易筋太極拳(中級太極拳)

発における基本練習で最初に体得すべきは束展(呑吐)と開合だ。

足掌(涌泉穴)から股関節(胯)へと力を繋げる前に、まず脊椎のうねりと開合だけでも力を打ち出すことができることを知らなくてはならない。

 

足と股関節を繋げるのは後からでも良い。

発ができない人のほとんどは大体上で緊張、停滞するからだ。

 

この時点ではまだ強い意念は必要としない。

 

傅家拳の太極拳は、初・中・高級とありいずれも81式からなるが、通常は初級しか習わない。

中級、高級は当門において最重要の功法といえる。

 

中級太極拳は別名「易筋太極拳」。その動作の多くは易筋経から取り入れられている。

「易」は変動、変換、脱胎換骨などの意味があり、「筋」は筋骨、筋膜を指し、「経」には指南、法典などの意がある。

つまり「易筋経」とは筋骨を換え、修練をとおして丹田気を全身の経絡に巡らせる内功法で、それを行うのが中級太極拳(易筋太極拳)というわけだ。

 

中級太極拳の中で行われる発の動作は非常に大きく、架式も低いので束展(呑吐)と開合を練るのに適しており、必要な筋力も鍛えられる。通常の太極拳で見られる攬雀尾、摟膝拗步、単鞭、手揮琵琶、白鶴亮翅、海底針、十字手、倒卷肱、雲手…など各種動作を行う際には、本来内部で行う動きを外側に大きく表現しているため、感覚的に動きを小さくしていくと初級太極拳にたどりつくことが分かってくる。初級からはより小さくすれば武式のような小架式にもできるが、それはまだ先の話。

 

 

旋腰太極拳(高級太極拳)

高級太極拳は別名旋腰太極拳と呼ばれている。

傅家拳の各種拳・機械は他派には無い(戦略上他派では見せない)大きな腰、股関節の旋転動作と、その動線の機能美が看板(問題でもあるが)だ。その中でも旋転動作が一番多いのが高級太極拳なので、「旋腰」と呼ばれている。

 

高級は2つの段階分けをする。まずは旋腰の名の通り、腰、股関節から発生した力をそのまま指先まで伝える練習を行う。中級の練習がある程度進んでいれば、上記の束展(呑吐)と開合による発は行えるようになっているはずだ。呑吐では上下の力を練る。これに腰の前後左右の力を加えていく。高級で発ができるようになれば、腰、股関節から脊椎、首へと抜けるルートが開く。走圏や五行拳などを通して足から腰、股関節までの力が伝えられるようになっていれば、ここで足から指先までの、発のルートが完成したことになる。

 

次に行うのが運気だ。同太極拳はYOUTUBEなどに勝龍師伯や美勤師伯、郭運平師伯などの動画がアップされていて(大分省略されたものだが)観ることができるが、表演するときは腕を振り回して早く動いている。これは前述した最初の段階で、次の手順では太極拳らしく意を用いてできる限りゆっくり動く。複雑な腰の動きと、連動する手の動きは、意念をより細かく導くためのものだ。中級は架式も低いので体力的にも難易度が高いが、高級は中~高架で練る代わりに、30分~60分近くに渡って力と意識を指先まで伝え続ける、気の遠くなるような作業を行う。

 

中級、高級を学び終えていれば、発(明)を行えるようになっているはずだ。

運気もかなり進んでいるので、距離を短くしていく作業は早く、暗への道が開けている。

 

総括

中級は筋を伸ばし、必要な筋「肉」を鍛え、呼吸を整えて内部で行う動作を外で大きく練習する。高級は腰、股関節の動きを中心に力と意識を身体の末節まで伝える練習を行う。走圏、站樁、各種基本功を合わせて行う。

 

習う順番は断然、中→高→初がいい。だが、中、高級が拝師後の教授になること、そもそも中、高級を打てるだけの基本的な体力があるかどうかの問題などもあるので、高齢の方や運動経験の無い初心者には厳しい。その辺りは実際に教える際に考えなくてはならないと思う。

 

教える際は中→高→初でいきたい。この流れである程度まで進むと、内家拳系の身体はかなり出来上がっている。仮に他門を習った場合、おそらく半分以下の時間で吸収できるはずだ。

 

 

 

おまけ

易筋経は少林寺において古くから練習されてきたので少林寺の発祥と思われている。

後魏、李明帝の太和年間(477~500)に、インドの達磨が中国に伝えたという。達磨は嵩山少林寺にて面壁九年修行し、後に同寺の僧が達磨の修行地を修繕した際に、鉄の箱が見つかり、その中に「洗髄」「易筋」の経典2冊を発見した。故に易筋経は達磨が創った、という伝説だ。

 

清代の学者である凌延堪は、易筋経が紫凝道人という天台の道士が達磨の名を借りて書いた道家の功法であると推測している。

 

易筋経の多くは導引、按摩、吐納など中国の伝統的な養生功夫などであり、多くは道家に関する術語で構成されている。易筋という言葉自体が道家の文献から出ている言葉だ。
 
「易筋」が登場するのは道家の文献が先で、宋代の張君房の道教書である「雲笈七簽.延陵君修真大略」には既に「易髄」、「易筋」という言葉を目にすることができ、更に早い時期では魏晋時代の道家が仙人となることを求める内容の小説「漢武帝内伝」にその根源となる言葉を散見できる。
同書の中には「一年易気、二年易血、三年易精、四年易脈、五年易髓、六年易骨、七年易筋、八年易發、九年易形」という、道家の気を練り長寿を求めるという思想が反映された記載が見られる。