

 

ある日、となりのおばさんに、

「 少し前に 近所の床屋の店主さんが、

頭に包帯を巻いて、奥さんに支えられながら 

歩いていたけど 大丈夫かな? 」と 聞いてみました。

 

すると おばさんは 言いにくそうな 表情になって

「 …あの床屋の店主の方は、もう、2ヶ月ほど

前に 亡くなったのよ。 脳腫瘍が あったみたい。 

40代で まだ若いのにね…、」  

と 教えてくれました。

 

 

いつも スーパーに、買い物に行く時に 

床屋の前を通っていたのに 

今まで まったく 気づいていなかった。

 

シャッターが降りたままの 人気のない床屋は 

少しすると カーテンも外されており、

中を覗いてみると 残された遺族は 

引っ越してしまったのか、もぬけの殻に なっていた。

 

みんな いなくなっていく…。

 

「 誰かを 好きになるのは ひとりに なりたくないから…。 」

 

たまたま 手に取った、流行りのグループの

曲の歌詞が、心に深く 突き刺さりました。

 

 

2016年から 日本ハムファイターズ球団と 

協議を重ねていた、ボールパーク構想の誘致が 

進んでいき、無事に 北広島市が、

新球場の建設地に 決まりました。

 

ボールパークの建設地は 

僕の自宅から 徒歩10分ほどの場所に決まって、

早速、工事が始まっていました。巨大な新球場や 

テーマパークに、温泉まで できるそうです。

 

建設地の近くに JRの新駅も 造るそうで、

「娯楽のない、この街が 

人が いっぱい来て、賑やかになる。」 と

久々に ワクワクしている 自分がいました。

 

 

平日に 訪問看護師さんと いつものように

二人で 並んで、線路沿いの遊歩道を 

散歩していると、まだ原っぱの 建設の予定地に 

高橋はるみ知事が、職員達を引き連れて 

視察に 訪れていました。

 

町外れにある、何も手のついていない、

北海道らしい 広々とした 原っぱの空き地が 

ボールパークの新球場 建設地になり

2023年に 完成予定で、

のどかな街は 大きく変わろうと していました…。

 

 

 

「 死にゆく少女は 不条理な世界に笑顔を見せた。 」

                        映画「 散りゆく花 」 引用

 

1月に 吹雪の中、僕は

もう 治療法は 何もないと分かっていても

札幌市内の 新しい総合病院に 向かっていました。

 

終わりの見えない 冬に閉ざされた 道のりを、

12歳から 変わらず、雪を 一歩一歩

踏みしめて 歩いていました。

 

20年間の 怒りも 悲しみも、

やりきれない 悔しさも 惨めさも、見渡す限り 

モノクロの世界の様な 真っ白な積雪に 覆われていく。

 

後ろを 振り返っても 雪、雪…。

 

 

吹きすさぶ 雪の塊が 顔に ぶつかって来る度に 

表面で 冷たい雪が溶けて、

まぶたの 薄い皮膚の内部まで じわじわと

しみ込んでいき、疼痛は 更に痛みを増していった。

 

今まで 歩いてきた足跡も、 絶え間なく 

降り積もっていく雪に、ひとつずつ 消されていく。

 

僕の歩いてきた 道のりなんて 

最初から 何もなかったかのように…。

 

歩いても 歩いても、冬の季節へと 逆戻りしている様だった…。

 

地下鉄の駅から 少し 歩いたところで

孤独と 恐怖のあまり 腰が抜けて、

歩道に座り込んで 動けなくなってしまいました。

 

 

周りに 誰もいない、声も出せない。

 

たまたま 通りかかったバスが 僕のそばで止まり、

親切な運転手が 心配そうな表情で、

手を貸して バスの中に入れてくれました。

 

回送で 乗客はいなく 「これから 病院前の

バス停に向かうから、休んでてね。」 と 気遣ってくれました。
 

「この世界に まだ、僕に優しくしてくれる人は 

わずかでも いるんだ。」 と

暖かいバスの中で 目を閉じて ほっとしていました。

 

診察してくれた 麻酔科の女性の医師に、

まだ 一度も試していない、まぶたの筋肉の箇所に 

神経ブロック注射を してもらいました。

 

 

いつもの様に 何も変化はなく

「今まで たくさんの病院を 歩き周って 

他の治療法は 全て 試したみたいだし、

もう 私にも どうしていいのか分からない、ごめんね。」

と 言われて、僕は その場で 泣き崩れてしまいました。

 

もう 今までの 10回の手術と 

5~6件の ペインクリニックと 麻酔科で

どう 数えても、顔に打った、 

麻酔注射の数は 100本以上を 超えている。

 

12歳から 治療、リハビリ、手術を受けた病院の数は、

瞬時に 思い浮かぶだけで、90ヵ所を超えていました。

 

宮城、横浜に 引っ越ししてから 

周った病院の数も 含めれば、約110ヵ所まで 達していました。

 

 

精神科、眼科、形成、神経、麻酔科、

ペインクリニック、脳神経外科、整形、鍼灸整骨院、

美容外科、気功、大学病院、

総合病院、個人クリニック…。

 

20年間の苦しみが すべて溢れだし 止まりませんでした。

 

夕方、最後の患者だったので 

女医さんと 看護師さん 二人が、

となりで 泣き止むまで 待っていてくれました。

 

僕の 母さんと 同い年くらいの看護師さんは 

となりに座って 優しく 肩をさすってくれました。

 

「もう、20年になる、あと 何年 耐えればいい…。

もう 苦しいだけの人生は 嫌だ、痛い…痛い…」

 

 

12歳から 本当の自分の顔を 一度も 見た事がない。

14歳から 痛みで 顔が ひきつったままで 

たった一言も、普通に 人と 会話をしたことがない。

 

どんなに叫んでも、救いを求めても、

たった 一秒も 一瞬も 痛みから 解放されない。

 

小学6年生の夏休みから、僕は 本当の自分を見た事がない。

 

20年間 ずっと、観客のいない 一人舞台の中で 

「 顔が 醜く 崩れた、嫌われ者の障害者 」 

という、別人を 演じさせられ続けてきた。

 

誰のせいでもない、誰かに 強制された訳でもない、 

僕も 悪くない…。

 

 

12歳の頃に、本当の僕は もう 死んでしまっていて

今 存在している 「 松下 航 」 は 

全くの、赤の他人なのかもしれない…。

 

泣き続けるほど、激しく 表情が引きつり、

口元が歪んだまま 泣いている僕を 

看護師さんが、お母さんの様に 

となりで 肩をさすって 見守っていてくれました。

 

本当は 優しく 抱きしめて欲しかった…。

 

「父さん、母さん、

どうして こんな醜いバケモノを 生んだの?

どうして 僕は生まれたの? どうして…。」

 

僕は ただ、誰かに 愛されたかった。

 

 

しばらくして 涙も 枯れ果てて、

窓の外は 暗くなり始めていたので、 

頭を下げ 帰ろうとすると 看護師さんが 

受付まで いっしょに 付き添ってくれました。

 

「松下くんに 今 一番 必要なのは、

痛みを取り除く事よりも、たった一人でも いいから、

そばにいてくれる 大切な人を 見つける事だよ。」 と

優しい眼で 教えてくれました

 

「初対面の人でも、僕の苦しみに気づいて 

答えを くれる人も いるんだ…。」 と 

胸が温かくなりました。

 

看護師さん達は 母さんと 同じように、

最後まで 僕に 優しくしてくれた…。

 

 

でしたが、数日後、親の財産や 今後について

姉や親戚たちと 話し合いになると 

内容は あまりにも ひどいものでした。

 

僕と姉の ふたりで分け合った、

両親の財産に ついては 話し合っていたはずなのに 

その時の約束を 平気で破り、

僕の病院の医療費も 自分達で 管理して、

今後は 好き勝手に、僕に渡す、医療費の 

金額を減らしていく、と 平然と言い放ったのでした。

 

「医療費さえも 受け取れないのなら、

これから 僕は どうしたらいいんだ、」 と 訴えると

「お前の これからの事を考えてやっているんだ、

少しは感謝しろよ、」 と 冷たく 返されました。

 

 

「僕は 今 現在でも、

精一杯の 気力を振り絞って 生きているんだ、

明日まで 生き抜くだけで やっとなんだよ、

どうして どんなに訴えても、

僕の痛みや 孤独を解ってくれないの?」 と

これまで 何十回も 何百回も、

同じ言葉を 繰り返し 叫んできました。

 

その度に 面倒臭そうに返って来る、姉の返答は

「お前の人生より、金の方が大事だから。」 でした…。

 

「僕よりも お金の方が、そんなに大切なのか、」 と叫ぶと、

ちょっとだけ 後ろめたい表情で

「そうだな… お前が死ぬより、一円の方が大事だな。」 

と あっさりと 答えるのでした。

 

 

「まさか、お前は 僕を 精神的に追い詰めて 

自殺に追い込んで 財産を独り占めにしようと 

企んでは いないだろうな?」 と

姉に 聞き返すと、姉は 一瞬、

ギクッと、図星を突かれた様な 表情をして

「そうだ、その通りだ、」 と、本音を 2回も、 

小声でしたが はっきりと 告白しました。

 

「母さんの時と 同じ様に、

僕を 本気で 自殺に追い込もうとしている…。」

姉の明確な殺意を 肌で感じ取っていました。

 

話し合いだったはずなのに 根拠もなく、

嘘つきの卑怯者と 一方的に罵られて、

まともな会話にも ならない。

 

 

どれほどの痛みと闘っているか 説明すると 

鼻で笑われ、両親に対して 姉に 謝罪を求めると、

姉は わざとらしく 泣きまねをして 

親戚たちは 逆に、僕を 悪者の様に責め続けました。

 

「お前が すべて 悪いんだ、

これだけ 面倒見てやってるのに、

文句ばかり 言いやがって、何もかも 

お前の被害妄想だ、全て お前のせいなんだ、」 と 

痛みで 抵抗できない人間を 

みんなで 取り囲んで 怒鳴り散らされました。

 

後ろで 姉が、口元を 手で隠しながら、

ニヤニヤ 薄笑いを浮かべていました。

「親戚どもは 馬鹿で単純だから 扱いやすくて楽だ、」 と

姉は いつも口癖の様に言っていた。

 

 

そもそも 「病人や障害者は、

いつも 嘘をついて 人をだます奴らだ、」

と 断言してるのだから、

最初から 言葉も 何も通じないのです。

 

父さんが いてくれたら、こんな連中に 関わる必要もないのに…。

 

怒号を 浴びせられ続けて 

激しい過呼吸を起こし 床に うずくまっている僕に、

突然、元自衛隊の親戚は 遠い過去のトラウマを

ねちねちと 喋り始めました。

 

「 昔、近所のアパートに住んでいた、

あの女が どうなったか 知っているか、」

近所の女性とは、母さんが亡くなった後に

知り合った、お姉さんの様に慕っていた 

あの 女性の事でした。

 

 

僕の顔を見ると 「 気分が悪くなるから 会いたくない、 」 と

母親に告げて 何も言わずに いなくなった人。

 

僕は 醜い顔になってしまった 自分を 

あれから16年間、ずっと 呪い続けてきた。

 

明かされた事実は、僕と会わなくなる 少し前に、

あの女性は 僕の 醜く ひきつった顔を 

たった数回、見ただけで 本当に体調を崩し、

取り返しのつかない 重い症状を 引き起こしていたのです。

 

どのような 症状だったかは

女性のプライバシーを 尊重して 書けませんが、

僕の存在、今まで 生きてきた人生を 

全否定し、死に追いやるには 充分すぎる内容でした。

 

 

そのことを 聞いた瞬間、

僕を支えていた 最後の 理性の細い糸は、

プツンと 切れてしまいました。

 

20年間の 訳の分からない闘いの果てに、

僕は 完全に とどめを刺された。

 

公開リンチの様な 話し合いが終わり

親戚や姉が 勝ち誇った顔で 高笑いする中、

毒気に吐きそうになり

外に飛び出して 重い足取りで 帰宅しました…。

 

家についても 真っ暗で 誰もいない。

人の気配もなく 墓場の様に 静まり返っている。

 

 

父さんが亡くなっていた ソファーが 

すっかり 色褪せて そのまま 置かれており、

しばらくの間、じっと見つめていました。

 

父さんの 最期の死に顔が 眼に焼きついてしまい、

あれから 10年以上の時間が経過しても

未だに 悪夢の中で うなされ続けていた。

 

約20年分の孤独が溜まった 冷たい廃墟。

ここは もう、人の住むべき場所じゃない…。

もう嫌だ、もう 一人は嫌だ…。

 

僕だけが 知らされていなかった真実…。

 

あの 姉さんの様に 慕っていた女性は、

僕と出会っていた頃に

生まれつき 病弱な身体で、子供を妊娠していた…。

 

 

父さんも、亡くなるまで 僕に 真実を 隠していたのでした。

 

「僕は 人を殺してしまった…。母親の様に 

想っていた人の 子供の命を奪ってしまった…。」

 

玄関前で うずくまり、真夜中に 

大声を上げて 泣き続けていました。