日曜は午前中に文龍先生のところで兄弟弟子の練習を見て、午後からは雨が降ったり止んだりして天気も良くなかったので文徳路と北京路の周りで散歩してきた。

 

広州都城隍廟

 

 

文徳路北側の終わり、中山四路との交差点の北に位置する都城隍廟(du1 cheng2 huang2 miao4)は、明朝洪武三年(1370年)に建立されて以来、明・清時代において嶺南最大の隍廟だった。現存するものは清朝の頃再建されたものだ。

※都城隍廟とは道教の二大教派の一つ、全真教の廟を指し、都市部に建立されているので都城隍廟と言う。現存するのは北京、南京、鳳陽(安徽省滁州市)、広州、西安、武功(陝西省咸陽市)の六廟。

入ったところにある、渡ると運気が上がる(変わる)という転運橋

線香は無料(寄付の形で好きに値段を選べるようにもなっている)

1920年にそのほとんどが約280mの大通りを切り開くために取り壊され、残ったのは大殿と拜亭だけとなった。その後同廟は一時住居、レストラン、工場などに使われた後放置されていた。93年8月に市の文物保護単位に認定されて、辛うじて建築物だけは残されたが、01年に使用権が越秀区管理局に変換されるまで、実験用測定器の工場駐車場として利用され、その間芸術・文化物は皆放置、或いは破壊されてしまった。

09年8月に、区政府と広州道教協会の出資によって修繕計画が立ち上がり、10年10月30日より再び廟としての活動を再開した。立地上の問題から北京路にある大佛寺と違い、こちらは増築等せず大殿と拜亭周辺の修繕のみに留まっている。

鳴らすと運気が上がるという小さな鐘楼。運気があがる鼓楼もある

 

道教の神々を描いた壁画

丁度法事が行われていた。廟内では算命(占い)をする道士もいた

 

 

 

 

南越王宮博物館

都城隍廟のすぐ隣にあるのが西漢(前漢)南越国の王宮(庭)があったとされる場所に建てられた博物館だ。南越国は元前(紀元前)203年~111年の93年間、5代の王によって統治された王国(後に前漢の武帝によって滅ぼされた)で、中国南部からベトナム北部を版図とし、広州南部の番禺区に都をおいていた。

越秀公園の向かい側にある西漢南越王博物館(こっちは王の墓で83年発見)と並んで広州にかつて王朝があったことを示す博物館となっており、世界遺産への申請を進めているらしい。

約2000年前の御園であったとされる同地だが、中は主に秦から民国までの十三朝の遺跡として井戸跡や年代ごとの地層展示から始まる。

北京路にも宋朝くらいからの「道路」が保存されていて歩きながら見る遺跡になっている。建物のスケールに反して展示内容が「道」と「井戸」メインなのですごく地味。

広くてクーラーが効いているので、観光客というより地元で涼みに来る人が多い

 

年代ごとの地層

井戸の跡

ID提示(外人はパスポート)によって無料で入場でき(広州の博物館はほぼ無料)、家から歩いて10分かからない距離にあるので我が家の散歩コースとなっている。

二階にはちょっとした展示がある。

エントランスの天井に映された御園跡の図

 

二階から下の御園跡を見ることもできる。

御園跡を抜けたところ。博物館の総面積は5.3万平米、公園として利用する人も多い

現在一帯一路(シルクロード構想)の展示は何がテーマの博物館にも必ずあるような気がする。

 

奥にも展示メインの建物があるのだが、食事にしたかったのでそのまま出てきた。

                                 北京路北側、広東省財政庁前の広場