塔については1959(昭和34)年5月22日付福島中央新報、『猪苗代町中の沢温泉の山岳会では去年秋安達太良連峰の箕輪山腹に衝突して飛散した自衛隊機の犠牲者の霊を弔うため、山開きの24日正午に遭難機のプロペラで作った供養塔の除幕式を行い自衛隊でもこの日飛行機から花束を降下して忌き同僚の霊を慰める』。
T-6という飛行機は『原型は昭和13年にアメリカのノースアメリカン社が作ったもので、すぐ米陸海軍の制式機に採用され、戦時中に大量生産が行われた。航空自衛隊へは昭和30年1月以降に55機が供与され、松島・宇都宮などで中間練習機として長い間パイロット養成に使用された。(航空情報、写真集自衛隊の航空機、昭和44年7月10日発行、写真とも)』福島市の陸自荒井駐屯地にも灰色一色に塗装されて展示されていた。二本松工業高校にもプログ管理人が在籍していた当時、貸与されて展示されていた。
追記 2011-11-02、毎日新聞福島版の新聞記事、1958年12月19日。
同日付で福島民報などにも掲載されている。
追記 2013-01-17、石楠花の塔 建設時の福島民報記事、
http://blogs.yahoo.co.jp/wmoth155/23946913.html