帰ってきた?言葉遣い師

帰ってきた?言葉遣い師

 その昔、「言葉には言霊(ことだま)が宿る」と言って使い方を慎重にしていたと言います。

 主に日本語の色々をつれづれと、考えてますが…

 
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 凄く久々の登場…って14年ぶり?? 存在を忘れかけていました(笑)

 最近テレビなどのメディアでしばしば聞かれる「○○で、しょうか?」という語り表現。
 誰が言い出したか知らないが、気になる。というか耳障り。
 強調のつもり(?)で誰かが言い出したのだろうが、
 音声を大切にするラジオですら耳にするようになってしまった今、もはや市民権を得てしまったような感も無きにしも非ずだが、私には耳障りでしか無い。
 おっさんの戯言と笑わば笑えだが、どう考えてもおかしい。
 言葉の成り立ちからは言い切りの「~だ」の丁寧語である「~です」、「~だろう」の丁寧語である「~でしょう」のはず。
 なぜ「で」で切る?
 「~でしょう、か」が正しかろうに。
 少なくともフォリナーには説明できないな。

 出来ればやめて欲しいが、それは無いだろう。

 誰か納得のゆく説明をしてくれないものか。たぶん納得しないけど(汗)。
 「変切り」とでも言えるこの表現、誰かルーツコーナーとかで特集してくれないかなぁ。チコちゃんとか。歴史も浅いから直ぐ分かるんじゃ無いかな?

 言葉は移ろいゆくものではあるが、今のところ自分の中で耳障り度は「スゴイ楽しい」と2大巨頭。
 ですますに関しては「楽しかったです」という表現も小学校に入ったときから違和感しかなかったのだが、これはまた別の話…


  また思いついたら忘れた頃に来ます(笑)

 料理人調理師。同じ様な呼び方だけどニュアンスは違う。

 実は"料理"は「物事を処理する」時の用い方が本来の物らしい。純粋に cooking としての技術としては"調理"になるようだ。 つまり、調理料理の一部ということか。

 確かに、調理して出てきた物は"料理"と呼ぶが、料理を造る台は"調理台"であって料理台ではない。 技術職としての"調理師"免許はあるが、流れの"料理人"は必ずしも免許云々をいわない。
 そもそも"調理師"には都道府県知事の許可が要るということだから、「流れの調理師」というのは理屈の上でも考えにくい気がする。 しかし、町の料理人とか△△町自慢の料理人とかは居る。だけど家庭の主婦だったり、どこかのオヤジだったりもする。これは調理師免許には関係ない。

 一方で「料理長」と言うことはあるが、「調理師長」というのはあまり聞かない。(専門的にはあるのかも知れないが、素人の私は知らない)
 では、「調理は技術」で「料理は芸術」か…とまで話をもっていくと、それは飛躍のようだ。ただ、若干近い気がする。 というのは料理長は往々にして調理のみならず、接待やレイアウトまで責任を持つということだから、これは芸術の域になるのかも知れない。 だから「"料理"長」なのだという気がする。
 もしこの読みが当たっていたとしたら、調理馬鹿は決して料理長になれないのかも知れない。 つまり料理を造るのが好きなだけでは料理長になれない。うーむ、一理あるかも知れない。

 そういえば、その手の話やマンガを時々目にすることがある。 もしかしたら言外にこの事を表現していたのだろうか? いや、みんな表現していたけれど、私が判っていなかっただけなのだろうね。


 さぁて、次回はどんな言葉を料理してみようかしらん(笑)
 基本的な言葉で同じ意味を示す方言は各地にあるものの、何処でも通じちゃう分、気を付けなきゃいけない言葉の一つ。
 世の中には「アホと言われる方が傷つく」人と「バカと言われる方が傷つく」人とが居るので要注意なのだ。
 「アホな事してくれたな」と「バカな事してくれたな」、「んなアホな」と「そんなバカな」のニュアンスは場合によっては違って伝わるのである。

 エリアでざっと分ければ、関西弁文化圏は「アホ」の方が軽いニュアンス。でもその他の地域は逆が多いかも。

 主に出身地で決まってくることが多いようなので、この辺りは"アホバカ分布考"なる本が結構役に立つ。
 ところが面白いもので、(言語)文化圏で違ってくるだけでなく同一地域でも個人個人で違うことがある。このあたりは小さいときに育った環境の方が大きく影響してくるのかも。

 因みに漢字で書くと"馬鹿"と"阿房または阿呆"らしい。
 "馬鹿"はサンスクリット語が語源だとか、"阿呆"は中国語由来だとか諸説あるみたい。何れにせよ当て字なんでしょうけどね。

 調べてみると、結構面白くて深いっす。
  言葉は"言の葉"すなわち"事の葉"あるいは"事の端"だという。
 「言葉のニュアンスの違いというのは、実は馬鹿にしてはいけないのだ」と知り合いの言語学者の卵は言ってた。
 相手が言語学なので話題は日本国内に留まらず、世界の言語にまで広がるんだけどね・・・
 彼曰く「言語の背景には少なからず思想が介在しているので、言葉での中傷は相手の人格否定にも繋がる」んだそうだ。
 また「本当の意味で言葉を修得するには、その言語を使う人々の生活習慣や風習・思想までも習得しないと駄目なのだ」とも言っていた。
 私(達)は言語学者じゃないから、そこまでの注意は要らないだろうけど、知らず知らずのうちに他人を傷つけないためにも(あるいは逆の立場でも?)言葉の使い方は知っていて損はないと思う。
 ということで、ここでは「相手の立場」という点を少し念頭において「言葉」を扱ってみようと思ってみようと企む次第で…
 その昔、「言葉には言霊(ことだま)が宿る」と言って使い方を慎重にしていたと言うから、この辺りの発想は過去には当たり前のことだったんだろうけどね。