よく泣き、よく笑う子どもだったと思う

楽天家とも言われているし

就活の頃は、吉本という切り札を

羨ましがられていたこともあり

腹筋が発達するほど笑っていた

 

泣く理由で最多のものは子どもの頃は

親に叱られてというのがトップだったと思う

本を読んだりドラマを見たりでも泣くが

どうも悔し涙が一番多いのではないだろうか

 

悲しい、という気持ちは

突き詰めれば悔しいのではないだろうか

とふと思ったのだ

 

誰かが亡くなった時などに泣くのは

もう会えない寂しさというより

もう会えない悔しさではないのか

一緒に過ごしたかった時が

失われてしまった悔しさではないのか

そんなふうに思うのだ

 

叱られて泣くのは

やらかしてしまった自分の

愚かさが悔しいのか

やらかしを見つかってしまって悔しいのか

そんなところかもしれない

 

ドラマなどで泣くのは

自分を重ねてのことが多いだろうから

辛かったことを思い出して

悔しくなるのではなかろうか

 

と考えてみると

自分、どれだけ負けず嫌いなんだよ

と苦笑してしまう

 

そして

笑うことには誤魔化しも入る

誤魔化すのは大抵、悔しい自分だから

やっぱり負けず嫌いなのだ

 

心底おかしくて笑う

ということがあまりない気がするが

それができるのは

心が純粋な証拠だと思う

心身ともにゆとりがあるとも言えるだろう

 

そういえば

バブルの頃は

周囲をよく笑わせたし

自分もよくバカ笑いをしていた

「一家にひとり」必要だからと

私自身をレンタルしてと

よく言われたものだが

 

当時は自分にとって

最悪の黒歴史の時代だったはず

やっぱり負けず嫌いなのだろう