AC(アダルトチルドレン)ですか?① | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

(自分を)型にはめるとは、例えば『自分は劣等生である』とか『自分は人見知りである』とか言う風に、自分にレッテル張りをして、自らの可能性を自分で摘み取ってしまう行為と言えるかもしれません。

神経症が増えている・・・

こんな記事を見て感じたことを、少し述べてみたいと思います。

 

                  画像 孤独な子供

 

十年ほど前からでしょうか。もっと前かな? 会を訪れる人に「私は神経症」です」と言う代わりに、「私はアダルトチルドレンだと思います」さらに「私はアダルトチルドレンです」と言い切る人が増えてきたように感じます。もちろん彼らは医師から正式に診断されたわけではありません。おそらく巷の本を眺めて、「あら、私と同じだわ」と感じて、自己診断したと思われるのです。

 

ある人は、「成績が下がったので学校に行きたくない」とか、「すぐかっとなってしまう」とか、「人前でうまくしゃべれません」とか、「面白くないことがあると、食べまくってしまいます」とか訴えてきます。

私たちはこんな風に、何か生きづらい事案にぶち当たった時、何となく過去のトラウマのせいにしたり、親の育て方に原因を求めたりしがちです。そんな人たちに「アダルトチルドレン」の考え方は、見事にフィットしてしまうんですね。

 

そういえば自分は幼いころ、親に殴られたよなぁ・・

叱られて、家から閉め出されたことがあったよなぁ・・

そんな断片的記憶がよみがえるたび、そうか! やはり自分はアダルトチルドレンだったのか!と、心の底から納得してしまうのです。おそらくそうした人たちが、神経質者の会を訪れてくるのでしょう。彼らもまた『自分を型にはめ込む人』なのでしょうか。

 

                画像 当たり前の日常

 

確かに現在が生きづらいのは、親の育て方に原因があったのかもしれません。しかし多くの人は程度の差はあれ、親につらく当たられた経験はお持ちではないでしょうか。もしそうだとすれば、国民全員が「アダルトチルドレン」になるはずです。

現在の生きづらさは、過去のトラウマだけではなく、成長過程での様々な思いや価値観や、考え方の変化などにより、生じてきたものと思われます。

だから過去にばかりその原因を求めることは、あまり意味のないことなんですね。

 

森田療法では、現在が生きづらいと、過去の記憶も辛いものになってしまうと言っています。

たとえば一度親に殴られた人がいます。その後の親子関係がギスギスしていると、子供はいつまでも「親にひどい目にあわされた」と思い込むでしょう。しかしその後の人生がうまくいっているのであれば、たとえ親に殴られたことが想起されても、「ああ懐かしいなぁ、親は自分のために心を鬼にしてくれたんだよなぁ」と思えるでしょう。過去のトラウマも、親との関係も、絶対的なものではないのです。

 

参考・・・「森田療法に学ぶ」、「くよくよするなと言われても」

 

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