前回は朝美と別れたとこまで話していた。
・そこから大学卒業して家電メーカー?に就職してPC売場か。あの赤いジャンパー、わりと衝撃的でしたね(どういうベクトルで??)。いや…、作業服とかって案外お芝居ではたまによく着る衣装だとおもうので想定の範囲内なんだけど、PC売場のジャンパー姿ってなってくるともう一段リアリティがやばいっちゅーか。こ、こ、こんな奴…こんな奴おらんやろ……!(リアリティない方のやばさかよ)
めっっっっっっっっちゃくちゃスタイル良いね????????????????
赤いジャンパーがこんっっっっっなに見事な逆三角形で……その上にはこんなに烟るようなレイヤー効果がかかったおかおが乗って…その下にはどこから生えてるんでしょうかってくらいなっがい脚が…
電器屋の店員にこんな奴おらんで(真顔)
ワンチャン作業服の方が、深夜の期間任務のバイトリーダーみたいなひととかさぁ絶対普段なにか衆目の前に立つようなご活動をされているでしょうよみたいなひとたまにいるじゃないですか、よくよくみたらあのひとすごいイケメンやな…みたいな…笑、…だから作業服の方がリアリティの包容力が高い。赤ジャンパーは違う笑。
楽日は双眼鏡で見たので、名札の武島直貴っていう名前も見た。それを視認できたところでリアリティが増すわけではなく…、市井の人々のお召し物を着るとこのように異次元感が青天井になってしまうものなのだな…という気づきだけが得られる結果に。
・そんな赤いジャンパー、またしても兄貴のせいで配置転換になって、グシャグシャに脱ぎ剥がして「学歴なんてなんの関係もない…!」みたいなこと吐き棄てながら上手袖に投げ捨てるやつ、この一連の動作と台詞の、なんていうんですかね…トゲトゲしさ…攻撃力/殺傷能力…言いようのない危機感…みうらクンの手札にある、この怖さみたいなもの、未だに腑に落ちる理解を得られていなくて戸惑っちゃうんだけど、そういったつよい手札でこのシーンの感情を表現していることに驚嘆します。
ずっと言い続けてることなんだけど、やっぱり素のみうらクンにみられるような感じの雰囲気のひとには搭載されていないタイプのオラつきだとおもうんですよね。
…それくらい、印象的で、好きなシーンだった、ということです。

・倉庫番に左遷させられて鬱々としていたら、社長が訪れたシーン。これ5日のとき、失意のまま深く俯いて前髪が両目を覆ってる状態から、「本社の一番上のフロアの」「一番奥の部屋」「…社長?!ですか?!」みたいに言う時に、バっと髪をかきあげながら顔を上げて、おさすが…ってひれ伏してたんですど、楽日はマチソワとももうちょっと早い段階で髪をかきあげて若干顔を上げてしまっていて、伏目になってるとこから社長ですかってときに目線を上げるくらいの抑えた表現になっていて、どっちがより正しいのか/演出の意図に近いのか、ってのはわかんないんだけど、ワタシは5日のやつがものっすごい好きでね…、
・それをインターバルのときに同席のみなさんにめちゃめちゃ力説しちゃったんだけどワタシのジェスチャーがチンドン屋すぎて完全に桂三枝(いらっしゃーい)になっちゃってて、ひと笑いもらってしまった…笑なんかすいません…言いたいことだけ伝わってほしい…笑
・社長がわざわざ倉庫まで自分に会いに来てくれた、っていうのは、この後の由美子との運命に直結する(すくなくともこの脚本的には)ものだから、ワタシは5日くらいの印象値を出しても良いとおもうんですよね。
なので5日のver.も観られてよかったです。

・社長に手紙を出してくれたひとのところへ行ったら、ポストに剛志からの手紙が来ていたくだり。
・由美子に対して怒りを露わに接するのが珍しいシーンというか…、何だろうね、何かさ、そもそも心の距離が遠ければ、あんな風に感情をぶつけたりしないんだろうなとかおもって、だからこの後直貴は由美子と結婚するんだ、ってストンと腑に落ちたというかね、
・このあたりで、ワタシはさぁ、直貴はほんとうに「普通の人」なんだなぁっていうか、マジョリティのひと、大多数のひとがそうであるように、就職して家庭を持って、恋愛して結婚して子をもって、日々の日常を暮らしていく、そういう人生を何の疑問もなく望んで選んでいく、そういうひとなんだなぁ、って改めて強く感じたというか、
・ワタシがもし直貴のような境遇になったら、間違いなく拗ねに拗ねまくって隠の者として生きて、状況によっては生活保護でも受けて引きこもって一生過ごしたとおもう。別に全然それでいいとすらおもう。
・でもそうじゃないんだなぁ…とか、何だろうな…、社長が「社会的な死」っていう言葉を使っていたけれども、「社会的に生存する」っていうことへの…価値観みたいなことが…そのものさしが…ワタシには決定的に欠落しているんだろうなとおもった。具体的なことでいうと、ファイナンシャル的な信用度のことであったり、自分の年齢なりの家族構成だとかへの意識みたいなことであったり。
・そういう悟りをしみじみと得たりなどした。
・まぁこの物語では由美子が一貫して直貴にずーっと寄り添って…まとわりついて…しつこく関わろうとした結果の関係だとはおもうわけだけど…、あれ何だろうな由美子が直貴にずっと入れ込み続けてるのってあれ直貴がみうらクンのルックスをしているから一抹の疑問もなく観られているけれども、もし平均的なルックスだったら由美子は何をどうしてそこまで直貴に惚れ込んでしまっているんだろうか…まぁ…他人の好みなどわかんないわけですが…由美子にとって直貴は存在全部が運命のひとだったのかもしらんしね…そこは人それぞれですからね…
・由美子が直貴を騙って剛志と文通をしていたことに感情が噴火した後、そのままのボルテージで、「俺今日はこんなこと言うためにここに来たんじゃないんだ、お前に…お礼が言いたくて」って二度目のリミットブレイク。
みうらクンの涙はさぁ、見るひとをものっすごい力技で精神世界の果ての果てにまで連れていく、言いようのない強さを持っているとおもう。
ひとりマイナスの(=F井の)楽曲だって全部が全部そこまでの長距離航行をするものではなく、世界の色々な景色のなかに揺蕩うようなチルな音もいっぱいあるしそれも大好きだけど、やっぱり醍醐味としてはあの圧倒的な音量(大きさだけなくもはや質量さえ感じるようなあの音の量)で世界の果てまで/この世の終わりまで旅をさせられる、それが代えがたいカタルシスであって、ライブはあれを体験するためのアクティビティだった。だからあれは絶対欲しかったし、もちろん演者側もあれが自分の最強の武器だってことも知ってて演ってたとおもうし、
みうらクンについても、(もういちいち書き出すと止まらないので割愛するけど)ほんっとに色々なことができて魅力たっぷりあって何を見ても満足できるけど、やっぱりこう…何ていうか…あの泣きっぷりを観ていると…言いようのない不安というか…自分の眼前が突然裂けて世界の最果てに直面してしまったような…見ちゃいけないものを見てしまったような…知ってはいけない世界の理みたいなものを…突然剥き身で目の前に突きつけられたような……
twもしたけど、それは言い換えればストリップのような背徳感にも似ている。そうね、剥き身の魂を突然目の前に生々しく晒されて、裂けた血肉、誰のものも見たことすらない魂そのもののグロテスクな外観、噴き出す体温、咆哮、
見ちゃいけないものを見せられている…、
でもさ、それが、表現ってものなんだろうとおもう、芸術なんだろうとおもう。
エロスが下賤でカタルシスが高貴とかそんな違いなんかないとおもう、そう云うひとはただそう思いたいだけ、どっちも本質的には同じなんだろうとおもう。ヒトの本能的な欲望のひとつのコアなんだろうとおもう。

・…だから、この由美子への号泣があった直後に、結婚出産のくだりがものすごい力業で描かれることについて、何の疑問も違和感も唐突感もなく観られたのは、至極当然のことだとおもう。まぁそうはいってもそれが当然のように受けいけられるのはひとえにみうらクンの力量によるものなので…、何だろうな…、今中途半端にF井の音の話しちゃったから、みうらクンはさぁカンパニーの作品の中に自分の能力を惜しげもなく注ぎ込むけど、F井は自分の表現ってやつに全部ぶち込んでいて、それは羨ましいな…ともおもったりなんだり。まぁ自分の純度高い一次創作を探求していけるっていうのはそれはそれで稀有な才能なので、みうらクンにそういった類の適性があるのかどうかはわかんないんですけど。ワタシはあるとおもってるし期待したいとおもってるんですけどもね。
話逸れたな。
・その、結婚出産の表現がさぁ、だからこれ初日観劇組が揃って口元ムズムズさせながら「未見のひとには初見で喜んでもらいたいから言えないけど、あのシーン、最高だったねぇ」っつってたの、ここですよね…、ここまじで最高…あまりにも粋でステキな演出…!!!!!
・2ステにピンが落とされて剛志が手紙を読む、そのピンの光などが拡がって完全には暗転してなくてほの暗い状態の1ステ階段の下手側に直貴が、さながら舞台裏での挙動そのままにものすごい大股で歩いていって、上手側の階段には由美子が、そして下手袖から?数人の女性スタッフが、黒Tに黒スラックスで、手にメイク用品が入ったカゴを持って、同じく舞台裏のように素早い身のこなしで現れて、
・家電量販店の赤いジャンパーを脱いで以降は黒Tの下に白Tをレイヤードしていた直貴、5日はほぼ歩きながらのタイミングで、黒シャツの腹をバっと引き上げて胸の前から両手を首に通して、顔を擦らないように両手で襟ぐりを押し広げながら頭を通して、白T一枚になって、ほぼ同時にスタッフのひとりが背中から白い風合いのあるカジュアルシャツを羽織らせて、シャツに袖を通しながら階段に座ってスタッフが持ってきたティッシュボックスからティッシュをとって鼻を拭って、直貴の髪をもうひとりのスタッフがバーっと搔き上げて(スタイリング剤を着けていたようですね、そう言われればそんな手つきだった)、直貴はスタッフが持ってきたカゴからブラシを手にとってオールバックに髪を撫でつけて、スタイリスト役のスタッフたちと入れ替わりに白いお包みの赤子を抱いたスタッフがインしてきて直貴に抱き渡して、それを大切そうに顔を寄せてそうっと抱える直貴、近づいてきた由美子に赤子の顔を見せて抱き渡して、もう片手で由美子の肩を後ろから抱いて、スタッフに赤子を渡して次のシーンに明転していく、
・要するに生着替えですよね……、
・見せるためではないシーンを見せている、みたいな感じが、前述の背徳感を別のレイヤーで引き継ぐかんじもあって、これもまた言語化できないような強い印象を与える、ものすごいシーンだった…、
・っていうかね、これ、結婚式なんですよね、だって直貴、白い服に着替えて髪も撫でつけて、まさしく新郎みたいなたたずまいだった。スタッフの雰囲気がまた秀逸で、だから披露宴の色直しの入場直前にドアの前でスタイリストさんたちが最後の調整をしてくれる、その空気感がそのままで、だからもう本能的にアッこれは結婚式だ…っ、っておもったんですけど、これは演出のひとがものすごい。結婚出産の説明をこんなサービス演出を伴ってこのスピードで早送りするの、ちょっとない神業だとおもう。

あのー、今これ書いてるほんの数時間前なんですけど細貝くんが配信してて、手紙の話してくれて、生着替えのシーンは演出のひとがすごくこだわってた、みたいな話をしていたようで、それを受けてあのシーンは結婚式だとおもいました!みたいなコメントが来たようで(ワタシはコメント非表示状態で聞いてたのでコメントそのものは視認してないんですけど)(しかも途中から聞いたから細貝くんが生着替えは演出のひとのこだわりみたいなことしゃべってたらしい部分は聴けてなかったんですけど)、えぇーまったくそんなことおもってなかった…みたいなリアクションをされていたので、あっそうなんだ…笑、ってなったりなど笑。でもコメントで、私も結婚式だとおもいましたーみたいなのがいくつも来たようで、みんな読解力すごいねぇー、みたいなこと言ってらしたけど、あーやっぱりみんなそう思ったんだぁーそうよねぇーあそこ結婚式よねぇー!なんかうれしー!
…ってなってたら後でおともだちからDMきてワタシがアフターで結婚式ってつってたから細貝くんにコメ投げたら拾ってくれましたっつってて、何だよワタシ発端かよ笑。そうでしょワタシも結婚式だとおもったー!…じゃないのよワタシ笑。はずかしいわ笑。

話戻りますけど。
・生着替え、直貴って書いたけど、すくなくとも着替えて髪をつくってる間はみうらクンだった。完全に、これが下手袖のパーティションの向こうでもまったく同じように準備するんだろうな、っていう表情/仕草だった。それを見せてもらえたことの僥倖よ…!
・とくに5日の肉眼で初見のときがインパクトほんとうにすごくて、ものすごい歩幅&速度で下手側へ歩いて行きながらTシャツの腹をめくって両腕ねじこんで首の前から両手を出す感じがものっすごいリアルで、しかもあれTシャツが直接顔を擦らないようにしっかり首元広げてるから、何ていうか…にーんげーん!ってかんじの手の表情なんですよ(まったくわからんが…、わかれよ…!)、それがもうものすごく愛しくてですね…、ほんっとうに最高だった…!
・ほんでサッと階段に腰掛けながらティッシュをシュっと引き出してパっと鼻をかむの、いつも言ってるけど落涙シーンの後に鼻を摘む仕草をするのと同じく、フィギュアスケーターの6分間練習の後みたいで、まじでだいすきなんですよ(まじでだいすきなんですよ)。今回はまさかのリアルにティッシュ使ってるところまで観られて…、なんならその後そのティッシュで目元だとかも拭くとこまで観られて…、ありがたみが天元突破。ほんとアスリートみたいだなっておもった。みうらクンの演技はたまに競技みたいに感じる。観劇じゃなく観戦しているような気持ちになる。

・あっと言う間にオトナ直貴になって、髪も上がってて左右のツーブロ部分がまた新鮮…ライブとかでバってやったときここがバって見えると雄み感じて萌え散らかるわけですが、チラ見えだからエモるのであって、ずっと出てる状態の動画ってのは実はあんまり見ないものなので(カレンダーとかのおしゃしんではたまによくある、なのでおしゃしんの刺激が強いわけです…)、すごく新鮮だった。そういったルックスの変化と同時に、声も一段階落ち着いたかんじになってて、時間経過をグっと感じさせて良かった。だって何も演技しないまま設定が急変するからね、それをつよめに説得力出してくれててほんと丁寧な演技なんだよなぁーっておもう。
・原作読書時からちょっととってつけた感があったんだけど、ひったくりにチャリ転かされてムスメっちの顔に傷が…!って展開、まぁさママ友だとか同僚だとかに加害されるとまた全く話変わってくるし、この後この加害者の母が謝罪に来るところから大きく物語が動くから、これはこれで他に手段はないかなぁという気もせんでもないのだが、舞台では小説以上に唐突だったので、逆転の発想ってやつですかね…。突発的なアクシデントなんだよっていうことを強調しているかんじというか。
・ここに限らず、本作ではいくつもあった急展開の切り替えを、みうらクンはがんばってまるめこんでくれてたなぁとおもいました。力業だよなぁ…難しいですよね。よく出来ていたと思います。

・加害者の母が謝罪に来たときの第一声「あんたねぇ…!」の感じ、めっちゃくちゃ父親だったよねぇ…、若いパパって感じじゃなく、もっと壮年の、社会的立場がある雰囲気の男性のような声色だった。それは決して良い意味だけではなく…、謝罪を受ける側っていう、これ言葉の選び方絶対間違ってるんだけど、立場の高い側、に自分が立っている、そういうロールプレイみたいなものを感じた。ほんでそれはきっと直貴が無意識に選択した態度だったんだろうとも思う。みうらクンの演技力はもうわかっているので、あの一言においても幾多の選択肢が手元にある中で、あの表現が選ばれた、誰が選んだかってみうらクンじゃなくて直貴なんですよね。言いたい事わかる?わかれよ(圧)
・「あんたに謝ってもらったところで娘の傷は消えませんから」…、被害者側として当然の態度を当然発露する直貴、まぁ小説もそうだったからそうなるんだけど、何だろうなぁー小説の直貴は当然そうするだろうねって感じたけど、みうらクンの直貴がそういうムーブをしているのを見ると、やっぱりちょっと、非連続性を感じた…気もせんでもない…。
まぁでも、きっとちゃんと繋がってる、時折見せる攻撃性みたいなものであったりがちゃんと有ったのでね。
それにそもそもまだワタシはみうらクンその人についてもどうにもまるめこめない要素を感じ続けているわけでね。なんでこのひとの中にこんな要素が…ってやっぱりおもってるわけでね。まぁ他人である以上そこは一生完全にはわからないものだし、そもそも自分自身についてだって冷静に向き合えば向き合うほど矛盾や破綻に気づくものなのでね
・…そんな壮大な話がしたいんじゃないんよ…笑

・ひったくり犯の母親が帰った後、3度目のリミットブレイク。直貴はほんとうに多彩な感情で泣くんだよね。みうらクン、すごい一気に攻めてるなぁーとおもう。泣きの欲張りセット。キャラクターを造形するとき、仮に他人の前で泣くタイプだとしても、喜んで泣くなら喜んだ時だけ、怒りで泣くなら怒った時だけ、悲しくて泣くなら哀しい時だけ、嬉しくて泣くなら楽しいときだけ、…だとおもうんですよね…、感情のチャートグラフは振り切れてるにしてもどこか一箇所だけ、みたいな。一般的にはそれが限度だとおもうんですけども。なのに今回の直貴くんは、喜怒哀楽全部のチャートが振り切れてる。感情のステータス値が高すぎて、全部キャップまで伸びちゃってるかんじ…。
何かそれがすごく特異というか、うーん、前述したように直貴くんって「普通の人」じゃないですか。ふつうに恋愛して、仕事をして、結婚して子供を授かって、っていうことに何の疑問も抱かず選択するパーソナリティがある、…なのに、こんっなに感情のステ値が異常に高いのが、キャラ造形としてはちょっと不思議だな…とはおもう。
いや、演劇としてはまったく問題なくめちゃくちゃ魅力的だしとにかく圧倒されるし、説得力とかいうベクトルでいうと限界ぶち破ってるわけですよ、だってこれだけ辛いことがいっぱいあって毎日泣きくれて当然って風にもやっぱり思うわけでね、
ただ現実に落とし込んで/我がごととして考えてみると、自分でどうにもならないところでこんなに決定的なハンディを背負わせられて、理不尽に次ぐ理不尽、自分の能力だとかは一切考慮されない、なんなら自分の能力を高く評価されたとて、自分以外の要素によって自分が切り捨てられる、っていう現実を何度も何度も喰らわされて、よくそれでも心を潰す/閉ざすことなく…そんなにみずみずしくやわらかい感情の感度のままで…そんなに泣くほど傷ついて苦しみ続けることができるのかと…すくなくともワタシには無理だ。
ワタシは怒りと悔しさでしか泣かない。

・なんとここまで来て、ここまでは助走なわけです。感情のピークはこの後なわけです。しかも二回もだよ。フィギュアスケートなら最後の1分間に4回転ジャンブが2種もあるかんじです(なんで雑にフィギュアに例えるの?!)
・ご遺族の家に向かって、震える指でインターホンを鳴らす、それをこっち(客席)に向いて演るので…?
さっきまでの父親感とは打って変わって、まるで青年のような弟直貴くんになっていて、彼の魂のもともとの形はこういう、突然社会にはじき出されて怯える小鹿みたいな感じなのかなぁ…と改めて回帰させられるかんじ。ほんとライド系アトラクションなんだ。座席に座ってるだけなのに周囲の景色が変わっていって、いつの間にか別のところに移動していて、気づかないうちに最後には元の場所に戻ってくる。

・最終章、剛志に最後の手紙を出して、ご遺族宅に行って剛志からの手紙を読んで、刑務所に慰問に行く、この流れが小説では特別に神がかっていて、筆が乗っているというのはこういうことか、これがベストセラーたる所以か、と感心したんですけど、
・その読書時の高揚感が、この観劇でも同じように得られたこと、5日の感想のときにも言ったとおもうけど、いみがわからないくらいすごいなぁとおもう。(語彙どうしたよ)

・5日もたいがいウェットな仕上がりだなぁーと舌を巻いていた、4度目のリミットブレイク、ご遺族に剛志が出した手紙を読む直貴、双眼鏡で見た分解像度が上がって、インターバルで感想戦をしたときにみなさんも言ってらしたんだけど、あれ台本もよくできたつくりになっていて、ページめくったとこから剛志の手紙が始まるんですよね、
だからものすごく、手紙を開けて読んでいるっていう感じが出てて、朗読劇のポテンシャル…って改めて舌を巻いた。
ほんとこの演目、演出にもこだわり感じて、すごく良いなとおもう。
話逸れた、その剛志の手紙を読む直貴、9日のマチネではページをめくる時点でもう顔をしかめて泣きながら手紙から逃れるように体を捩っていて、向き合うのが辛いっていう感情が迸っていて、剛志の声で手紙が読み進められていく合間合間にまるで合いの手のように嗚咽を漏らして、そう、ものすごく呼吸が合っていて…、でも絶対直貴はタイミングを計って声を出しているわけでは決してなくて、だってあんなに身体を折り曲げて悶え苦しみながら剛志の気持ちを受け止めていて、自分が出した最後の手紙に対しての後悔のような…、ああ、剛志はほんとうにただなんにも気づいてなかっただけなんだ、そんで突然絶縁を突きつけられて、それで自分の手紙が相手にどう受け取られていたかということを悟ることができて、そのことに本当に打ちのめされて、悲しんで後悔している、剛志は、ただ、知らなかっただけなのに、突然直貴に殴りかかられたようなもので、
でも仕方ないよね、直貴の気持ちもまったくよくわかる、批判なんか到底できない、…だからこそ、とてつもなくかなしい…、
…そのやるせなさを全部解放して、このマチネの直貴は泣きじゃくっていた、その嗚咽と剛志の朗読の息がほんとうに奇跡的にぴったり合っていて…、立ち位置的には2ステの丸椅子に下手側に内海くん上手側にみうらクンが向き合う形で座っていて、1ステの上手端に細貝くんがセンターを見る角度で立っているようなかんじかな、細貝くんの身体の向きはよく覚えてません、…だから少なくとも隣同士とかいう呼吸間でもなく、目を合わせられる立ち位置では到底なく、もちろん5日の演技とも違ったし今から語るけど大千秋楽での当該シーンは静かに震え上がるほど真逆も真逆の攻め方をしてきたので、つまりこのパターンを事前に擦りあわせていた可能性はゼロといって過言ではないんですよ、それなのに…、ほんとうに見事な間合いで…、ワタシは今奇跡を見ている、とおもった。
・ほんでこのシーン、大千秋楽では、台本のページを静かにめくって手紙に視線を落とす直貴、剛志の言葉を、微動だにしない真横顔のまま聞いていて、読み終わったところで決壊させて落涙、ご遺族が話しかけると唇を震わせて顔を見上げて苦しそうな泣き顔を見せる、もうね、決して造形的には美しい泣き顔ではないんですよ、ただ、それがそのまま魂の表情だということは同じ人間として本能的にわかるもので、そんで、そんな剥き身の魂がうつくしくないわけがない。
ほんとうに凄絶な体験をしている…、こんなところまで連れて行ってくれる、命をかけて演っている、全身全霊で直貴のこころにシンクロして、直貴の為に直貴自身として嘆き苦しんでいる、
あの、内海くんに向けた表情、丸椅子に座る腿に上半身が擦りつくくらいに体を折り曲げて、胸に拳を押し当てて、ああ、大千秋楽で発露したのは、ご遺族に向けての謝罪の気持ちだったのかもしれない、ほんとうに大千秋楽のあの表情を見て内海くんはどう思っているんだろうなぁ…って自然に思ったのでね…、あんな表情で見つめられて、暗転と同時に2ステの向こう側にハケてくわけですが、みうらクンは身体を折り曲げたまま膝だけで椅子から立ち上がって膝下だけで動いてくかんじで、階段踏み外すんじゃないかと心配になるくらい、

・剛志がご遺族に出した手紙には、あまりにもたくさんのミーニングが積載されていて、それをご遺族が直貴に読ませる、っていうシチュエーションがどうしようもなくドラマティックで…、ここまでで描かれてきた直貴の苦しみだとかが、全部合流して、渦巻く濁流となって直貴に流れ込む感じでね、
・小説読書時にその感じは最大限受け取っていたわけだけど、小説とはあまりにも違う表現を成しているこの演劇を見て、そのときと同じ感覚がそのままワタシの中に来たので、ほんとびっくりしたなぁ…、
小説とは違う、朗読劇っていう手段で、小説が描き出すカタルシスと同じ地点を目指す、それは別ルートおよび異なる移動手段で同じ山の頂を目指すような、ワタシは実は原作もののメディアミックスってのは極論そうあるべきと思っているんだなぁとまで悟らされるような感覚でね、得難い経験だった

・つい今そこの2ステで頽れそうなくらい泣いてたのに、ほんとよくここまでスンと戻ってこれるね…、ってな雰囲気で1ステ上手のパイプ椅子に座って、下手には寺尾、いよいよ正真正銘のラスト、刑務所への慰問のシーンです。
・前回か前々回に言ってたように、マチネは通路脇の席でしたので、剛志がすぐ横を通って行きました、ワタシは後列寄りだったので、直貴が客席の同じ服同じ帽子の客席を見回しているタイミングで剛志の気配を先に察した形になったんですけど、剛志、めちゃめちゃ雰囲気あった…、もう完全に、直貴の姿を舞台上に見て、直貴に全集中している、剛志だった。階段なんかノールックで、まっすぐ背筋を伸ばして、壇上の直貴を見ながら近づいていた。
衣摺れの音と気配の実在感、背が高くて体積がしっかりした男性だ、これは確実に(あの体格の)直貴のお兄さんだ…、って自然に思えた。

・マチネもソワレも、5度目にして最大のリミットブレイクで、ああ、直貴、ここまでこんなに泣いてきたのに、まだ泣き続けるんだ、きっとこの先の人生も、色々な感情に直面して涙を流し続けるんだろうな、っておもったし、その決意…、この兄と弟として、それでも生き続ける、っていう…、

・細貝くんがカテコでも、ほんで今さっきの配信でも言ってたくらい、前楽(=9日マチネ)のこのシーンのみうらクンは、比喩とかじゃないレベルでべしゃべしゃの雑巾を絞ったような有様で…、身体を折り曲げておぼつかない足元で剛志によたよたと数歩近づいて、「倒れちゃうんじゃないかって」っていう。細貝くんも心配になっちゃうくらい、はちゃめちゃに泣いておった。むしろここまで泣けたら気持ち良いだろうなってくらい泣いていた。
序盤では若干違和感ある「兄貴」っていう呼び方、この最後の絶叫ではほんとうに直貴そのものの剛志への呼びかけに聞こえて、あれもしかしたらそれこそ高校生とかになるまでは直貴は剛志のこと兄ちゃんとかなんとかかわいい呼び方をしていたのかもしらんね、あっミュージカルではにぃにぃとか呼んでたんだっけ?知らんけど、だって絶対かわいいかわいい弟なわけですよね、それがだからきっと剛志がグレたりしたあたりで無理やり兄貴って呼ぶように変えたのかもしらんね、だから序盤の兄貴呼びはしっくり来ないように聞こえるのかもしらん、…すごい所業だな…?あのーBの寺尾役のひとなのかな、ブログにみうらクンのこと「化け物でした」って書いてて、最高の賛辞…!ってなってTL駆け巡っててクッソウケた。共演者に化け物って言われてよろこぶヲタ、業が深い…笑。
話逸れたね。
そんな感じで細貝くんにも心配されるくらいほんとうに頽れそうに泣いてたんだけど、これ以上どうすればこの感情が放出できるのかっていうところまで解放しちゃってたから、ほんとこの肉体をどう扱えばいいかわからないってかんじになっちゃってるように見えて、
だからストリップだというんですよ、…そんなね、こんな姿態、これだけの数の衆目の前で晒すようなものじゃないんですよ…、ほんっとにびっくりする。
ほんでもうやっぱきっとこれみうらクンも同じ感じなんだろうけど、スッキリする笑。これだけ限界いっぱいまで泣いて、それをこっちもこれだけ限界まで見せてもらって、もうやりきった、これ以上ない、満足しかない、…っていう…。
・だからみうらクンや天使猫どもはフゥーやりきったぜぇーって充実感に満たされているというのに、細貝くんだけがえっ大丈夫??ってオロオロしてる感じが一周回って面白い笑。
細貝くん、ほんといいひとだったな…笑
カテコの感じも、配信のかんじも、何ていうのかな、ほんと善人っていうか、剛志の人の良いところみたいな印象がそのまま細貝くんのソレだったのかなーって思わせる感じで、とてもよかったです。
あのーみうらクンが終演後のtwで「圭ぃ」、って呼びかけてるのがすっごいかわいくて、このちっこい「ぃ」、あざとすぎません?????ほんででも絶対リアルでもこのちっこい「ぃ」をつけるニュアンスで呼んでたに違いないんでしょうよぉーもぉーカワイいかよぉーカワイすぎんよぉぉぉぉぉ





一応本編の感想は終わったので、今日はこのへんで…

次回、カテコと、インターバルとアフターの話などをさせてください…。