子どもを育てていると

「脅しの育児」というものにぶち当たる

恐怖でしばりつけた教えはいかがなものか、

という考えなのだが

(それ自体には私も賛成なのだが)

そこで頻繁に出てくる「鬼」とは何なのだろうか

と考えている。

 

最初に言っておくが、

私は民俗学のプロでもなんでもない。

私は今まで自分が見たもの聞いたものだけで、

勝手に考えているだけの素人イメージしかもっていない。

 

そんな私の薄っぺらい考えを言うと

鬼も、神仏も、おばけも、妖怪も、

すべて人間に中にある面のひとつなのだと思っている。

また、それらの面は、万人にとって等しく見えはせず

ある人にとっては鬼の面に見えるものが

ある人にとっては仏の面に見えることもある。

 

そして「鬼」とは、

どうしても鬼にならなければ守れない時に発生する。

いわば「鬼」は「極限の守り神」「最後の砦」なのだ。

それは神に限った話ではない。

人間も、余裕がなくなりどうしようにもなくなったら

自分を守るために「鬼」が出てくる。

ただ、だから「鬼が出ても仕方がない」とは言えない。

その鬼が出てくる前に何とかしようねー

みんなで鬼が出てこないようにしようねー

個人の努力もあるが、社会的にも制度的にもみんなでねー

というのが私の考え。

 

まぁ、この「鬼」が

すぐに自分の中だけで倒せるちっこいのから

手に負えないくらいおっきく育ったのまで、

たくさんたくさん人間の中にはいるわけなんだけど。

 

そこを基本に言うと

「鬼さんなんていないよ」「お化けなんていないよ」とは

私はどうにも言えないのである。

 

また、私自身が鬼ではないとも言えない。

本当はいけない育児であることは重々承知しているが

ここまで夫とぎゃんぎゃん騒ぎ立てて

それを見てきた子供に

「お母さんは鬼さんじゃないよ」なんて

口が裂けても言えない。

 

お母さんも鬼さんになる。

自分も誰かにとって鬼さんになりうる。

鬼さんになるつもりがなくても、なりうる。

 

「鬼さんになりそう」

「鬼さんになりたくない」

「鬼さんになってほしくない」

その気持ちは、私にとって脅しではなく事実。

 

「鬼という脅威が襲ってくるぞ」は脅しだから言わないが

「鬼という存在を生みたくない、だからやめて」は

私の信念を伝える言葉として伝えたい。

だが、これもいい方が少し違うだけで

同じことだといわれると、それもそうかもしれない。

 

そもそも「鬼がやってくるぞ」という脅しは

どういうときに使われるのか。

大体想像できるのが

「親の思い通りに子が動かない時」

なのだが、その場合の「鬼」の発生源はどこか。

 

それは親に他ならない。

親から鬼が発生してくるのだ。

 

もしかしたら、その発生源を「子」にすることが

脅しになるのかもしれない。

 

「鬼」は言い換えれば「加害」「加害者」とすると

「あなたが加害を受けるのはあなたが悪いのよ」というと

おかしいのがわかってくるのかもしれない。

加害、被害の関係では、どう考えても加害が悪い。

 

では。

親から鬼が生まれるとき、親もまた加害を受けているのだが

その加害とはいったい何なのか。

子どもに限らず、他人が思い通りにならないことなんて

至極当然のことだ。そこは加害じゃない。

 

では。

他人が思い通りに動かないことに対して受容できない

親である自分の未熟さからの加害だとしたら、

その親には未熟さが許されなかったその人の子ども時代が

あるのかもしれない。

そう考えると、加害者である「鬼」を発生させる親も

元をたどれば被害者ではないのか。

ああ、加害のループってこういうことか。

 

やっぱりそうなると

私が子供に伝えたいことは

「お母さんも子供たちも、誰かにとって鬼さんになりうる」

「お母さんは鬼さんになりたくない」

「子供たちも鬼さんになってほしくない」

その気持ちのもと

「あなたのその行為は「鬼さん」を生むよ」

「その行為はなぜこの人の鬼さんを生んでしまうのか」

を明確に

「だから、やめてね」

をして、加害のループを断ち切りたい。

 

のだが。

 

既に大きく育った鬼を脳内に何匹も飼っている私には

この現象に「鬼」以外の名称が、どうしても思いつかない。

「鬼」という表現が賛否両論あることはわかっている。

だが、どうしても、どうしても「鬼」以上に

しっくりくる言葉が思いつかない。