子どもの頃は不器用で、家庭科のボタンつけの宿題は、母が特大のボタンを用意したらしい。

が、1970年ごろのこのボタン、大きさの分だけ重く、めちゃくちゃやりにくかったのを覚えている。

親心とのギャップに、きっと先生は苦笑いしていただろう。

 

自我が芽生えて以降、いろんな事にチャレンジし始め、社会人になってからの収入と時間は殆どを趣味を含め、習い事に使った。

できることもどんどん増え、周りから褒めてもらうことも出てきたが、その度に母は、ちっとも収入につながらない器用貧乏なのだと返答し続けた。

確かに仕事にはあまり活かされていなかったし、零細企業のしがない従業員だったこともあり、私にとっての器用貧乏は、「いろんなことができて役には立つけど自分の実益にはつながらない人」というイメージに変わっていった。

 

先日、器用貧乏なアニメの主人公のことを

「ちっとも器用貧乏じゃない」と言う息子に、

「色々できるけど役立たずっていう設定でしょ?

 器用貧乏って、できるけど収入につながらない人のことだから合ってるのでは?」と返し

「それは貧乏に引きずられすぎ」と指摘された。

そういえば、中途半端に色々できて役に立たない人のことだったと遠い昔に習ったことを思い出したのだった。