怒りも 苛立ちも 態度や表情に出してはいけない。

相手に悟られたら 負けてしまう。

 

「 この子供は 精神状態が 安定しているから 

顔に メスを入れても 大丈夫だよ。 」 という、

精神科の医師の 診断書がないと、

僕は年齢が幼すぎて 手術を受けられないので、

常に 感情を押し殺し、心理戦の かけひきの様に 

医者のご機嫌を とり続けなければならなかった。

 

 

それは、何としても 僕を 精神病に仕立て上げたい、

愚かな医者達との闘いでも ありました。

 

彼らは ただ、自分たちの考えが 正しいという事を 

証明したいだけの為に 僕の10代の青春を 

ことごとく 奪っていったのです。

 

「 こんな 奴らに負けてたまるか…。」

 

まだ14歳の子供には あまりにも 過酷な時間でした。

 

毎日、眼に見えない こぶしで 身体中を殴られ、

大きなアザができて 全身に広がっていく様でした。

 


まるで 夢遊病者の様に、

虚ろな目で ふらふらしている僕を見て

「 これは 試練だ、これを 乗り越えたら、

お前は 一人前の男になれる、 」 と

父さんは 訳の分からない事を 言い出しました。

 

僕は ただ、一日も早く 学校に戻りたいだけなのに

父さんは 何を、訳の分からない事を言っているんだ。

 

お願いだから、正気に戻ってくれ…。

今頃 学校の友達は みんな どうしているのだろうか…。

                                

どうしても、クラスメイト達と 会いたい想いを 

抑えきれなかった僕は、ある日 

思い切って、短い時間だけ 登校してみました。

 

 

久々に会う クラスメイト達は

4月に たった数回、顔を合わせただけ 

だったとはいえ、見違えるほどに 

顔つきが 大人びていました…。

 

普段、毎日の様に 学校で 顔を合わせていると

お互いの成長に 気付かないのだろうけど、

ずっと 自宅で、一人ぼっちでいた僕には 

久しぶりの同級生たちの、成長期の早さに 

ただ ただ、言葉を 失うだけでした。

 

10代の頃は 一日、一日が どんなに大切で 

学んで、経験し、人間的に 成長していけるのか、

嫌というほど 思い知らされたのでした。

 

 

ますます あせりを感じていましたが、

一時間だけ 受けた授業では、教科書を

開いただけで めまいがして 周りの生徒達が 

黒板に書かれた問題を 解いている間、

「一体 みんなは 何の問題を 答えてるのだろう?」 と

一生懸命、教科書のページを ペラペラと めくっていました。

 

授業が終わるころには 緊張のあまり、

汗だくになっていて、心を落ち着かせるために、

この頃 よく 好きな歌の歌詞を

書き綴っていた、ノートを開きました。

 

筆圧が弱くて、薄っすらとしか 見えないほどの

文字でしたが、それを読んでいると 

心が穏やかに なっていたのです。

 

 

休み時間になったので、みんなは 

仲の良い友人同士で集まって ワイワイ騒いだり、

元気のいい 運動部の男子達は 無邪気に

追いかけっこをしながら、廊下を 走り回っていました。

 

どこにでもある、学校生活の いつもの

日常風景を 横目に 、ノートのページを 

静かに めくっていると そばにいた 数人の女子達が、

「 何を読んでいるの? 」 と 僕に話しかけてきました。

 

久々に 女の子に 声を掛けられて、

どう 返答していいのか 迷ってしまい 咄嗟に、

「時間がある時に、このノートに 

思いついた詩を 書き溜めてるんだよ。」 と

まるで 自分が作った詩の様に 言ってしまいました。

 

 

「自分で 詩を作っているの? 

まだ 14歳なのに?松下くんは すごいんだね。」

と 眼を見開いて、驚いてくれました。

 

誤解を解く前に、「 お願い、ちょっとだけ見せて、」 と

久しぶりに会う、女の子達が 

顔を近づけて来るので 照れてしまい、

どうぞ、と 思わず 渡してしまいました。

 

ですが、まったく 名曲の歌詞だとは 

気づいていなかったみたいで ページを 次々にめくり

「松下くんは 文章表現が すごいね、

こんな素敵な詩は、私には書けないよ。」

と きゃあきゃあ言いながら、はしゃいでいました。

 

 

どうやら この頃、夢中になって 聴いていた、

チューリップや、尾崎豊の歌は

10代の若い子達は 知らなかった様です。

 

短い休み時間の間に、

「普段は どんな本を読むの? どんな音楽を

聴いてるの?」 と 中学生らしい、

ありふれた会話をしながら ああ、僕は 

元の日常に戻ってきたんだ…と ほっとしていました。

 

ずっと、こんな他愛のない会話を 夢見ていたんだ。

クラスメイト達と、こんな会話を したかったんだ。

 

話しかけてくれた 女の子達の中に、

ショートヘアの 人懐っこい、

目がぱっちりとした 女の子が いました。

 

 

その子は 4月に初めて 登校した時も

僕が緊張しながら 教室に入ると

一番に そばに来て 「 これから よろしくね。」 と、

あどけない表情で 声を掛けてくれました。

 

思わず 顔が 真っ赤になってしまい 

「… どうも、よろしく。」 と 小声で つぶやき、

そそくさと 席に着いてしまいました。

 

その子の いたずらっぽく 微笑んだ、

表情を見ていると 最初に通っていた中学校の

となりの席だった、笑顔の可愛らしい 女の子の事を

密かに思い返していました…。

 

 

背が小さくて、まるで小動物みたいで 

会話する時は、いつも 大きな 丸い瞳で 

じっと 僕を 見つめて来る…。

 

となりの席だった 女の子と、最後に会ったのは

駅前の夏祭りの時でした。

 

辺りは 真っ暗でしたが、僕に気づいて 

せっかく、話しかけてくれたのに

僕は 顔を伏せたまま、まともに答えることも 

できずに、思わず その場から 

人混みに紛れて 逃げ出してしまいました…。

 

不登校になってからも 気持ちを伝えられずに

ずっと 思い続けてきたのでした。

 

 

あの子は 今頃、どうしているのだろうか?

僕の事を まだ、ちょっとくらいは 覚えてくれているだろうか?

 

もしかしたら、高校に入れば 再会できるかも知れない…。

 

もし 僕の目が、元の大きくて きれいな形に戻ったら…

もし 僕の目が、元の優しい目に戻ったら…

 

その時は 思い切って、自分の想いを伝えたい。

それまでは、どんなに 寂しくても 

どんなに辛くても 頑張るんだ…。

 

大丈夫、まだ 中学2年生なのだから

まだまだ 時間は たっぷりある。

大丈夫、きっと 僕は大丈夫だ…。

 

 

休み時間の終わりを告げる チャイムが鳴ると

ショートヘアの女の子が

「また新しい詩が書けたら 見せてね。絶対だよ。」 と

幼い いたずらっ子みたいな顔で、

念を押す様に、言ってくれました。

 

「恥ずかしいから 絶対に見せないよ、」 と

この時だけは 自分の顔の事も 忘れて 

いっしょになって、じゃれ合っていたのを 

今でも 懐かしく 覚えています。

 

あれから 大人になり 

何度、10代の頃を振り返ってみても

中学生らしい、時間を過ごせたのは

この 休み時間の時だけだった…。

 

 

毎日、当たり前の様に 学校に通っている 

子供達から見れば 退屈な日常の中の 

ありふれた、何気ない会話なのかも 

知れませんが ほとんど 学校に行けずに、

一人だった 僕にとっては、

休み時間の わずか10分ほどの出来事が 

数少ない、学生時代の キラキラした思い出になりました。

 

落ち葉が舞い散る 秋が近づき、

手術について、医療の専門家の意見を 

聞きたいと思い 北海道大学病院を 訪れ、

形成外科で 診察を受けました。

 

事前に 「まだ 心が不安定な 14歳の子供です、」

と 伝えておいたのに 診察室に入ると 

北大の 医学部の学生たちが 10人ほど、

狭い室内で 僕を取り囲むように 立っていました。

 

 

近くに 北海道大学が あるので、

よく 医学部の学生たちが 実習を受けに来るのです。

 

見るからに 態度の悪い、頑固そうな医者は 

カルテを 無造作にめくると、

上から 見下ろすような口調で、

「君は まだ子供だから 手術は早いよ、

成人になってから また おいで、」と だけ言われました。

 

北大の学生たちは みんな 僕の顔を 

じっと 見つめながら 無言で 

自分の実習ノートに、何かを 書き綴っていました。 

 

僕は まるで 見世物にされている様で、

恥ずかしくて 診察が終わるまで うつむいていました。

 

 

まだ14歳の子供が、年齢の近い、20歳くらいの

若者たちの前で 「 顔を手術で 変えたい 」 と 

伝えるのは、とても 恥ずかしくて、屈辱的な時間でした…。

 

父さんは 傲慢な医者に ペコペコ 頭を下げて、

帰りの車内では 「大学病院の医者は 

偉そうで 思い上がった奴ばかりだ、」 と 

大声で 叫んでいました。

 

僕は ただ ただ、自分が惨めで 情けなくて 

自宅に着いても、部屋に こもって 泣き続けていました。

 

僕も、父さんも、本当に惨めで 情けなかった…。

 

新しく見つけた、札幌市内にある、

静療院という 精神科病院に通院する事になりました。

 

 

僕の担当になった 精神科医は、

まだ40代くらいの、眼鏡をかけた 穏やかそうな医師でした。

 

安心したのも 束の間で、その医師は 

いつも カウンセリングの マニュアル本みたいな

書籍を片手に持って、マニュアル本に 

書かれた内容を 読み上げるだけでした。

 

お決まりの質問を 聞かれるだけで、

苛立ちが溜まっていく 僕に対して、

「君が 本当に、顔を手術しても 問題ないのかどうか、

僕が 長い期間を掛けて 診断していくからね。」 と

忠告されました。

 

これまでよりも 更に、薬の量が増えていき、

静療院の医師は、マニュアル本を ちらちら見ながら

「今月は この薬、来月は この薬ね、」 と

ロボットの様に 同じ言葉を繰り返すだけでした。

 

 

僕は デスクの上に置いてある、ハサミを手に取り

この マニュアル通りの 言葉しか言えない、

無能な医師を 切り刻んでやりたい怒りを、

必死に押し殺し、拳を握りしめて 耐えていました。

 

苛立ちや 怒りの感情が、

わずかでも 表情に出てしまったら

目の手術の紹介状を 書いてもらえなくなる…。

 

「今月の 精神状態は どうだった?」

「はい、先生に頂いた 薬のおかげで、心も安定し

毎日、穏やかに過ごしています。」

 

「あせりを感じたり、イライラする事はない?」

 

 

「素晴らしい お薬のおかげで、学校に通えなくても

淋しいと感じる事も なくなり、

夜も ぐっすりと睡眠が とれています。」

 

診察を受けている間、常に 笑みを絶やさずに

医者と味のない白い粒を 褒めたたえ、

まるで、菩薩の様に 微笑み続けていました。

 

薄暗い待合室で 「僕は いつになったら、

学校に戻れるのだろう…。」 と 嘆いてると 窓の外から、

近くの中学校の チャイムの音色が聴こえてきました。

時計を見ると ちょうど お昼の時間帯でした。

 

今頃、他の中学生達は クラスメイトと楽しく、

ワイワイしながら お昼ご飯を 食べているんだろうな…。

 

 

僕は いつまで、こんなところに 居なければいけないんだ…。

 

中学2年生も 二学期の半ばに入り、

中学校生活の半分が むなしく、過ぎ去って 行きました。

 

10月に入り、秋晴れの ある日

父さんに 静療院で 大事な話があるから、と 

連れていかれ、医者に 案内されたのは 

薄暗い廊下の先にある 精神病棟でした。

 

スリッパを履き、ひんやりとした、

冷たい空気の流れる 長い廊下を

息を潜めて 歩いていくと

殺風景な 真っ白い個室に 手招きされ、

父さんは、薄気味悪い笑みを 浮かべていました。

 

 

「 お前に しばらくの間、

ここで 生活してもらおうと 思うんだ。 

先生と相談して 決めたんだよ。」 と 言い、

医者も ドアの前で ニコニコしていました。

 

僕には 一言も 相談すらなかった…。

 

「父さんは お前を 本気で治療したいんだ。 

お前には 「 正しい治療 」 が必要なんだよ。」 と

口元を にやりと歪めて 言いました。

 

…治す? 「 正しい治療 」って 一体 何だ? 

 

顔が醜い、気持ち悪いと 

悪口を言われて いじめられたり 避けられる…

僕の頭を 「 治せば 」 解決する事なのか?

 

 

子供への愛情ではなく 僕を 自分の都合のいいように

支配したいだけにしか 映らなかった。

狂っていく 父さんや医者達を 刺激せずに、

長い月日を重ね 説得していく しかなかった。

 

味のない薬を 飲まされ続けるだけの 

何もない単調な日々は、僕の学校生活を 一日、一日、

ゆっくりと 確実に奪い去っていった…。

 

       「  ボクサー  」   

               作詞作曲 サイモンとガーファンクル 引用

 

「 …僕は ポケット一杯の つぶやきの為に 

反抗精神を 無駄に 使い尽くしてしまった。

 

怒りと恥辱の中で 彼は叫ぶ。 

俺は やめるぞ、もう まっぴらだ、

…だが その戦士は 今もまだ、戦い続ける。 」

 

 

20年以上に渡った 冤罪による 服役を得て

93年に 世界ミドル級 名誉チャンピオンの

称号を手にした 実在のボクサー、

ルービン ( ハリケーン )・カーターの 

生涯を描いた、映画 「 ハリケーン 」 を 観賞しました。

 

薄暗い牢獄の片隅で 

ルービンは 物言わぬ壁に 向かって、

血が流れても 拳を振り上げ続けます。

鍛え抜かれた 肉体で 誰と闘っているのだろうか。

 

「皆を憎み、憎しみを 言葉に変えた。その動詞は 拳だ。」

 

ルービンは 一体、誰に向かって 語りかけて いるのだろう…。

 

 

自分に 濡れ衣を着せて、投獄した、

白人至上主義の警察官? それとも 

貧しかった 生い立ちを 嘆いているのだろうか。

 

「俺は 囚人服など着ない。 

罪など 犯していない、俺に対して 犯された…」

画面の中に もう 一人の僕がいた…。

 

ルービンは 何も 罪など犯していないのに

生まれた時から 与えられていた、「 黒い肌の色 」に 

よって、その後の人生を 狂わされていき、

バーで 発生した、銃乱射事件の 

容疑者に されてしまい 20年以上もの月日を、

檻の中で 過ごす事に なってしまったのです。

 

 

ようやく 精神科の医師に 薬漬けにされるだけの 

不毛な生活から 解放された時、

もう 中学2年生の終わりが 近づいていました。

 

約2年間の孤独と 耐え忍ぶ日々で、

僕の心は ほとんど修復できないほど、壊されていました。

 

2年間は、成長期の子供に とって、

永遠にも 感じてしまう様な、とても長い時間です。

 

顔は青白くて 表情を失い、感情表現も 

できなくなり、何も抵抗できない、怯えて 

震えているだけの、奴隷の様に なっていました。

 

言葉も あまり しゃべれなくなり、

小学校の頃の面影も ありませんでした。

 

 

… 唸り声を あげる様に、

猛吹雪が 目の前に吹き荒れて 何も見えない。

 

東北地方のどこかで 飢えと寒さに負けた、

一人の少年が 行き倒れている。

 

たまたま通りかかった、実業家の男に救われ、

「お前は 一体 どこへ 行こうとしていた?」 と 訪ねられ 

「暖かい南へ… とにかく、ここより 暖かい場所へ行きたい。」 

と 少年は 凍えた身体で 答えました。

 

「お前は 変わった子供だな。」 と その一言で

気に入られた少年は 実業家の男に引き取られ、

東京に行き、豪邸で 暮らし始め

学校にも 通わせてもらい、

人並みの生活を 与えられていきます。

 

 

それでも 凍てつく 寒さから 逃れる様に、

貧しかった過去を 必死に 振り払うかの様に

ひたすら勉学に励み、就職してからも 

ただ、がむしゃらに 働き続けていました。

 

南へ、もっと 暖かい南へ…。

人間として 生きられる場所へ…。

 

歳月が流れ 不況で、地方にある 

子会社の社員たちを 切り捨てる、厳しい判断を

任された事から 行き詰まり、再び 心の奥底に 

あの冷たい風が 吹き荒れていきます。

 

その時、目の前に 少年の姿をした、

過去の自分の幻影が現れます。

 

 

「…君は 僕を 笑っているんだね。

僕の 20年間の労働に、何の意味もなかったと 

笑っているんだね。」 と 語りかけると

「 いいえ、探し求める人には 

必ず 暖かい南が存在します。 」 と 

過去の自分に告げられ 遺書を破り捨て、

もう一度 南を探す 決意をします。

 

                    「 人間交差点 12巻( 南 ) 」 より

 

… 北海道を 離れて、

雪の降らない、暖かい土地へ行きたいと 

思い始めたのは この本が きっかけでした。

 

どこまでも広がる 透き通るような 青い海、

どこまでも まっすぐに続いている、田舎道…、

夏祭りの人混みで 賑わう中を、

かき氷を片手に持って、歩いている 浴衣を着た少女。

 

 

開放的な 夏色の風景に対する 憧れは 

月日と共に 膨らんでいきました。

 

          【 春への想い 】

 

中学二年生の秋に、母さんが 乳がんになってしまい

手術をして、看護師の仕事を辞めることに なりました。

 

幼い頃から 暴力的な性格だった姉は、

僕が不登校になった 辺りから 

日常的に、母さんに 暴力を振るい始めました。

 

 

毎日、朝起きると お腹や背中を

「死ね、クソババア、」 などと 罵りながら 蹴りまくり、

泣き叫ぶ 母さんを見て 楽しんでいました。

 

理由のない暴力ほど、恐ろしいものは ありません。

食事中は 中学の同級生の悪口や、

汚い言葉を吐き続けるので、食欲も失せて 

すぐに席を立って 部屋に戻りました。

 

父さんと 二人がかりで 必死に取り押さえ、

いくら 「やめろ、」 と怒鳴っても  

日課の様に 止めようとしない。

 

蹴られて 痛みで うずくまっている 母さんを

追い打ちをかける様に 執拗に蹴り続ける。

 

 

「ガンで苦しんでいる 母さんに どうして暴力を振るうんだ、」 

と 取り押さえて 必死に 諭すと、

「どうして、ガンで弱っている 母親を

虐待したらいけないの?」 と いうふうに、

不思議そうに 首を かしげていました。

 

母さんは 「 殺される、殺される、」 と 半狂乱になって

ヒステリックに 声を枯らして 叫び、

姉が家にいる時は いつも 二階に避難していました。

 

どうして 穏やかな両親から

あんな 野蛮な人間が 産まれたのだろうか。

 

とてつもなく 力が強くて、暴力を振るう度に 

父さんと 二人掛かりでも、取り押さえるのが やっとでした。

 

 

「 金を出せ、金をよこせ、」 と

日に日に増していく 激しい暴力に 

「もう 手に負えないから 警察に通報しよう、」 と 

訴えると 父さんは 目に涙を浮かべ

「お願いだから 親戚にも 誰にも言わないでくれ…

世間体があるから やめてくれ…」 

と うなだれて 僕に懇願しました。

 

こんなに弱っている 父さんを見るのは 初めてだ。

こうなってしまったのは 責任の一部は 僕にもあるんだ…。

 

長男の僕が 家族を 守らなければならないのに、

家族を崩壊させる きっかけを作ってしまった。

 

 

母さんは 日常的に ヒステリックに、泣き出す様になり

「自分のせいで 醜い顔の子が 

生まれてしまった、私のせいだ…」 と

アルバムを開いて 自分の顔が映っている写真を 

一枚、一枚、見つけては 破り捨てて 

いつも大声を上げて 泣き続けていました。

 

僕は どうしていいか分からず、ただ 

つぶれた 醜い目の形を 呪って、口元を

両手で抑えて、声を押し殺して 

泣き続ける事しか できませんでした。

 

人は 本当に絶望した時は 悲鳴を上げたり、

大声で 泣き叫んだりすることも できなくなるんだ、と

14歳の僕は カーテンを閉め切った、

真っ暗な部屋の中で 密かに感じていました。

 

 

13歳頃に NHKで 「 虹色定期便 」 という、

児童向けの教育ドラマが 放送していました。

 

当時 大人気だった、「 さわやか 三組 」の ような 

子供達の成長していく 姿を描いていく、

静岡県沼津市の 小学校を舞台にした 教育番組です。

 

主人公の やんちゃな少年が 

恋する、ヒロインの しっかり者の女の子。

 

その透き通るような 大きな瞳に惹かれ

僕は 気付いた時には、ブラウン管 テレビの中の

架空の世界の少女に 恋に落ちていました。

 

 

いたずらばかりしている 無邪気な主人公を 

いつも まっすぐな瞳で 見守り 

どんな時も 気遣ってくれる、世話好きな 女の子。

 

「 すみれ 」 という 役名でした。

僕にも こんな子が そばにいてくれたら…

 

静岡県沼津市… 沼津市… いつか、

この港町に行けば きっと この少女に会えると 

淡い希望を抱いて、じっと 身を潜めて 

耐え続けるだけの日々を乗り越えて いきました。

 

地図を開いて 静岡県の事を 詳しく調べて、

雪の降らない 暖かい土地で 

理想の中学校生活を 送っている、

自分の姿を 思い描いていました。

 

 

この世界では、 僕は 小学生の頃の様に 

大きくて 優しい瞳のまま、毎日 輝いていました。

 

きっと 戻れる… きっと 本当の僕に戻れる…。

 

テレビの架空の物語なのに、叶わないと分かっていても

そんな 空想をすることで 僕自身を 励まし続けたのでした。

 

北国育ちだからか、長い冬から 解放される、

雪解けの春の季節が 幼い頃から 好きだった。

 

長い月日、待ち焦がれていた、希望溢れる 

新しい季節が始まりを告げる、あの瞬間…。

 

爽やかな春風が そっと 髪をなでる様に 通り過ぎていく。

 

 

満開に 咲き誇る 桜並木の道の先で 

あの少女が 微笑みながら、

僕が帰ってくるのを 待ってくれている。

 

恋愛映画の ワンシーンの様な情景を

やりきれない時は、いつも 思い描くと 

心が穏やかになりました。

 

どんな孤独でも、どんな理不尽でも 

耐えられるような 気がした…。

 

                     「 青春の影 」

                  作詞作曲 財津和夫   引用

 

「 君の心へ 続く、 長い一本道は 

  いつも 僕を勇気づけた。とても 険しく 

  細い道だったけど 今 君を 迎えに行こう。 」

 

 

チューリップの 「 青春の影 」 が 聴こえてきて、

僕を 桜並木の道を 歩いた先にある、

暖かな春の季節へと 導いてくれた…。

 

僕の本当の顔で、僕のままで いられた。

 

ただ、優しさで 溢れた世界が 

どこかにあると 信じられたのです…。

 

学校に行けなくても、異性に興味を持つ 年頃は 

誰にでも 平等にやってくる。

 

一人ぼっちの寂しさもあり、

余計に 女性の愛情に 飢えていました。

時間が経っていくほど、飢えと渇きは 強くなっていく。

 

 

一日中、テレビ画面の中にいる 少女の事を 

身悶えするほど思い、恋焦がれていました。

 

もう 二年間も、女の子と会話すら まともにしていないんだ…。

 

異性との ふれあいが まったくないのは、

思春期の子供には ある意味、一番 

辛い拷問の様なもの かも知れません。

 

恥ずかしくて 今も あまり、周囲に言いませんが

異性との恋愛を 我慢し続けるのは、

何よりも 耐えがたい苦しみだと、

身をもって 知っています。

 

 

 

      「 顔に メスを入れて…。 」

 

中学二年生の終わりが近づく 2月頃には、

父さんまでも ガンを 発病してしまいました。

 

父さんが 自分が ガンになった事を、

家族の前で 告白すると 姉は 

父さんに飛び掛かり、首を絞めながら

「金は いくら 残ってるんだ、早く 財産をよこせ、

金をよこせ、」 と わめき散らしていた。

 

姉を 必死になって、引きはがすと 父さんは 

まるで、小さな子供の様に 泣きじゃくっていました。

 

 

4人家族のうち、3人が 病院に代わるがわる、 

入れ替わりの様に 入退院を繰り返して

つらい治療と 手術の生活を送るようになり、

お互いを思いやる 余裕もなく、

家族は 完全に壊れていきました。

 

お通夜の様に 静まり返った 食卓で

父さんは、口癖のように

「もう、いっその事、家族 みんなで心中しようか…。」 と

つぶやく様に なりました。

 

居場所もないまま、中学3年生になった 4月、

 

一日の ほとんどの時間、

部屋の 閉め切った カーテンの隙間から 

家の前の歩道に、まだ うっすらと 

残っている、雪の名残を ぼんやりと見つめていました。

 

 

短かった中学校生活で 出会った先輩たちは

みんな もう 卒業して 巣立っていったのだろうな…。

 

いつも親切に 声をかけてくれた、

バスケ部のマネージャーの子も もう いなくなって しまった。

 

みんな 変わらず 元気にしているだろうか。

まだ僕のことを 覚えていてくれる人は いるのだろうか…。

 

春が巡ってくる度に、

みんな 一歩ずつ 大人になっていくのに

僕だけが 何も変わらず 閉ざされた冬の季節に 

一人だけ 置き去りに されていた…。

 

ある日の 平日の午前中、

自宅の近くを 久々に散歩していると、

小学校の時、同じクラスだった、

女の子の お母さんと 偶然、会いました。

 

 

僕の様子を 心配してくれた後、

その女の子の事で、ある お話を聞かせてくれました。

 

小さい頃から 内気で、

人見知りが 激しい性格だった 女の子は

いつも仲間達と 大声を上げて 授業中も騒いだり、

ケンカばかりしていた、僕の事が怖くて

実は何度も 不登校に なりかけていたそうです。

 

それでも必死に、教室の隅っこで 

自分の存在を 押し殺して 

卒業式まで、我慢していたのでした…。

 

中学校に 進学すると、穏やかな生活が

過ごせると 期待していましたが

6月の体育祭の時、あの事件が 目の前で起きました。

 

 

不良グループが、知的障害の ある子を

からかったり、笑い者にして 楽しんでいて、

周りの生徒達が みんな、怖くて 注意できなかったのに 

僕だけが 立ち上がって、

「いい加減にしろよ、こんな事をして 

恥ずかしくないのか、」 と 大声で 𠮟りつけました。

 

その時の光景を すぐ目の前で 

見ていた女の子は、その日の夜に、お母さんに 

「松下くんは 正義感あふれる 良い人だったんだよ。

一生懸命、ひとりだけで 知的障害の子を 守っていたよ。」

と 興奮気味に 語っていたそうです。

 

それからすぐに 僕が不登校になってから

しばらくの間は、家の中でも 口数が少なくなり

明らかに 落ち込んでいた様子だった、と 教えてくれました。

 

 

この お話を聞いてから、僕は 

自宅に戻っても 部屋に閉じこもり 

その女の子の事を 思い返していました。

 

いつも 教室の片隅にいるから 目立たなくて、

僕は まったく、その女の子の事など 気にも留めずに

仲間達と ふざけて 物を投げ合ったり、

下品な言葉を 大声で 吐きながら、

ひたすら 教室中を走り回って はしゃいでいた…。

 

卒業アルバムの クラスの集合写真に

写っている、暗い表情をした、女の子の顔を 

見つめていると これまでの 罪悪感が、

次第に 胸に 込み上げてきました。

 

 

「本当に、最低な人間は 僕だった、

僕は ただ、自己中心的なだけの ひどい人間だったんだ…。

 

小学校時代の 6年間は 夢の様だった、と

思い込んでいたのは 僕だけだったんだ…。」 と

クラスの集合写真に 向かって 

心の中で、いつまでも 謝り続けていました。

 

ようやく 札幌の 個人クリニックの眼科で、

一回目の手術を受けられる事が 決まりました。

 

精神科の医師に 紹介状を書いてもらえたのは

数年前まで、札幌医科大学 附属病院の

医師だった方が 開業したばかりの クリニックでした。

 

 

僕が 顔を手術したい 最大の理由は、

美容整形を受けた、たくさんの方達も 語っている様に 

何よりも 自分の自信を 取り戻すためでした。

 

自分に自信を持ち、自分を信じる事ができなければ

どのような事でも 成せないからです。

その為の 第一歩です。

 

大柄で 貫禄のある、60代のベテラン医師は、

診察室で 怯えて 声も出せない僕に

一枚の白紙だけを 手渡し、一言だけ

「この紙に 理想の目の形を書いて。」 と 言いました。

 

いかにも 大学病院の医師らしい、

威圧感のある 態度に 意見も言えず、

恐る恐る こんな 感じかな、と 

震える手で、大きく 丸い形を描くと、

すぐに 二週間後に 手術が決まりました。

 

 

どの病院でも 最初に 医師に、

「立派な大人でも 手術中に、顔が

メスで切られる 恐怖のあまり 気を失う人がいるけど 

君は まだ、子供なのに 大丈夫か?」 と 聞かれました。

 

局所麻酔なので 手術中、まぶたを 

メスで切られている間 ずっと 意識がある事、

僕は まだ中学生の子供だから、

精神的にも、肉体的な負担も 心配だという事、

 

目の前に 注射針や メスが迫ってくる恐怖に 

耐えられるか、などの理由でした。

 

手術中に 思わず 目を開けてしまったら 

どうなるのか、と 訪ねましたが 医師は ただ、 

「 絶対に開けては いけないよ。」 と 答えるだけでした。

 

 

おそらく… 目を開けてしまうと 注射針や メスが 

眼球に 突き刺さってしまうのだろうか…。

 

そんな 手術への恐怖心が 徐々に 高まっていき、

一日に 何度も 過呼吸を起こしていました。

 

麻酔注射が刺さったり メスで まぶたを切り刻まれる、

痛みの感覚に 気が狂わずに 耐えられるか…と

本番で 意識を失わないよう、

訓練するために 裁縫で使う、細長い針で 

狂ったように 顔を 何十回も 刺していました。

 

真っ赤に腫れあがった 顔を見て、

父さんは 力ずくで 僕の手から 針を取り上げ、

「手術中は 父さんが そばにいるから大丈夫だ、」 

と 必死に なだめていました。

 

 

当日は 恐怖のあまり、真っ青な顔で 

手術室に踏み出せないでいる 僕に、

ぽっちゃりした 看護師さんが 

「手術中は ずっと手を握っているから 安心してね。」 と

優しく 微笑んでくれました。

 

手術台に横になると、麻酔注射を打つ前に 

ぎゅっと 両手で包み込むように

震えている 僕の手を握ってくれました。

 

まるで 母さんが そばにいてくれる様で ほっとしました。

 

母さんの顔は トラウマで あまり思い出せないけど、

優しかった 看護師さん達の顔は 

みんな 今でも はっきりと覚えています。

 

 

今まで 数多くの病院を 周りましたが、

どこの病院に行っても、

看護師さんは 誰もが 僕に親切にしてくれました。

 

仕事とはいえ、僕の顔を見ても 怖がることなく 

接してくれて、手術の時は いつも 

辛い時間が終わるまで、隣で 

手を握っていてくれました。女性に触れたのも、

過去を振り返ると この時だけだった。

 

僕の母さんも 看護師だったので 

病院に通う度に 看護師さんの姿を 見かけると、

今でも 母親の面影を追ってしまいます。

 

手術の時間は 30分ほどでした。

 

 

薄いまぶたを 切られている間、麻酔注射を

打ったはずなのに 鋭い刃物で 皮膚を 

ゆっくりと 切り刻まれる、痛みの感覚を 

はっきりと 感じ取っていました。

 

一瞬、麻酔が効いていないのに、

メスで切られてる、と 頭がパニック状態になりました。

 

30分という 短い時間が、重苦しい 手術室の中で 

気の遠くなるような 長い時間に感じられていました。

 

「まだか、まだ 終わらないのか?」 

… 心の中で ずっと 叫び続けていました。

 

糸で 皮膚を縫い終えたあと、

ようやく終わった事を告げられると、

全身が 緊張の汗で びっしょりになっていました。

 

 

めまいがして 10分ほど 起き上がれず、

深呼吸してから 鏡を見ると

手術前と 区別がつかないほど、

ほとんど何も 変わっていませんでした。

 

あの 三白眼の鋭い目のままだった…。

 

帰宅したあと、何度も 家中の鏡で 

見直しても 何も変化は ないどころか、

真っ赤に腫れあがった 目の形は 

手術する前よりも つぶれて 細い目に見えました。

 

ショックの あまり すべてに絶望し、部屋に

閉じこもって 出てこない僕に、父さんは 

激しく ドアを叩きながら

「俺に逆らったから こうなったんだ、

お前を精神病院に ぶち込んで やるからな、」

と 恐ろしい形相で 罵り続けました。

 

 

元の人生に 戻りたい…。

元の日常に 戻りたい…。

 

それが 何よりも 心の支えでした。

 

            

                     「 宝石 」

                             作詞作曲 タテタカコ 引用

 

「 真夜中の星空に 問いかけてみても

ただ 星が輝くだけ…

心から 溶けだした黒い湖へと 

流されて いくだけ…

 

 

やがて来る 冬の風に、波が揺られて

闇の中へ 僕を誘う。 

 

氷の様に 枯れた瞳で、僕は大きくなっていく。

誰も 寄せ付けられない 異臭を放った 宝石…。 」