日曜日は家族で東山口を散歩してきた。

 

広州では「有銭住西関、有権住東山(金持ちは西関に住み、権力者は東山に住む)」とか、「西関小姐,東山少爺(西関のご令嬢、東山のご令息)」という言葉が残っている。

 

明清二つの王朝の頃から、西関は長らく商売をして富を得た富豪達の楽園だった。広州商人は政治に関わることが嫌いで、官僚が西関に住むのを好まなかった。

一方で東山口は清末から民国時代にかけて軍の訓練場や広東諮議局などが成立し、アメリカ大陸で富を築いて帰国した華僑たちが家を建てた場所で、100年程の間に華僑の他、軍政、公務を担う官僚たちの居住地となった。

同地には2017年の時点で493の歴史建築物が登録されており、広州に現存する中国と西洋の合わさった低層院落式近代建築群では最大規模のものだという。

東山に口という字が付くのはそのまま「入口」という意味らしい。今でこそ広州東駅から発着する広九鐡路(広州と香港を結ぶ鉄道)も、当時は広州駅が始発で停車駅が東山にもあった。そして署前路、中山一路、中山二路、農林下路、東華北路といった道の交差する場所にあったので、東山口と呼ばれるようになったということだ。

現在東山口は越秀区に区分されているが、かつては東山区という独立した区だった。こちらは清代の頃、付近に東山寺というお寺があったことが由来している。

 

 

夕食は北京路に戻ってから。斗椒で四川(重慶)料理を食べた。東山口でも広州酒家とかあるので良かったけど、辛い料理で美味しそうな店が思いつかなかったので(笑)

中山路に洞庭(湖南料理)もあったのだが、既にかなり歩いていて戻りは息子・娘も疲れてきつそうだったので、近くのバスに乗って北京路に戻った。

地下鉄北京路駅の上にある仰忠匯というショッピングモールに入っている。1年以上大がかりなリニューアルで建物全体がほとんど解放されていなかったが、今年の6月くらいに広東料理の老舗「陶陶居」がオープンすると、次々と開店ラッシュが続き、あっという間に人であふれるようになった。

四川料理というけれど、重慶と四川って作り方が微妙に違うと思うんだよね。重慶とうたっている店の方が好みです。

招牌(看板料理)。何でも18種類の異なる唐辛子などの香辛料を組み合わせて作るらしい。写真は豚足と牛肉。エビとイカ、カエルと豚など、いくつか組み合わせがあって、メインで売り出していたのはエビとイカだったが、家族にエビのアレルギーがあるので今回は肉攻めで。

湘菜(湖南料理)でよく使われる湖南椒と、川菜で使われる花椒(生と乾燥したもの)を組み合わせて炒めたカエル。これが夫婦で一番ヒットだった。

口水鶏。安定の味