今月は王先生が一時故郷の方へ帰っておられ、師母(先生の奥様)が代理として教授されている。

師母は若い頃に楊式太極拳を習い人に教えられる程にまでなったが、低架の練習をし過ぎて膝を痛めてしまったそうだ。後に王先生から武当三豊自然派を習うようになり、膝は大きく改善されたという。

師母の打つ楊式太極拳は楊班の大架を想像させるかなりの低架で、表演武術とも趣が異なり、60代とは思えない。武当太極拳を打つ際も架式が低く功力の深さを感じる。

王先生の教え方は「持って帰れるだけ持って帰れ」なので、基本的に一つの授業で教わることが多すぎて、年配の学生は数回の授業に渡り、繰り返し動きを追わないとついて来れないことが多い。このサポートをしているのが師母だ。

「活」「変」については王先生からの指導が必要だが、「定」を師母から習った師兄は多い。

練習後の食事では王先生の若い頃の修行方法や、昔話など色々と聞けて楽しい。

 

 

練習はこのところずっと兵器が中心。学習は順調に進んでおりいくつかの定法については習い終わって活法に入っている。武当太極拳の定法と、養生功もやるが、専ら剣と刀だ。

傅家拳のみを専修していた時には、毎日兵器を中心に練習するようになるとは思ってもみなかった。

今借りている部屋には練習用の兵器が溢れ始めている......。

 

 

剣(八卦飛龍剣)

最初は全く剣穂が回らず難儀していた長穂剣は無事に動かすことが出来るようになり定法を終了。活法に入り、剣穂を軟兵器の身法を応用して動かしながら間に二起脚や騰空擺脚などの跳躍動作を含む腿法が組み合わされていく。技巧的な上に体力的にも負担がかかってきた。その動きはまさに「飛龍」の如くだ。

同時に、短穂または無穂(剣穂をつけない状態)の八卦剣(刃の長さが3尺(約1m)のもの)の定法学習に入った。

基本となる走圏しながらの「封」「(打とも言う)」「刺」の剣法をひたすら繰り返す。長穂をつけていた時と違ってスムーズに動ける。

 

先生曰く、

「当然だが長穂を扱える者は短穂・無穂の剣も扱える。しかし短穂・無穂しか扱えない者は長穂を扱えない。長穂に慣れれば短穂・無穂での剣の技術は大きく向上するし、上達も速い」

とのことだ。

 

刀(八卦飛龍刀)

八卦単刀、双刀の定法を修了。八卦大刀(春秋大刀のことではない。単刀、双刀は通常の刀で練習して八卦刀を用いないため、区別するために便宜的に大刀と呼んでいる)の定法に入った。

自然派では左右両手にそれぞれ兵器を持って扱うのが一番難しいため、双刀は積極的に練習するよう指導される。双刀の定法が出来るように成った後で、単刀で同じ動きを行う。「定」なので、2本が1本になっただけで身法や招式そのものは変化しない。

一方、八卦大刀は現在学習途中であるが、刀が大きくなっただけで身法については特につかえることなく進んでいる。

 

ただ、飛龍剣でも行う走圏しながらの刀の持ち替えは容易ではない。片手で刀を上に持ち上げ回す→背中(腰部分)まで持ってきて持ち手を左右換える(背車刀のような動作)のだが、八卦刀は扱う兵器の中でも結構重たいほうなので、身体の回転に刀を合わせ腕の力に頼らずに浮かせた状態を維持しなくてはならない。

 

とはいえ、八卦刀に関しては全く注意されることがなく、「八卦刀はあまり言うことがない。このまま良く練習するように」と言われた。

 

これは単に傅振嵩伝八卦掌の身法と自然派の身法が共通しているだけでなく、特に家拳が刀で使う身法を拳套・兵器共に広く応用しているからだと思われる。剣法において散々手直されるのは、家拳での剣法が刀法を組み込んでいることを意味している。

 

                                             

※当時の奉天(瀋陽)にて鍛冶屋に500大洋(現在の人民元で15万=日本円換算で約250万円)で打たせたという傅振嵩の八卦刀。もともと4尺8寸(約1.6m)の刀を求めたが、受け取った刀は5尺1寸(約1.7m)の大物だった。傅はこれを見て「天が私に与えてくれた宝刀だ!」と喜んだという。

刀の費用は張作霖より傅振嵩が擂台で活躍した際、褒美は何がいいと聞かれ、普段から携帯する兵器が無かったので「刀を所望します」と応えたところ、「これで望む刀を作るがいい」、と渡されたものとされている。

この刀はその後旧日本軍の広東侵攻の際に、広東韶関にて逃げる荷物になるからと泣く泣く置いていくことになり、日本軍に接収されたとされている。

何の情報も無く、この話自体言い伝えられたもので証拠もない。だがもし仮に現在日本のどこかの、誰かの家の蔵に傅振嵩の八卦刀が眠っているとしたら、日本人の自分が傅振嵩の伝えた武術や傅が学んだことのある武術を学習していることに何か因縁めいたものを感じずにはいられない。

 

 

 

各種旋風掌の中でも、立圓(縦回転)でスピンする動作は難易度が高い。自然派ではこの立圓による旋転を大刀で多様する。家拳で長く練習している分、剣に比べて非常に入りやすかったと感じる。

広州では八卦刀と八卦旋風刀という二つの套路があるが、何故かいずれも立圓での旋転(その場でのスピン)も、歩きながらの縦回転もほとんど出てこない。自然派ではこれを多用する。

 

初めは招式の組み合わせやその身法を紐解き、編纂者の意図するところを表現するが、やがてはそれらから異なる招式を生み出して自身を表現していく自然派の練習体系は、クラシックからジャズへと手法を変えていくような印象だ。

 

武当三豊自然派の兵器は大きく、双手(両手持ち)と単手(片手持ち)、左右それぞれに同じ兵器を持つもの、左右それぞれに異なる兵器を持つものに分類できる。兵器によって、棒の両先端に槍頭がついている双頭槍、前述した長穂剣や、軟兵器の双頭龍なども練る。

 

周囲にある物が何でも兵器として自在に扱えるようになるのが目標だ。

辺万尊為我用」の教えは、兵器にも生きている。