以下の文章は09年10月24日に振嵩伝八卦掌における同門兄弟弟子で、10年来の拳友である劉鵬ハンドル名「一画開天」が自身のブログ内で書いた内容をざっと意訳したものだ。彼は中国武術に関して、特に内家拳に関して信じられない量の情報を有しており、日本の剣術や空手、合気道などについても研究熱心でまさに歩く武術辞典。以前は広州市に住んでいたが、今は広州市と珠海市の間にある中山市に暮らしながら練習を続けている。

 

頭の痛い「平起平落」

八卦掌には「平起平落」という口訣があり、ある者はこれが「掀蹄亮掌」に対をなすものとしている。いわゆる「掀蹄亮掌」とは歩を進める過程で後ろ足の踵を上げる、または前足の脚掌(前足底とその周り)を上げることを指している。言うのは簡単だが、理解するのは難しく受け入れがたい。昔の先輩方はこの口訣を残して無責任に旅立たれた。後輩達はこの四字を囲んで思いを巡らせ、各派においても認識が異なっている。このことで論争となり、見識の浅さから顔を赤らめることになったものも多い。

師である蕭琨(振嵩の関門弟子、の得意弟子)より八卦掌の趟泥歩を学んだ時、師も「平起平落」を口にし、「掀蹄亮掌」しないようにと注意された。

その際、「歩を進める時は、できる限り前足の脚掌から先に地面を離れるように。こうすれば後ろ足の踵から足を上げるのを避けることができる。」と教えていただいた。

やってみると確かに「掀蹄亮掌」を防ぐ良い方法であった。しかしこの方法で歩き続けると、意念を常に前脚掌へと向けなくてはならず、一時も離れられなくなってしまう。かといって意識を向けなければ自覚のないうちに踵が上がって普通の歩き方と同じになってしまう。また、脚に集中しすぎてほかの身体各部への要求も疎かになってしまい、何とも頭の痛い状態だった。

 

他に、名師と呼ばれる八卦掌家の先生方の映像をネットで見たりもしたが、劉敬儒(程廷華→李文彪→駱興武)、牛勝先(程廷華→孫禄堂→李玉琳→李天驥)両先生が打つ八卦掌でも、走圏中後ろ足の踵は上がっていた。孫叔容(程廷華→孫禄堂→孫存周)先生に至っては、まるで平起平落という要求が無かったことのようにされていた。単換掌、双換掌を教える際、あろうことか足を踵から上げ、下す時も踵から、つまり普通の歩き方だったのだ。

今年の8月末、馬貴派八卦掌の伝人である陳凌(李保華先生の弟子)氏と連絡を取り、お会いした。彼は私に馬貴派の走圏を見せてくれたが、彼だけは一歩一歩「平起平落」が守られていた。私が今まで見てきた中で、唯一後ろ足の踵を上げない走圏ができる方だった。

最近では、程派八卦掌の大家である孫志君(程殿華→劉子揚、程殿華→程有生、程廷華→程有信)、白玉才(程廷華→劉斌→王文魁)両先生が示した「平起平落」に関する文章や映像を参考にしていたが、これで私は更に混乱し考え込んでしまった。

 

以下に、孫志君先生が後輩に文章の形で記した「何故「平起平落」は不要なのか?」を摘要する。

 

「平起平落」、これも古い拳譜に見られる術語だ。

歩を進める時、前足を地面と平行に降ろす「涌步」は程派八卦掌で採用されている步法である。後ろ脚の平起については、以前私も程有生先生に伺ったところ、

「もし後ろ脚の平起を学びたいなら小脚儿老太太(裹脚guo3 jiao3=纏足の老婆)のところに行って学べ!程派を超えようと奇想天外な理論を展開する者もいるが、信じがたいことにそれを受け入れてしまう者もいる。全く理解に苦しむよ」と言われた。

纏足の老婆は立つとバランスが悪く、上下に足を動かしてその場で地面を踏みしめる。

本拳の要求は、飛ぶが如く速い歩法だ。力学の観点からいえば、もし後ろ足の蹬力(踏み出す、地面を蹴る力)で身体を前に進めなければ、前足の拉力(引きよせる力)だけに頼って歩を進めることになる。では後ろ足は一体何のために用いるのか? 

これでは行歩に何の利点も見いだせないだけでなく、却って前足の拉力を弱めてしまい、前進する速度を遅くしてしまう。

にもかかわらず、ある者は後ろ脚を平起するという目的のために苦心惨憺する。彼らが思いついたのは脚を高く上げて、軽く落とすという方法だった。これを鶴形歩と名付けたが、今ではこれを行う者は見かけなくなった。

誰か平起を強調する者がいるのなら、その者は自分で一派を起こすことができるだろう。しかし学習者にいらぬ誤解を招くのでそれを程派八卦掌だと名乗ってはならない。

「「翻蹄亮掌」(掀蹄亮掌)してはならない」ということに関しても、師に質問したことがある。師は、「馬が走るのが早いのは、正に後ろ脚を「翻蹄亮掌」しているからではないか。戦争では何故馬を走らせ、ロバを用いないのか?」

言わんとするところは、程派八卦掌は歩法が早いということだ。もし後ろ脚の平起を強調したいのであれば、自分ひとりで練習すればいいだろう。

 

※馬は斜対歩、つまり現代人のように左右手足が交互にクロスしながら歩くが、ロバは側対歩、ナンバ歩きのように踏み出した足と同じ方の手が出る。

 

白玉才先生が学生達に「平起平落」を指導する様子を映像を通して拝見したが、白先生はこの要求を足に限らず、身体全体のものとしていた。歩を進める際に身体が上下に起伏してはならない、つまり踏み出すときに身体が上に動いてはならず、踏み降ろすときに身体が下に動いてはならない。後ろ足踵が上がっているかいないかは気にする必要はないということだった。

 

国慶節の時期に、蕭氏八卦掌(蕭海波が従兄の劉宝珍より学んだ八卦掌)の伝人である楊智光先生を訪ねた際、彼は蕭氏八卦掌の歩法の解説で、「歩を踏み出す時は先に後ろ脚の足先を上げるようにして、後ろ足踵が上がるのを避けるべきだ」と言った。これは私の師である蕭琨先生の話とは、必ずしも一致する内容ではなかった。

 

再度、「郭氏錦囊(梁氏八卦掌の大家で、北京三老に数えられた郭古民による八卦掌の集大成とも言われる技術書)」を読み返してみると、足に関する文章には、「進則先擡足趾,尤要先撬拇趾(前進する時は、先ず指先、特に親指から足を上げる)」(同書、転掌動静之変化の項)とある。

こう記されているものの、後ろ足踵が挙がるのを避けるためとは書いていない。

 

董公(董海川)がどのように走圏したのか、我々が見ることは叶わない。先師の弟子達が、みな自身の特徴と名字を用いて後代に伝え、各々が異なる練功法を形成していったのも至極当然のことだ。

「平起平落」について、ある派では保存されているが、別の派では揚棄(止揚)されている。地面と平行に回る派もあれば、普通に足を上げ下ろしする派もある。私は、核心となる内容が保存されているのであれば、平起平落という枝葉末節は大したことではないと思う。「平起平落」で正統性を争う必要などないのだ。「道無人。聖人不見甲是道、乙非道(道(dao)を得た者は差別、区別をしない)」、この金句(金言)を以って、同道を歩む者たちと高め合っていきたい! 

 

※道家の思想家、関子(本名:尹喜)による著、「文始真経」の第一章「宇」、の三句目、「道無人,聖人不見甲是道乙非道。道無我,聖人不見己進道己退道。以不有道,故不無道;以不得道,故不失道。」の中からの引用。