数多くある 投稿記事を お時間を取って
読んでくださり、本当に ありがとうございます。
どうしても 23年間もの歳月の事について
書き綴っていくと とても 長い文章になってしまい、
なんだか 申し訳なく感じています…。
もう しばらく、お時間を 取らせてすみませんが
読んでいただけると 感謝いたします…。
この記事では、これからの生活を どうしていきたいのか、
痛みの障害が 完治した後は、
どのような人生を 送っていきたいのか、
ひとつひとつ 書き綴っていきたいと思います。
僕が何よりも、優先して 考えていきたい事は、
「 もう ひとりぼっちで 暗闇の中を
歩いていくのは止めよう… 」 との想いでした。
12歳から 35歳を迎える年齢まで
こんなに 頑張ってきたのだから、
もう そろそろ これから 出会っていく、
周りの心優しい人達に 甘えたり、
頼ったりしても いいのかな…と 思い始めていました。
これまでは ひどい言葉を浴びせられたり、
冷たい態度を取られたり 会話してくれる人も
ほとんど いなかったので
また いつもの様に 僕の事情を 少しだけ
知ってしまうと、嫌われて 避けられるのかな… と
内心、怖くて 怯えているのですが
勇気を振り絞って 行動してみようと思います。
僕の闘病記を 短く まとめて書き綴った、小冊子を
様々なところで 配ってみたり、
ブログに投稿した 闘病記や 僕の自己紹介を
メッセージと共に 世間の人達に 発信していったり、
何もかも 初めての事なので 戸惑っていますが、
焦らずに 一つずつ 試していきたいです。
そばで 支えてくれる人と 出会ったり
日常生活の事や、経済的な問題の事などを
支援や サポートをしてくれる人達が 少しずつ
できてくると、心にも 余裕が出てくると思うので
また 勇気を出して、僕の障害の治療法を
東京辺りで 探していきたいと考えています。
これまでの経験の様に、医者に
「症例が あまりないので 治療法が分からない。」
と 診察で言われて 真っ暗な部屋に
帰宅してから 一人ぼっちで 泣き続けるのではなく、
いつでも そばにいて 会える人達が、
となりで 支えてくれていると 思うと
自然に 勇気が湧いてくるのです。
12歳から 人生経験も 極端に少ないので、
年代も関係なく、たくさんの人たちと 交流していきたいです。
40、50代の 落ち着いた大人達も、
70、80代の お年寄りの方々も、
大学生、高校生、中学生くらいの 10代の若者達も
幅広い世代の方達と 交流してみたいです。
今まで 経験してくる事ができなかった、
若者たちと 一緒に遊んだり
広い世界を冒険したり、様々な職種の
大人たちと ふれあい、人生について 学んだりすると
僕自身の 人間的な成長にもなるし、
これからの未来へと 繋がっていくと思うのです。
今は 冬の季節の様に 閉ざされた人生ですが、
それでも 必ず、明日へと繋がっていくと思うのです…。
自宅と病院を 行ったり来たりするだけの生活が
ほとんどだったので 電車の料金なども
支援して頂ける方が いて下されば
痛みをこらえながら、これまで 見た事のなかった、
たくさんの美しい風景、街並み、広い世界を
この目で 見ていきたいと 希望も持っています。
何か ひとつくらい、特技があった方がいいと思うので
習い事をしてみたり、学習支援も 受けられると
大学へ向けて、大きな励みになると思います。
今まで 約110ヵ所もの、病院を周って来ても
(精神科、メンタルクリニックも含む。)
医師達の大半は 首を傾げてしまうだけが ほとんどの反応でした。
横浜市に 引っ越して来てから 診察を受けた、
10人の医師には
「前の 形成外科医が執刀した、かなり特殊な
手術方法さえ 判明すれば
修正手術は 可能だと思います。」との事を言われました。
微かですが、少しずつ希望が 見えてきた様な気がしています。
日常的に通える居場所も どこかで 見つけたいと考えています。
毎日の様に 出かけられる場所があれば、
規則正しい生活を 送る事ができて、
日常生活も 安定してくると思うのです。
横浜市に来てから、都築区にある
「 ユースプラザ 」という、社会に上手く 適応できない
若者達を 支援してくれたり、交流する事ができる、
若者の居場所を見つけて 通い始めました。
僕の暮らしている 戸塚区からは、
横浜駅まで 電車で行き、地下鉄ブルーラインに乗り換えて
しばらく 閉鎖的な暗闇の中で 揺られ続けて
約50分間も かけて、
ようやく たどり着ける場所にありました。
徒歩の時間も含めれば、約1時間半も かかってしまいます…。
なので、今年になってからは
他の様々な事などで 疲労が溜まっていた事もあり
たったの数回だけしか 通えずにいました。
痛みの疲労の事も あるので
なるべく身近な場所で 数多くの人達と 交流 出来たり、
通える居場所があれば とても便利で助かります。
20~30代の若者たちが たくさんいる 写真サークルや、
読書サークルなども いくつか 見つける事ができたので、
今は コロナの影響で 活動は少ないのですが、
落ち着いてきたら 積極的に参加していきたいと思います。
痛みの障害が完治して ようやく 大学に入学できても
今まで 教育を受けてこなかったので
勉強が まったく、ついていけないという 問題があります。
12歳から 高校の一年間しか 教育を受けていないので
中学、高校、合わせて、6年間も学校に通って
毎日、教育を受けられて、人生経験も学力も
僕より 5年間も上の 恵まれた子供達に
勉強がついていけずに すぐに取り残されてしまいます。
大学生にも なれば、教科書や
テストの問題の文章が 難しい漢字が多く、
読み書きするだけでも 僕には 大変な苦労です。
ブログの文章は 平仮名で書いても
自然に ワード変換されるので、助かっています。
なので 入学してからも、しばらくの間は
様々な学習支援が 必要になると思います。
23年間の疲れをとるために、身体を
ゆっくりと 休ませたいのですが、休息もできずに
すぐに 他の学生たちに 追いつくために、
何倍も 勉強しなければなりません。
奇跡的に 回復してからも
今度は 23年間もの歳月の遅れを取り戻すために、
休む間もなく 他の学生達よりも、
はるかに 努力していかなければなりません。
頑張りすぎて すぐに 体を壊してしまうと思うので、
これからは いつも そばで支えてくれる、
家族の様な存在や、大切な人達、
困った時に いつでも相談に乗ってくれる 大人達も
いてくれると嬉しいな… と 感じています。
一日一日を ひたすら 充実させて、
23年間 我慢してきた分、思いっきり 遊んで、
思いっきり 人生を楽しんでいく事が
失ってしまった月日を 取り戻していくだけではなく
自分自身の 壊れてしまった心も
取り返していく事ができる、唯一の方法かなと 思っています。
僕は どうしても、自分が生まれてきた意味を 知りたいのです…。
生まれてきた意味を 知らなければ、これまでの
痛みと孤独だけだった月日に、耐え抜いてきた理由は
なんだったのだろうか… と
未来永劫に 自問自答する日々になってしまいます。
ある 漫画の台詞に、
「人は 良い思い出を作っていく為に 生きている。
良い思い出があるから、人は 生きてゆける。」
と 書かれていて、つらい過去ばかりの
僕の心に 深く 沁みわたりました…。
これから治療法を探して、また、辛いリハビリや
手術に 耐えていく日々になるので
いつもそばにいて 看病してくれたり
励ましてくれる人達が いてくれると 、
どんなに 激しい痛みに襲われても、頑張って行けると思っています。
どうか、僕の闘病記に わずかでも 共感して頂けたら
そばにいて 支えてくださったり、応援してくださると
心から嬉しいです。
なるべく ご迷惑をおかけしない様に
僕も 自分の意思で できる事は
精一杯、努力していきますので
どうか、よろしくお願いいたします…。
いつの日か、顔も 元に戻り 子供の頃の様に 元気な姿で、
短い期間でいいので 北海道に帰郷して
良い思い出を いっぱい作って、
悲しい過去の記憶を 幸福に満ちあふれた記憶に
塗り替えていけたらいいな…。、と想っています。
元気に 立ち直った姿で
お父さんと お母さんの お墓参りに行き、墓前で
「僕は 幸せな人生を 送っているから
もう 心配しなくても 大丈夫だよ。」 と
伝えて 安心させてあげたいです。
きっと、まだ僕の事が 心配で
どこかで 見守ってくれていると
北海道から 遠く 離れていても 感じています。
一日も 早く 両親を安心させて、
元気になった姿を 見せてあげたいです…。