去る10月6日、自分は王先生へ拜師し、武当三豊自然派第二十七代(祥字輩)、並びに武当玄武派第十六代(微字輩)となった。

傅振嵩伝八卦掌・武当傅家拳と共に、武当派の教えを広く伝え広めていけるよう努力しようと思う。

 

拜師

当日、いつもは自分だけで向かう練習場所へ家族を同行した。1時間程練習すると師母がやってきて練習場所を抜け、王先生のご自宅へ向かう。

 

師母より儀式の流れを説明していただき、その場で拜師帖を書く。拜師帖は門派や先生によって書き方が全く違う。広州で文龍先生に拜師した時は自分が先生とどうやって出会ったのか、今までどのように学んできて、今後自分がどうしていきたいのかなどを自身で考え作らなくてはならなかった。王先生のところでは拜師帖に記載する内容は全ての入門者が同じ内容で統一されているので、それを書き写すだけでよく、ペンや筆の区別も必要とされなかった。

具体的な内容、書き方などは門内のことなので公には出来ないが、大まかには先生に入門し三豊自然派の門規を守ります、といったごくごく普通のものだ。

最後に自身の名前と日付を記して書き終える。拜師帖は自分が書いたものと王先生が書かれたもので2通同じものを作成して自分の分を王先生が、王先生の分は自分が受け取る。

拜師帖の準備が終わったあと、ご自宅の一室を使わせていただき表演服(正装という形で)に着替えて会場へ向かう。兄弟弟子達は早めに練習を終え会場の準備を手伝ってくれており、特に李励坤師兄が拜師式後の宴会でのメニューなど段取りを、黄偉華大師兄に司会進行を行っていただいた。

 

 

三拜九叩

朝練習に来た段階で、まず王先生より武当派における正式な挨拶の仕方を教わり(武当太極拳の中に気功法として取り込まれているが、説明を受けなければそれが挨拶だと分からない)、その後式が開始される前に偉華師兄から武当派における三拜九叩(拜師時に行う礼の仕方。3回立って頭を下げ(三拜)、そのたびに跪いて頭を地面に3回つける(九叩))を教わった。三拜でも武当派の礼式を用い、九叩で跪く際の所作にも特徴がある。

広州で拜師した際は、九叩が無かったと思われる(多分三。広州は習っていた期間も滞在した時間も長かったので思い入れが強く、感情をコントロールできず涙が止まらなくなってしまってあまりよく覚えていない...。現場は映像でばっちり取られていたが、恥ずかしくて見返せていない)。

 

拜師式

王先生へ正式に入門している兄弟弟子が先生の座っている椅子の両隣にずらっと並び、偉華師兄の合図によって自分が入場する。拜師帖を読み上げたあとで、三拜九叩を行った。三回目の三では、地面に頭をつけたまま自分では立ち上がらず、先生が自分の肩を抱えるようにして起き上がらせてくれる。そのあと紅包(入門の際に師へと渡す礼金)を渡し、お茶を渡して飲んでもらう。最後に証書と先生側の拜師帖、並びに三豊自然派の資料などをまとめた書籍をいただいて終了した。

緊張はしたが、広州の時のように取り乱すことはなく無事終了することができた。

 

王先生と師母、家族と一緒に

 

師兄、師姉達と共に

 

分かりにくいが、証書の上の方にはみ出ている黄色い紙が自分が保管する拜師帖

 

        左2冊は香港で販売されている太極拳の本。右の大きなものが非売品の内部資料で飛龍剣の歌訣などが掲載されている。

 

拜師宴

事前に「万事如意(何事も皆うまく思い通りになるという意味。白酒でも茅台、国窖などと並ぶ有名どころの五粮液系列。1本だけ五粮液を買って出すより、縁起の良いものの方が喜ばれるだろうという妻のアドバイスで系列の酒に決めた)」というおめでたい名前の酒を2本準備しておいた。師兄弟達が持ち寄ってくれたブルーベリー酒とワインなども振舞われて楽しい時間を過ごした。

 

入門、登堂、入室

王先生からは正式な弟子となるにあたり、以下のお話があった。

 

「学生には優・良・劣の区別がある。学校の成績と同じだ。拜師をすれば皆弟子で伝人を名乗れるが、弟子にも同じように区別がある。最初は門をくぐったので入門弟子、その奥にある堂(広場)進んだ者は登堂弟子、そして室(部屋)に入る、つまり最も深いところに達した者を入室弟子という。昔の中国の家のつくりでは、門をくぐれば堂があり、その奥に室がある。比喩的に学問や技術の進歩を表しているのだ。弟子になったということは学生では優秀だったということだが、まだ先は長いのだから満足してはいけない。入室するということは、正しい弟子として師を脅かさず(習った技術で師を打つようなことをしない)正しい徳を以って、師の持てる全ての技術を与えられることを許されるようになるということだ。日本に帰っても、鍛錬を怠ることのないようにし、連絡を密にせよ」

 

余談

今回の拜師は事前に王先生や師母と何度か話す場を設けていただいてかなり慎重に決めたことだった。

慎重になる理由はいくつかあったが、特に王先生が懸念していたのは

 

中国人、華僑・華人以外で初めての外国人の弟子であるということ

日本人であるということ

 

の二つだった。

 

今まで先生は外人に教えたことはあっても、中国人、華僑・華人以外で弟子を取ったことが無い。現在武当派を名乗る門派で外国人が入門するのは別段珍しいことではないし、先生の師である自然派の張奇先生や玄武派の游玄徳も欧米系の弟子がいる。武当山の中心となっている三豊派でも外国人弟子は数多い。

ただ先生としては言葉が理解できない者(通訳を介さずに意思疎通ができない、武術的な内容を理解できない者)を弟子入りさせるつもりはないらしく、結局は縁次第だ、とのことだった。

 

 

もう一つは自分が日本人だということ。香港やマカオとの行き来も容易な広東省の大都市に住んでいれば日本人だと色眼鏡をかけられることはほぼ無い。香港人の師兄弟が多いこともありまったく出ることのない話題であったが、東北にいる同門や先生の兄弟弟子世代では過去の歴史からどうしても「何故日本人を入門させるのか?」という話になってしまうらしい。これは三豊自然派が発生地である遼寧省一帯を中心に伝えられて、あまり表に出てこなかったマイナーな門派であったことも理由のような気がする。

 

先生には拜師しなくても他の師兄弟と同じように飛龍剣や武当太極拳などの功法は教えても構わない(元々今習っている人は宗教的な理由を除いてみな正式な弟子である)と言われていたが、この縁を大切にしたいと思い弟子入りをお願いした。

 

今回儀式に招いたのは、あくまで普段共に練習して汗を流している香港の師兄弟が中心で、大々的な宣伝は行わなかった。宣伝すると大所帯になってしまい、自分に経済的な負担がかかってしまうこと(宴会の費用は入門する弟子がもつ)を嫌った先生の気遣いと、上記2つの理由からだった。

 

帯芸投師(別のものを習ってから入門する)で研究目的であった自分を受け入れ丁寧に指導して下さった先生の心意気を無駄にしないためにも、帰国後も定期的に訪中し学んでいきたいと思っている。