宋唯一の「武当剣譜」

李景林の従弟である蒋馨山の系統では、蒋が宋唯一に長く習っていなかったにもかかわらず宋の武当剣譜をよく研究し、詳しい解説を文章として残す弟子や孫弟子が出てきている。この文章に書かれていることは、自然派に伝わる飛龍剣が、宋唯一のそれと同様のものであることをより強く感じさせる内容であったので、一部私見を加えながら意訳した。

 

 

宋唯一は著書「武当剣譜」の中で以下のように記している。

「意外にも、剣法と槍法は似ている。左手で守り、右手を槍の如く使って剣を突き出したり戻したりするが、これは皆豎勁(縦の勁)である。端的に言えば、諸般の兵器は敵に相対する時はいずれも正面か左右の3方向から攻めることになる。ただ剣法においてのみ専ら「包抄」(敵の側面或いは背後に回り込んで攻撃する)を行うことができ、敵は後ろを取ることが出来ないのである。敵の兵器が如何なる類のものであっても、両者が打ち合えば之をうまく接触して(互いの兵器を)繋げたり、遮ったりせず、之を迎えて受け入れぶつかり合い、互いに勝利を争うことになる。唯、剣法においてのみ、之を受けず遮らず、迎えず支えず、無造作に打ち込まれる一撃が命中しないことはない。これ即ち不沾青(相手の兵器を受けず)入紅門(剣を放てば一撃で仕留める)也。

つまるところこの剣術は通常の撃剣とは非なるものであり、歌に曰く「吾人学剣、習練功純、自能如妙、神乎其神、翻天兮驚飛鳥、滾地兮不沾塵」也。

※吾人剣を学ぶに、習熟して功純成れば、自ずとそれを手にし、神妙なることこの上なく(神が其れを神と呼び)、天を翻しては鳥たちが驚き飛び立ち、地を転げまわっても芥塵が付くこともない

一撃の間、あたかも軽やかな風で剣が見えなくなるような千変万化の中、敵は剣の光だけが見えこちらを認識できない。これこそ九転還原の功夫、その手に何も持たない者こそその術を得るもの也」

※剣の光だけが見え、というのは、自然派に伝わる武当剣においても剣を振動させながら動かす手法で説明される。

 

九転還原の功夫とは何を指すのか?宋唯一は先に内功を練り、後に外勇を練るとし、軽功、歩法、身法の各種訓練方法を紹介している。この功法は実際のところ剣形八卦掌の内容で、剣勢八法と太極八勢を通じ、易理原理に依って384手の技撃手法を生み出すというのが張三豊がまとめた本来の武当剣であったとされる。

 

武当剣譜に記載されている「剣訣八法歌」は以下の通り。

 

電擎昆吾晃太陽,一升一降把身藏。

斜行旁進旋風步,滾手連環上下防。

左進青龍雙探爪,右行白虎獨逞狂。

九轉還原抄後路,空中妙舞最難當。

蝴蝶紛飛飄上下,梨花舞袖在身旁。

鳳凰展翅分左右,鴛鴦環步不慌張。

翻身劍過飛白雪,野馬回頭去還郷。

 

「剣訣八法歌」は剣術における基本技法である撃、刺、格、洗の四法をまとめているだけでなく、原則として相手の動きに準じて力を利用し、虚に踏み込み隙に乗じ、空の状態を打ち込むことを妙としている。宋唯一は、「武当剣譜」の中で「九転旋璣飛舞走線図」と呼ばれる軌跡図について説明している。

璣(ji1)とは、円くない(楕円形などの)玉、数珠の意。望遠鏡が出来る以前、中国の古観象台(今でいう天文台)で使われていた渾天儀(天体座標を求める装置)のことだ。

北京にある「天儀璣衡撫辰儀」は清代に製造された八台の大型青銅製天文儀器の一つで、儀器は赤道式で、子午双圏、赤道経圏と遊旋赤道圏、二層の赤道圏といった3つの部分で構成されている。この軌道図はこの璣に例えて考案されたものと思われる。

軌道図は、実際剣を交える際に、敵を巡って(中心として)自身が公転(旋転)するだけでなく、同時に自身も自分の重心を巡って全身で自転(自転)し、飛び舞う。「九転旋璣飛舞走線図」とは、敵を中心に自分が公転しつつ、同時に自分自身も自転する軌跡図のことだ。

 

実際、丹派武当剣の歩法で自転(回転)する場合は、一つの方向とは限らず、左旋右転、右旋左転(左右へと複雑に回転、転換する)して、変化は測り知れない。身法と手法の変化によって384剣が生み出される。

剣形八卦掌が「九転還原」しなくてはならないのは、本来1対多数の状況を想定しているからだ。このことから走圏や旋転も一つの圏(円)に留まらず、左旋右転と変化を行う。「九転旋璣飛舞走線図」の走転は、自分と相対する敵の重心を中心に自身の方向を変化させることができる。

接敵した瞬間に384剣のどの剣法で応戦するのか?

「武当剣譜」ではあらゆる剣勢が全て易理の天干地支理論の変化によって説明され、技撃においてもそれは変わらない。両者が剣で対した時、互いの剣は必ず接触した瞬間一辺倒の欠けた各種三角形の組み合わせとなる。この形が所謂「犄角剣術図」だ

 

剣譜には、

犄角是三尖、三尖即兩剣。

兩剣変九転、九転天花現。

とある。

天干地支の三会局、三合局、六合局、五行八卦などの理論を利用し、接触後瞬時に相手の弱点となる角度を確認して自分の攻撃する方向と方法(剣勢)を決めるというのだ。

だから、もし剣譜に書かれている技撃思想・理論を本当に理解しようとしたら、易理の理論や知識には必須、かつ習熟していなくてはならない。まさしく道士の学ぶ剣であると言える。

自転・公転を合わせた九転旋璣飛舞走線図の運動軌跡と易理の天干地支理論こそが、丹派武当剣術の中心となる理論と言ってもよく、先人の武学理論の精妙さには甚だ驚かされる。

 

また、剣譜には

 

一圈是八卦,八卦即八步。

八步並一步,專抄人後路。

 

と、記されており、これは剣形八卦掌が走圏は最初は一圏(円)を八歩で歩くが、ある段階から一步で一つの円を回る、「一歩一圏」を要求することを指している。※この「一歩一圏」こそが、自然派の飛龍剣で多用される身法であり、傅振嵩伝の武術における旋風掌そのものでもある。

 

前述の剣訣八法歌の中には、「一昇一降把身藏」とあるが、ここの「身藏」には武当剣術における二つの特徴が説明されている。一つは身法を以って瞬時に上から下、下から上へと身体を浮かせたり沈めたりすることで、剣勢を隠し、敵の不意を打つこと。もう一つは、自然派の武当剣において代表的な動作の一つ、背身換剣を指す。右手で持った剣を身体を回しながら背中で左手に持ち換え、思いもよらない方向から相手を攻撃する。

そして多くの剣勢が昇降(上下)の、しかも螺旋の変化をするが、これは姿勢、身法に留まらず、内功、内勁の変化をも表している。内勁の変化とは、具体的には上中下三盤を合一して剣は豎勁(縦の勁)を用いる。これは背中の束展伸縮に胸の開合を加える(通常の発勁動作)ではなく、螺旋変化の勁力を加えるものだ。この勁力は霊活で多様に変化する各種剣勢の中に隠されており、外形からは力点や力線がほとんど見えず、力に依って勝ちを得るものとは全く異なっている。

 

宋唯一が伝えた武当剣(飛龍剣)は、剣形八卦掌を身法とし、双手剣を用いた八卦剣のことだ。