大人になってから 慌ただしい日々の中で

晴れ渡る青空を 見上げた時… 

たまたまつけたラジオで あの頃の

懐かしいメロディーを耳にした時…

 

ふと 10代の頃を振り返る経験は

誰しもが あると思います…。

 

その時 思い返すのは 仲の良い友人達と

過ごした放課後の時間や 好きな人と

目が合うだけで ドキドキしていた、

思春期特有の甘酸っぱい思い出でしょうか。

 

 

それとも 友達と些細な事でケンカしたり

部活動で 先輩との上下関係が

上手くいかなくて 悩んだり…。

そんな苦い思い出ばかりでしょうか?

 

この記事で お話するのは 

僕が中学校を不登校になった、12歳の時 

出会った、ある映画作品の舞台になった街の事です。

 

 

もう20年以上も前になりますが 

94年に公開された、スタジオジブリの

アニメ作品「 耳をすませば 」を

覚えていられるでしょうか?

 

原作は 短期連載されていた、

少女コミックで あのスタジオジブリが 

少女コミックを映画化するのは

どうしてだろう?と 当時

戸惑った方達も多かったと思います。

 

 

僕が この作品の本当の魅力に気付いたのは 

思春期を迎えて 心が繊細になり 

中学校を不登校になった頃でした。

 

それからは 30代になってからも 

僕にとっては、何ひとつ経験できなかった 

学生時代を 甘く切ない、

素敵な思い出として 記憶の中に

甦らせてくれる 宝物の様な作品になっています。

 

作品については 

他の記事で詳しく語っていきたいと思います。

 

 

この記事では 物語の舞台になった

多摩ニュータウンについて

街の誕生から 語っていきたいと思います。

 

多摩ニュータウンは東京都南部の

多摩丘陵に位置する、八王子、町田、

多摩など 4市に広がる地域です。

 

 

戦後の都内の住宅建設が 無秩序な

乱開発によって 拡大していく中

都市部の喧騒から離れた、緑が多い居住環境の

良い宅地を 発展させていく事を目的として 

昭和40年に「 多摩ニュータウン 」の

計画が決定し、46年から

本格的に入居が始まりました。

 

平成の時代に入ると 多機能型の

ニュータウンとして 発展していき、

現在は 多摩センター駅を中心として

人口22万人を超える、

多摩地域の複合拠点になっています。

 

 

都心部への移動手段として 

京王相模原線と 小田急多摩線があり

多摩センター駅から 新宿まで

約30分ほどで 行くことが出来ます。

 

( 僕が15歳の時 一人暮らしを

していたのは、ちょうど 京王線の

中間辺りにある 仙川駅の近くの学生寮でした。 

 

新宿駅と多摩センター駅、両方とも

快速に乗れば 15分ほどで着く事が

できたので 交通は便利な場所でした。)

 

 

また、多摩センター駅から 多摩地域の

北方向への新たな移動手段として

多摩都市モノレールも開発され、

「 耳をすませば 」の主な舞台になった、

「 聖蹟桜ヶ丘駅 」や 立川駅までの

交通も 大きく移動時間が短縮されて 

便利になりました。

 

それに合わせて 駅周辺の大型商業施設や 

図書館など 様々な施設も発展していきました。

 

 

高度経済成長期の 大規模な

住宅開発によって、都会から離れた地域に 

自然と地形をいかした、同じ様な

ニュータウンが 日本中に創られていきましたが

時代の流れと共に 深刻な問題も抱えていきました。

 

団地住宅が多く、建設の時期も

一定期間に集中してしまったため、

ニュータウンの開発後 すぐに入居してきた、

子育て世代の住人達と共に 

街全体の老朽化が 早いという事でした。

 

 

昭和の頃に始まった、団地建設ラッシュの中で 

育った子供達は 大人になると 

大学進学や就職などの理由で 都心部に移り住み、

そのまま帰ってこない事が多く、

残された住人たちの高齢化だけが 

時の流れと共に 進んでいきました。

 

団地の老朽化も問題になっていましたが 

ニュータウン全体の開発期間が 

長期に渡っていたために、地区によって 

高齢化、老朽化の問題の程度は

違ってくるみたいです。

 

 

74年に発生した「 オイルショック 」によって 

高度経済成長期は終わりを告げ 

大都市で 乱立が進んでいた住宅需要は 

一気に 冷え込んでいきました。

 

住宅販売が不振になり 社会情勢が

大きく変わっていく中、多摩ニュータウンは 

「 早く安く、計画的な都市と住宅を与える。 」

ことから「 時間をかけて 

住み心地の良い 理想的な街を創る 」ことが

求められていく様になりました。

 

 

中心部として機能している、多摩センター駅前には

「地区センター」と「都市センター」の 

二か所に分かれた 商業地域があり

「都市センター」には 百貨店など

都市型商業施設、「地区センター」は 

ケーズデンキなど 量販店をメインとした、

郊外型商業施設が 数多く立ち並んでいます。

 

その他には ベネッセコーポレーション本社、

京王プラザホテル、ワーナーマイカル・シネマズ、

イトーヨーカドーを核テナントとする、

丘の上プラザなどがあります。

 

 

美しい町並みの景観から、よく映画や

テレビドラマ、音楽のミュージックビデオの

ロケ地としても 使われています。

 

「 耳をすませば 」のほかにも、

ジブリアニメ作品では

「 平成狸合戦ぽんぽこ 」が、物語の舞台として

多摩ニュータウンの街が描かれています。

 

この街が 僕にとっては、初めて訪れた

15歳の頃から、もうひとつの故郷の様な 

特別な存在になっています。

 

 

 

心の居場所、本当の自分でいられる居場所…。

人生の困難の数々に 疲れ果てた時、

いつでも優しく迎え入れてくれる 心の居場所…。

 

「 耳をすませば 」ファンでなくても、

この街に来て 僕と同じ様な想いを

抱いている方達は 数多くいられると思います。

 

この街で 僕は12歳からの学校生活を

送りたかった…と 今でも思い続けています。

 

 

きっと こんな僕でも、「 耳をすませば 」の

ワンシーンの様な素敵な思い出が 

ひとつ、ふたつくらいは経験できたのかな、と

多摩センター駅に降りる度に ふと思ってしまいます。

 

 

24年間の歳月の中で、

心と身体に刻まれていった 深い傷跡も

大きな闇に どす黒く塗りつぶされていった、

僕の心も 何もかも きれいに洗い流されて

真っ白だった頃の自分に戻って

また 一から人生を始めていける様な…

そんな気持ちを抱かせてくれる、第二の故郷です。

 

 

「 聖蹟桜ヶ丘について。 」

「 多摩センターについて。 」のブログで 

この街の事を もっと詳しく語っていきたいと思います。

 

耳をすませばの物語との出会い、

多摩ニュータウンの街と共に 

成長していった、僕の心の思い出も書き綴ってみたので

ご迷惑でなければ、お時間のある時に

ぜひ 読んで頂けると嬉しく思います。