$Dr.TAXIトンデモ研究所-ツタンカーメン

 長かったエジプト調査もようやく終了!カイロまでもどりました(ホッ)!
 さて本来の調査内容は、また記事にして発表しますが、ここでは少し直接見て自分の中で納得できたことをご紹介しましょう。
 子供の頃から不思議だった事だけど、ツタンカーメン王には不幸の影がつきまとっている。18歳という若さで亡くなったことも理由の一つだが、王家の歴史が刻まれているハズの各種神殿の記録の中に、ツタンカーメンの名前、カルトゥーシュ(王の紋章のようなもの)が実に少ないのだ。
 その理由を、多くの考古学者は、若くして亡くなって何の功績も残していないからという説を語っている。でも、それなら彼の父、アクナーテンの名も抹殺されているのはなぜだろう?
 アクナーテンは首都をテーベからアテンへ換え、いくつもの神殿や宮殿を建設し、宗教改革も行っています。功績は十分のハズ。なのになぜ…。
 実はこの宗教改革が、この親子を悲劇に導いた気がしてなりません。当時多神教のエジプトでは、おもな神だけでも20以上、それぞれに捧げられる貢ぎ物で、神官達は強力な力を持っていたといわれています。この神官達の力を嫌ったアクナーテンは、多神教から太陽神に統合した神、アテン神の1神教にあらため都まで移したわけです。既得権を侵された神官達が恨まないわけが在りません。
 アクナーテンの死後即位した少年王ツタンカーメンは、神官達の圧力に屈して、都をテーベへ戻し、多神教を復活させます。さらに、ここで名前まで変えているんです。ツタンカーメンの本当の名前は、ツタンカーテン。アテン神から宗教を換えたことを示す様に、ツタンカーメンへと変わったわけです。
 そして18歳での謎の死…。
 アクナーテン王に対する神官達の恨みは強烈だったようで、王の死後、立てられた神殿、宮殿も全て徹底的に壊されています。その壊し方が本当にヒドいんです。
 ツタンカーメンの直接の死因だけを考えるのではなく、父とともに神官達と戦い、そして屈して抹殺抹消された…。そう考える方が自然ではないでしょうか?
 しかし、ピラミッドや王家の谷に在った全ての王の墓が暴かれて盗まれてしまった中で、歴史から抹消されたハズのツタンカーメンの墓だけが難を逃れ、今の時代の私たちが見ることができる事に、ツタンカーメン親子の「ざまぁ見やがれ!神官どもめ!生き残ったのは俺たちの方だ!」との笑い声が聞こえる様な気がしました。

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