玄功とは中国語でこの上ない功績などのことを指し、「玄」だけだととどまることのない変化、遠く、見えない結果などの意味がある。また、深く、簡単には理解できない深奥な道理、深い黒という意味で玄黒という色を表す単語としても使われる。日常生活では「当てにならない」、「嘘くさい」といった良くない意味でも使うこともあるが、功法としてはむろん深奥、神妙な功法、といった意味で使われる。武当八卦掌においては、回転する功法として、旋功とも呼ばれる。※旋と玄はいずれも「xuan2」で、発音が同じ。

 

旋功

掌型は「剣型」、掌式は「丹鳳朝陽」にて構えて走圏する。円は小さければ小さいほど良いが、最初は四歩で正方形の□の角を踏むように小さな円を描いて歩く。必ずしも四歩でなくとも良いが、歩くたびに円が崩れないようにする。歩法は後もしくは平(他派に見られる泥歩)で行う。

 

 

①歩き始めたら上に構えた掌の指先(刀形(龍爪掌)で行う場合は虎口から)から目の前にいる相手を見るつもりで遠くを見つめる。(掌も視界に入っている)速度はなるべく落として歩く。

歩き出して間もなくすると眼が回り始める。相手を見ている掌は動かず景色だけが横に回転し始めるはずだ。十分に景色が回ったら単換掌を行って方向を換える。

方向転換したあと、しばらく止まって立ち続け、景色の回転が落ち着くまで静止する。この時、激しい吐き気を催すので頭、首などをむやみに動かしてはならない。首が横にしっかり回っていない(方向転換の際に上や斜めに曲がってしまう)場合も、同様に吐き気に襲われる。また、眩暈によって身体のバランスを崩してはならない。

景色の回転が落ち着いたら再び歩き始める。これを繰り返す。この段階では特に何回方向転換するとか、どれくらいの時間行うといった要求はない。身体の状態に合わせて自分のペースで行う。

 

②前述の功法に慣れてきたら、単換掌を行う時に、整圏(旋転)を行う。つまり擺扣步(単換掌中の回転なので、扣步での旋転)で整圏を行う。その場で3回旋転し、そのたびに足を着地させる。宋唯一伝剣形八卦掌における旋転方法は「半圏、整圏、満圏」で述べた通り。

旋転は出来るだけ早く行い、景色の回転が加速度的に早まるようにする。その後方向転換をし、同じように景色の回転が落ち着くまで静止して待つ。回転が加わった分、より眩暈は激しくなり、身体のバランスを保つのが困難だが、訓練を続けることで抑えることができるようになってくる。

 

③単換掌を行う時の整圏の回数を、3回から徐々に増やし、最終的に1分間で60回(1秒で1回)を目標とする。掌は①、②と同様最初から止まって見えるが、60回の旋転を行うと回っている景色は激しい回転によって1枚の印象派の絵画のようになり止まって見えるようになる。耳は徐々に周囲の音がはっきりと聞こえるようになる。旋転中は決して集中を切らしてはならない。万が一転倒した場合に備え、周囲には障害物がなく、人のいない広い場所で行うことが必須だ。地面も、摩擦の激しい場所は避けたい。

60回の旋転が終わったら、①、②と同様に静止し、景色の回転が完全に落ち着くのを待つ。①~③いずれの練習法でも、旋転中に吐き気を伴うことは非常に少ない。方向転換し静止した瞬間から景色の回転が収まるまでが辛く③が姿勢を維持するのが最も困難だ。

 

④上記①~③の練功をある程度の時間(5~10分程度続けられれば十分)行うことが出来るようになったら、練功中に掌から頭、顔は動かさず、眼だけを動かし(視線をずらす)、特定の目標物に視線を合わせる訓練を行う。回転している景色は視線をずらすことで瞬時に停止するが、歩みは止めない。

目標物に視線を合わせたら、再び掌に目線を戻して景色を回す。これを繰り返す。

スローモーションという程大げさなものではないが、同功法を通じて、走圏しつつも相手の動きがはっきりと判別できるようになっていく。

 

⑤四歩から、その場で擺扣步を行って回るようにする。より景色の回転が増し、整圏での眩暈も大きくなる。円の大きさが大きければ大きいほど、景色の回転は少ない。また、歩く速度を遅くすればするほど、景色の回転が進むのが理想である。

初期の練習では走圏の意味を理解し、小さい円(歩数を少なくして)で練習し、徐々に大きくしていくのが良い。

 

注意点

睡眠不足の時、体調がすぐれない時などは決して同功法を行ってはならない。また、高血圧、脳の既往歴がある場合は厳禁だ。吐き気がひどくなった場合はすぐに練習を中止し、暫く歩いて落ち着いてから休む。

初期は同功法を行うだけで、一日中目が回っているかのような状態になる場合もあるので、無理をしないで徐々に回数や時間を増やしていくよう十分に注意する。

 

求道者と求功者

王先生は常に練習者の年齢や習熟度によって功法を換えていかなくてはならないことを強調されており、決して功を焦ってはならないといわれている。

同功法も、誰にでもできるものではない。年配の弟子には、方法を教えても薦めてはおらず①で左右1回行う程度でやめるように注意している。

鉄沙掌などもそうで、20代~30代前半を超えたら練功に適した年齢を過ぎているため、どんなに功夫があっても教えていないとのことだった。自身の身体(内臓)を痛めて寿命を縮める可能性があるからだ。先生の兄弟弟子には実際功を焦って、練功の回数や練功すべき時間帯などを無視して練り続け、結果早死にしてしまった人もいたそうだ。

 

努力し、いち早く大成したい、功夫をつけたい、と努力する者を「求功者」と言う。

 

武当派を学ぶ者は、養生、攻防、芸術の三つをバランスよく求める「求道者」をでなくてはならず、求功者となってはならない。目標に向かって努力することが悪いわけではないが、スポーツや格闘技のアスリートのように、何か大会での成績などを求めて練習するわけではないのだから、短期間に激しい練功を行って身体を傷つけてはならないということだ。

 

無理をせず、地道に続けて功を積むことが肝要だ。