こんばんわ。

 

「誕生日クーポン」的なやつにまんまと踊らされているスタッフの飯塚です。

 

「20%オフ!」とか、「期間限定ポイント1000ポイント付与」とか。

あの手この手ありますよね。

もったいない、と思ってしまう質であるうえに、欲しいものは無限にあるので、まんまと乗っかります。

 

さて、速水から投稿依頼が来たので投稿します。

前回、昨年度の卒業生宛に、との速水からの依頼で15年ぶりに投稿しましたが、また次の指令がこんなに早く来るなんて。

 

きっと速水は引退までに350投稿してくれることでしょう。

 

 

さて、空や孝太郎は久しぶりの投稿?ということもあり自己紹介してましたが、私は12月の投稿でさらっとしているので、そこでは書いてないところを補足します。

 

2007年に醍醐監督とともに早稲田大学に入学し、学部生として4年間、修士で2年間、博士後期で3年+1年、そしてそのままスポーツ科学学術院の助手、助教と13年間も所沢キャンパスにいました。

 

入学した2007年当初、なんなら受験で所沢キャンパスへ来た2006年11月、こんな人生を送るなんて夢にも思ってなかった。

そもそも水球を続けるなんて受験した時は思ってもいなかったですね。

 

当時はただスポーツ科学部に入りたくて受験して、大学では水球を続ける気はなかったです。

といういのも、私の出身校である城北から大学でまで水球を続ける人はほぼいなく、僕が被っている先輩で続けている人はおらず、今のようにSNSもなかったので大学水球の情報なんて皆無でした。そんな事情もあり、大学で水球をするというビジョンが持てなかった、ことも要因の一つです。

 

が、ある日早稲田に合格したことがどこでどう伝わったのか、早稲田で水球を続けていた東京(明中)の先輩から電話があり、呼び出され、、、、気づいたら入部してました。

 

あそこで電話出ていなかったら、断っていたら、、、、どうなっていたのですかね。

少なくとも、醍醐裕也監督は大学を卒業できていない、ということは確かかと思います。

 

 

今年は男子では5名の選手が入部してくれましたが、今の選択が「あのとき大学で水球続けてよかったな」と思ってくれることを、思えるような大学生活を送れることを願ってます。

(※決して私が水球を続けてよかったな、と思っているわけではありません。が、特に寮で過ごした4年間はかけがえのない時間でした)

 

文字ばっかなので、孝太郎にならって、大学1年の時の集合写真でも載せます。

当時あった「東日本リーグ」の時ですかね。

最前列6人が1年の選手です(2名が1年で辞めてしまいました。後列の女性、左2名も1年で同期です。1名は辞めてしまいました)

私ら1年が正座してますが、別に何かミスがあったとかではなく、「1年は正座」みたいな空気感だった気がしてます。時代。

 

醍醐監督だけダブルピース。

 

こんなおちゃらけた醍醐裕也が今監督として、ちゃんとしたことを言っていて、保護者の一人として感慨深いです。

 

 

そういえば、醍醐といえばこちらが時々話題に上がる伝説の画像。

当時、寮では日直がお風呂を17時までに入れて、入れたら玄関のホワイトボードに「入浴可」って書くのです。

あの醍醐裕也もたまには日直の仕事していた、というレアな記録でもあります。

 

 

ということで、飯塚の近況投稿してもこのブログにはそぐわないので、

今後も機会があれば思い出話を上げて行こうと思います。(大体はブログに載ってますが)

 

それでは