剣八法六勢譜

同譜では、八剣は左右を両儀とし、「撃」、「刺」、「格」、「洗」の四法を四象として、左右四法あるので八剣となり、また「旋」「転」「探」「摩」「翻」「」「躍」「換」を八法として、変化の中で八剣に各八法の変化をし六十四勢となる。各勢は6つの手法(招式)から出来ているので全部で三百八十四手になる。

「武当剣譜」に記されている剣譜は呪符のような簡易文字である「字」の組み合わせで構成されている。李景林の伝人達が剣譜について読み解こうとした文章を発表しているが、剣形八卦掌と飛龍剣の身法・名称に通じていなければ理解するのは難しい。もっとも、技法があって剣譜が出来たのであって、先に剣譜があったわけではない。王先生は技の変化は無限であるべき、と言っているので、384とかの数字にこだわらず、今ある技を深めながら、剣譜への理解も深めていければと考えている。

 

「字」は勢(歩、姿勢、技法を含む)を表す。

 

左右歩法(2つ)

六勢「旋風」「鳳凰」「鴛鴦」「野馬」「探海勢」「摩旗勢」(6つ)

剣母四法「撃」「刺」「格」「洗」(4つ)

ほか八法「翻」「内」「外」「」「回」「躍」「退」「換」(8つ)

の20字で構成され、十干を1~10の数字(それを行う回数)として書かれている。

 

 

具体的には、

:元の字は「左」、この字は左旋転歩法

乁:元の字は「右」、この字は右旋転歩法

:元の字は「旋」、この字は「旋風」、第1、2場

鳥:元の字は「鳳」、この字は「鳳凰」、第3、4場 ※(簡易文字は鳥の下部、れっかの部首を抜きっ取った形)

:元の字は「鴦」、この字は「鴛鴦」、第5、6場

馬:元の字は「馬」、この字は「野馬」、第7、8場 ※(簡易文字は馬の下部、れっかの部首を抜き取った形)

:元の字は「探」、この字は「探海勢」

:元の字は「摩」、この字は「摩旗勢」

手:元の字は「撃」、この字は

:元の字は「刺」、この字は刺法

:元の字は「格」、この字は挑法

:元の字は「洗」、この字は掃法

:元の字は「翻」、この字は翻法

:元の字は「内」、この字は内旋法

:元の字は「外」、この字は外旋法

:元の字は「」、この字は身法 ※(簡易文字は左のさんずいと右上「六」を抜き取った形)

◎:元の字は「回」、この字は回運法

足:元の字は「」、この字は躍步法 ※(簡易文字は部首「あしへん」と同じ形)

艮:元の字は「退」、この字は退身法

換:元の字は「換」、この字は換手法 ※(簡易文字は「てへん」と右下「大」の人部分を抜き取った形)

甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸、の10字(十干)を1~10の数字とする。

 

          

         剣八法六勢譜の一例

           

例:「厂」、「方」、「扌」とあるので、左回りの走圏をしながら(厂)、転旋風して(方)、探海勢を行う(扌)という意味だと思われる。動作と名称が一致しなければ理解できず、他門派の技術書と同じく内部資料にあたる。

 

剣譜についている各勢の図。絵心無さすぎと感じるのは自分だけだろうか...?2ポーズごとに描いた人が変わってるとか...?初版を見たことがないので、後から加えられたのかも。

日本の古武術の巻物とかにあるカエル絵やトンボ絵の方がよっぽど特徴を分かりやすく描いていると思う。

 

武当剣譜には更に、上記の八法六勢譜に書かれた八場に対応した動作説明と、174枚からなる図解がなされている。こちらの動作説明はまだ八法六勢譜より具体的でわかりやすいが、図に関しては後半になればなるほど軌道線を表現するのに苦心していたとみられるものが増え、理解するのは相当困難だと思われる。

 

一、左路青龍探爪拿雲舞術

二、右路白虎張狂作旋風舞術

三、左路鳳凰展翅舞術

四、右路鳳凰展翅舞術

五、左路鴛鴦換影舞術

六、右路鴛鴦換影舞術

七、左路野馬還郷舞術

八、右路野馬還郷舞術

 

 

もうこのくらいになると苦しい。この軌道図を理解するより、宋唯一と同じ門派の伝人に習った方がずっと早い。

 

 

おまけ:武当剣譜「剣訣八法歌」・「剣母四法」と、朝鮮勢法「剣訣歌」・「剣法二十四勢」

「武当剣譜」に記されている剣訣八法歌と、明の茅元儀が著した軍略書「武備志」の朝鮮勢法にある「剣訣歌」、

また武当剣の「剣母四法」と朝鮮勢法の「剣法二十四勢」に共通する点が見られたので載せてみた。

 

武当剣譜「剣訣八法歌」

電擎昆吾晃太陽,一升一降把身藏。

斜行旁進旋風步,滾手連環上下防。

左進青龍雙探爪,右行白虎獨逞狂。

九轉還原抄後路,空中妙舞最難當。

蝴蝶紛飛飄上下,梨花舞袖在身旁。

鳳凰展翅分左右,鴛鴦環步不慌張。

翻身劍過飛白雪,野馬回頭去還郷。

 

朝鮮勢法「剣訣歌」

電摯昆吾晃太陽,一升一降把身藏。

搖頭進步風雷響,滾手連環上下防。

左進青龍雙探爪,右行單鳳獨朝陽。

撒花蓋頂遮前後,六步之中用此方。

蝴蝶雙飛射太陽,梨花舞袖把身藏。

鳳凰攘翅乾坤小,掠膝連肩劈兩旁。

進步滿空飛白雪,回身騎馬去思郷。

 

 

 

失伝した剣法は、朝鮮勢法の内容を見るに、両手持ちで扱う長剣(両刃)のもので、「撃、刺、格、洗」四法は長剣を使う際に適した招式(というか長剣を使うために考案された)だった。

両手持ちの剣法(刀法)に関しては、戚継光が「紀効新書」内で記した「辛酉刀法」が有名だが、倭寇との闘いで日本刀、日本の剣術に苦戦したために偶然手に入れた日本の剣術三大源流とされている陰流の目録をもとに日本剣術を研究して創られたものであったので、そもそも唐代まで伝えられていたとされる両手持ちの長剣術とはその経緯が異なる。

 

 

「武備志」の中で、茅元儀が朝鮮より得たとされる「剣法二十四勢」 と、

「武当剣譜」の「撃、刺、格、洗」剣母四法を比較すると

 

茅元儀「剣法二十四勢」

「擊」法有五ーー豹頭撃、跨左撃、跨右撃、翼左撃、翼右撃

「刺」法有五ーー逆鱗刺、坦腹刺、双明刺、左夾刺、右夾刺

「格」法有三ーー挙鼎格、旋風格、御車格

「洗」法有三ーー鳳頭洗、虎穴洗、騰蛟洗

 

 宋唯一「武当剣譜」

 「擊」法有三ーー上撃、旋撃、斜撃

 「刺」法有六ーー進刺、退刺、左刺、右刺、連珠刺、換手刺

 「格」法有五ーー左格、右格、順格、逆格、沖天格

 「洗」法有四ーー平洗、斜洗、上洗、下洗

 

李景林はこの剣母四法の基礎の上に対剣十三勢を創ったが、現代でも太極剣の練習などで広く使われている片手剣で扱えるよう作ったため、共通点は見受けられるものの、長剣(両手持ち両刃剣)独自の動作は取り入れられなかったと思われる。

 

中国に唐太宗の時代くらいまで伝わっていたとされる両手持ちの剣の用法に、八卦の身法や内功法と易理による理論を加えて成立したのが武当丹派だったのか?確たる資料がないので、憶測でしかない。

「武備志」が書かれたのが1621年、戚継光の「紀効新書」は1560年、張三豊の生没年については様々な説があるものの1300年頃~1460年前後の間であるとされているので、武備志よりは古い。武当剣が古い双手剣を元につくられた可能性はあるような気がしている。

※当然、宋唯一が剣譜を作る時に武備志を参考にしたということもありえる。