田式陰陽八卦掌は尹式八卦掌の分派

董海川→尹福→門宝珍→解佩启→史俊杰→田回→田克延と続いている、間違いなく董海川から連なる八卦掌の系譜であるにもかかわらず、田氏が歴史を「創作」。明朝の頃にできた門派で、代々田氏が受け継いできたと公式ホームページに堂々と書いている。

しかし田氏の本籍地である天津唐估の村人は、田回の父親である田老苟は武術などまったくできない人だったと証言しているらしい。ちゃんと調査しなかったのか、無形文化財の申請を受けた北京の房山区が批准して田氏は無形文化財保持者になってしまう。

 

99年に雲南省の黄鑫という人が書いた論文「八卦掌知識」の中に、捏造について康戈武が86年に発表した論文「八卦掌源流之研究」を引用して文章を発表したがために、それを見て憤慨した田回の息子、田克延が父や家族を冒涜されたとして黄・康両氏だけでなく、あろうことか太師公(先生の先生の、そのまた先生)である解佩启も訴え裁判にまで発展した。

結果訴えは棄却されたらしいが、今でも国内外へ向けたDVD販売やサイト運営などを通し、内情を知らない外国人の弟子が数多く彼の元を訪れている。強気な道場経営は今後も変わらず続きそうだ。