振嵩体育倶楽部
12月から、広州の傑師兄が常設の武館(道場)を開いた。

 

まだプレ・オープンで、1月から本格的に開業であるとのことだった。

 

文龍先生は、弟子の武館開設を喜んでおられ、今後土曜日の練習は場所をすべて

師兄の武館へ移して行うこととなった。

開設したのは師兄だが、館長は文龍先生がつとめられている。

 

広州では師公の武館が閉じられて以来の常設武館となるため、

繁盛し、長く存続して欲しいと思っている。

思っているがゆえに今回の開設に当たっては色々と気になったこともあったため、

改善されることを願いつつ、書いてみようと思う。

※当人にはすでに話した。

 

 

傑師兄について。

傑師兄は自分より半年ほど早く文龍先生の元で武術を習い始めた。年は5,6年離れているはずなので、40代前半だと思われる。

文龍先生は今まで多くの学生に教えてきたが、拝師弟子となったのは、師兄が初めてであったので、門下における開門弟子ということになる。

※文龍先生に拝していなくとも、10年20年と教えを受けている学生も多いため傑師兄が師兄と呼ぶ学生はまだほかにも存在している。

 

傑師兄は傅家拳以外に武術を習ったことがない。

(以前自己流で陳式太極拳をやっていたそうである)

 

自分が文龍先生に習い始めて2、3ヶ月ごろ、傑師兄が文龍先生に拝したという話を先生から聞いた。このころ、というか1回目の広州滞在時(2006.9~2011.12)では、先生は自分の仕事の時間帯を考慮してくださり、夜に自分に教えるための時間を設けていただいていたので、傑師兄とはほとんど面識がなかった。

夜の練習時間以外では、現在も残っている火、土曜日の午前中が先生の教える時間帯であり、たまにその練習に顔を出した際や、広州、香港などで行われる他門派主催イベントでの招待演武などで、一緒になる程度であった。

 

08年ごろ先生にさそわれて、市内の体育学校で柔道を専門に教えている胡潮師叔の柔道場にお邪魔したことがあった。自分は師叔の道場に顔を出したのはその1回だけで、引き続き文龍先生から教えてもらっていたが、傑師兄は07年ごろからすでに毎週1回は師叔の練習に参加するようになっていたはずだった。

 

中国武術は、一部の門派を除いて、最初の数年は武術に必要な基礎作りと、門派特有の身法、套路の習得に専念する。それは傅家拳も例外ではなく、一招一招の用法説明以外は同じような学び方をする。順番に習っていったのち、機械(武器)練習、推手、散手を行うようになる。

 

その頃になると、傅永輝公の編纂しなおした傅家拳が、実は三代目に至って投げ技(摔跤)主体の武術へ変貌していたことが明らかになってきた。今ははっきりと投げ技主体であると言える。文龍先生も打撃に対しての投げが大きなウエイトを占めている。

 

胡潮師叔も投げ技に特化していたので後に広東省の留学生に選ばれて東海大学へ留学したことで、柔道を専門にしたという経緯がある。

その流れで、傑師兄も師叔から柔道を習うようになったのだった。

 

ある時文龍先生と師母(先生の奥様)から、師兄が新しいものを自分から学ぼうとしなくなったという話を聞いた。師兄は門派が有する身法、套路の習得よりも、実用としての柔道(摔跤)を優先させたということだろう。傅家拳ではなく、師兄のやっていることは柔道そのものとなっていった。

 

今回2回目の広州で、練習に顔を出すようになってから、師兄の影響を大きく受けた現場を目撃することとなった。傅家拳の中に投げ技がある、のならよいが、師兄は柔道へのウエイトが大きくなっており、開門弟子である師兄が先頭に立って行う基本練習の半分は、柔道から取り入れたものへと変わっていた。

 

文龍先生は練習中は昔に比べて教えなくなっており、今いる弟子と学生は師兄による代理教授が目立つようになっていた。

 

師兄が現在教えられるのは(というか練習しているのは)、中国武術では初級長拳一路(伝統拳ではなく、競技套路が制定され始めた初期のもの)、両儀拳、陰陽八卦、龍形掌、形意拳(五行、八式)と、大小八極、兵器は飛龍剣だけである。

だから代理教授においてもこれら以外のものは教えられない。

 

にもかかわらず、同武館の傅家拳のラインナップが豊富なのは、その時間帯には文龍先生が教えることになるからだそうだ。

まさに師と弟子の運命共同体のようになったわけだ。

 

 

こうした流れを否定することはできない。

少なくとも師兄は武館開設を実行に移した点では尊敬できるので。

 

ただ、70近くなった文龍先生が、弟子の開いた武館のために、功力、虎、豹、七星、連環(燕青)などの体力的にかなりきついものを練習しているところを見ると心が痛む。

 

師兄には早く習い終わって先生を動かすことのないようにしてもらいたい。

 

改善点

・武館の中は裸足で練習しなくてはならない。これは北の中国武術の成り立ちや、門派を構成する身法、力の使い方などからするとよろしくない。素足で練習することではっきりしてくるものもあるのだが、初心者から素足にするのは疑問だ。

 

・畳やマットが汚すぎる。ものの10分ほどで足裏が真っ黒になった。柔道メインのようなところなので、教えるからには掃除から教えてもらいたい。

 

・教練となっている連中はすべて胡潮師叔の生徒である。つまり全員柔道選手だ。科目にあるテコンドーはどうするのか?柔道選手がテコンドーの道着を着て黒帯を締めているのだ。更に驚くのは、同武館は開設時から柔道とテコンドーの昇級昇段試験を行える場所に認定されている。何故認定されたのか謎だ。ヨガやブラジリアン柔術とかもクラスを開設するらしく、その際は外から人を雇うようなので、テコンドーもしっかり出来る人を雇ってもらいたい。

 

※中国ではこうしたことが珍しくない。三豊派の鐘雲龍道長の弟子で、胡瑋哲という道長がいる。今でこそ鐘道長の三豊会館の業務や教練を請け負う傑出した弟子であるが、前はテコンドーの道着を着て子供に教えていたこともある(動画が残っている)。三豊派では蹴り技をかなり重視するので、教えられないこともないのだろうが…。

 

・教え方が雑多過ぎて、系統だっていない。これがたぶん一番問題だ。

現在はお試し期間中だからなのかもしれないが、一つのクラスの中に武術と柔道とテコンドーの服を着た人間がごちゃ混ぜになって練習している。暫くすると胡師叔の集合がかかって柔道の講義を強制的に聞くことになる、といった具合だ。

土日に子供向けの体験コースを設けて生徒募集をしており、体験しに来た子供は多いようだが今までまだ一人も応募がないという…。

 

・そして最後に、何故か自分が同武館の教練ということで名前を使われていたこと。自身の練習で精一杯なのだが、教える経験を積ませようという?思いやりだろうか。平日は仕事の合間に自主練、土曜は王先生のもとで一日練習、日曜は家族との時間、という中でどれだけ協力できるか分からないが、まあできる限りは手伝おうと思う。

 

 

最後に、兄弟弟子同士、言いたいことははっきり言える間柄なので、これらのことが徐々に改善されれば良いと思っている。武館が長く続くことを祈る。

 

           

           息子体験入門

 

           

           

           

           帰りバスの乗り間違えで結構家から離れたところに降りてしまった。

           寺があったのでとりあえずポーズとらせる(笑)