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 石楠花の塔、鉄山避難小屋と胎内岩の中間にある。石積みの塔の先端に飛行機のプロペラが二本差し込まれている。1958(昭和33)年、12月11日付朝日新聞『訓練飛行のため宇都宮基地に向け宮城県名取郡岩沼町の航空自衛隊矢ノ目基地を、10日午前11時14分飛び立った同自衛隊宇都宮第二操縦学校のT6G型単発複座52-0056練習機1機が、15分後福島県上空からの無電を最後に消息を絶ったと宮城県警本部に同日午後3時ごろ同基地から連絡があった(以下略)』。12月18日付河北新報『さる10日、航空自衛隊仙台基地(宮城県岩沼町矢ノ目)から宇都宮基地に向かう途中、福島県上空で行方不明になった航空自衛隊第二操縦学校宇都宮基地のT6型練習機=山川稔二尉(32)、中村俊栄二曹(22)搭乗=は、17日午前10時25分、福島県安達太良山系の元山と箕輪山間の山腹に墜落しているのを発見された』。
 塔については1959(昭和34)年5月22日付福島中央新報、『猪苗代町中の沢温泉の山岳会では去年秋安達太良連峰の箕輪山腹に衝突して飛散した自衛隊機の犠牲者の霊を弔うため、山開きの24日正午に遭難機のプロペラで作った供養塔の除幕式を行い自衛隊でもこの日飛行機から花束を降下して忌き同僚の霊を慰める』。
 T-6という飛行機は『原型は昭和13年にアメリカのノースアメリカン社が作ったもので、すぐ米陸海軍の制式機に採用され、戦時中に大量生産が行われた。航空自衛隊へは昭和30年1月以降に55機が供与され、松島・宇都宮などで中間練習機として長い間パイロット養成に使用された。(航空情報、写真集自衛隊の航空機、昭和44年7月10日発行、写真とも)』福島市の陸自荒井駐屯地にも灰色一色に塗装されて展示されていた。二本松工業高校にもプログ管理人が在籍していた当時、貸与されて展示されていた。

追記 2011-11-02、毎日新聞福島版の新聞記事、1958年12月19日。
同日付で福島民報などにも掲載されている。

追記 2013-01-17、石楠花の塔 建設時の福島民報記事、
http://blogs.yahoo.co.jp/wmoth155/23946913.html