中国武術を学ぶために2006年に広州にきて、11年末まで滞在していました。

 

一時帰国していましたが、16年4月に戻ってきました。住んでいるのは文徳路という古い街で、足掛け7年目に突入します。最初は1人で。家族ができて今は4人で広州生活です。

 

広州市越秀区にある文徳路は、書、水墨画、絵画やそれに関連した文房具、額縁、骨董品などを販売する店が500mほどの道に300店舗以上集中する文具街です。

一時帰国している間に、北側には南越王墓博物館という大型の博物館もでき、一本向こうの古い繁華街である北京路と合わせて観光地化が著しいものの、暮らしていたあたりはあまり変わっていません。

 

13番という珠江を越えて広州の南側へ向かうバスが出るターミナル(といってもバスが数台道路に停車しているだけなのでバス停のようなもの)があります。

 

そこから道路を挟んで向かい側にある涼茶のお店「黎雪珍」の2階、そこが自分の習っている武術、武当傅家拳の第三代伝人、傅文龍先生のご自宅です。

一階店舗の横には「広州武当拳会」の看板がかかっています。昔、先生はこのお茶屋さんのある場所に、お父上である第二代伝人、傅永輝公が開かれた武館(道場)にて教練をされていました。

 

今では珍しくもありませんが、当時は大きな鏡が四方に張り巡らされ、姿勢や動作を確認出来、筋トレ用の器具も揃える最先端の施設だったといいます。1953年~85年まで経営され、一時は毎月50人前後が習いに来ていたそうです。

 

のちにジムやフィットネスクラブが増えることで個人経営の武館は流行らなくなり、先生のお兄様である勝龍師伯(先生の兄弟子)が武館を閉める決定をされました。

 

93年に師公が逝去されると、最後までそばにいた文龍先生が住まわれることになりました。2010年頃までは住居とされていましたが、建物自体かなり傷んでいるため、現在は先生も近くのマンションに移られ、毎日1階の店を見に通う(土地は店に貸している)際に休憩所のような形で使われています。

 

ここに何度足を運んだか分かりません。

 

練習は文徳路を南に10分ほど歩くと見えてくる珠江沿いで行われ、江湾酒店というホテルの下の駐車場付近で練習するのが日課でした。

 

先生も今年68歳になられ、拝師した弟子は自分を含めて8人しかいません。現在では積極的に教えることはせず、火曜と週末に古い弟子を集めて練習して、終わると食事をしながら談笑する、という生活を送られています。

日本に帰っている間、先生が新たにとった学生は2人だけ(うち1人は後に拝師)。何人も訪ねてきたが、その度に断ってきたそうです。

 

自分の広州生活は、文徳路や北京路周辺を中心とした小さなエリアのことでした。活動範囲は日本にいたときよりも狭いかもしれません。

今では他派の研究が中心となっていて練習への参加も月1回程度ですが、時間を見つけては文龍先生の家にお邪魔し、ああでもないこうでもないと武術談義に花を咲かせています。

 

 

以前別のブログを書いていましたが、中国内ではVPNを使わないと開けないので、こちらで再開することにしました。昔書いた文章についても、修正を加えながら少しずつこちらに移動していこうと思っています。

 

さいごに、子供がいるにもかかわらず、一緒に中国へ戻って武術修行を続けることに何の愚痴もこぼさず付き合ってくれている妻へ感謝をしながら、ブログをはじめる挨拶といたします。