私の子どものころの記憶と、大人になった私の育児 | 三日坊主な備忘録

三日坊主な備忘録

どうも、ジョンです。
2020年誕生男児と、2022年誕生女児の、2児の母。
子供や夫について考えたこと、自分について考えたことを
つらつらと語ります。

何か伝えるというより、自分の頭を整理するに近い。
題名の通り、毎日書くのはまだ難しい。
そんなブログです。

さて。

例によってネタが尽きてきた。

 

私が育児をするにあたっていつも考えるのは

「子供の時の私の記憶」である。

もちろん子供は私の気持ちと違う気持ちをもっている。

ただ、私が今見ているものが

「子供の時の私にはどうみえていたっけな」を考える。

 

私の記憶は、なんだかんだかなり小さい時からある。

幼稚園の年少の一つ前の学年の時に

慣らし幼稚園のような組に入っていた。

兄がいた私は、幼稚園が楽しみで楽しみでたまらず、

その組に入れて非常にうれしかった記憶がある。

 

一番昔の記憶は多分、

ケロケロケロッピの着ぐるみを見上げている記憶。

周囲には非常にほほえましい画に見えたのか

写真がしっかり残っているが

あの時の私の視界は、なんとなくうっすらだが覚えている。

 

年中の時に「赤が好きだ」と言ったら

「ええ~血の色じゃーん」と言われて非常に傷ついた記憶や

それがゆえに「ピンクが好きだ」ということにして

何事にもピンクを選んでいて、しっくりこなかった記憶、

短冊に「自動車学校の先生になりたい」と書いていた視点や

特定のお友達とだけ遊びたかった気持ちとか

そのようなことは、子育てにすごく影響を受けている。

 

どこかで書いた、学校で熱を出したときの

周囲の大人の「よく頑張ってね」という言葉の曲解も

教訓として心にずっと留めている。

大人の何気ない一言を、子供はとても重く受け止める。

 

大人になった今、その時の周囲の気持ちも

おそらく大人が言うであろう言葉もわかる。

だが、その大人の理屈とは違う思考をしていたなぁと思う。

その「大人の理屈と違う思考をしていた」と言う点は

すごく子供に対するときに非常に気にしている。

 

昔、母に「英語の「あ」って何?」と聞いたことがあった。

母は「「A」だよ」と答えてくれた。

ただ私はそれでも「違う!英語の「あ」って何!?」と

聞いていた。

それでも母は「「A」だよ」と答えていたが

もし私が同じ質問を小さい子からされたら、

母と同じ回答をしていたかもしれない。

私はこの時、

『「あり」の「あ」も、「あんこ」の「あ」も

 同じ「あ」と発音するのだから

 英語も「アップル」の「ア」や、「アンダー」の「ア」を

 表す共通の「ア」があるはずだ。』

と考えていた。

大人からしたら、んなわけないだろ、案件である。

ただ、間違いなく私はそう考えていたのだ。

そういうことがある。

子供とのやりとりっていうのは、そういうことがある。

 

だから息子や娘の「なぜ自分がこうしたか」の説明が

どんなに支離滅裂でも、

息子の世界の理屈では「そう」なのだろう。

だから常に「そうなのかー」と信じる。

息子からの(おそらくそのうち娘からも)「どうして」も

大人じゃ当然と思い疑問に思わないことも

息子からしたら「どうして」なのだろう。

息子と娘の世界の全てを理解することは、

他人である以上不可能だとは思いながらも

私は子供たちの世界をできる限りで受け入れたいと思う。

多分、子供の私はそうしてほしかったから。

 

(といいながらも、実際には余裕がないときが多い。

 余裕を作りたい今日この頃である。)