• 余裕派漱石は本当か❓
  • 腕白小僧の漱石
  • ペンネームは言い間違い⁉️

余裕派漱石は本当か❓

 時代の変わり目を迎えた日本に生まれ落ちた漱石が、どの様な世界観、歴史観を持ち、それは彼の小説にどの様に反映しているのかということを追っていくのが私のブログの趣旨であるが、その前に少しだけ夏目漱石の人物像に触れておきたいと思う。


夏目漱石といえばこの写真だろう。これは明治天皇崩御の年1912年に撮られたというから彼が45歳の時の写真である。いかにも文豪と呼ぶにふさわしい風貌である。この写真と文壇で「余裕派」と呼ばれたことなどから、漱石のイメージをクールで堅い学者風と思われている人も少なくあるまい。私自身も長くそういうイメージで漱石を見てきたように思う。


腕白小僧の漱石

 ところがこの写真を見ていただきたい。前列左から2番目が漱石である。これは彼が17歳ごろの写真だが、いかにも悪ガキという感じがしないだろうか?漱石が東京大学予備門に入学した頃、今でいえば高校生の生意気盛りである。


(「漱石と松山」中村英利子編著より転載)

 漱石の幼馴染の篠本二郎という人が「腕白時代の夏目君」という文章を残している。小学生の頃二人の間に座っていた同級生の女の子は数学がよくできる子で、馬鹿にされたことに腹を立て二人して両側から押し付けたところ大声で泣かれたため、あわてて逃げ帰り、その後10日間水の入った茶碗を両手に持って立たされたそうだ。


また二人して45歳年上のガキ大将を待ち伏せし、短刀で脅したうえ「夏目君」が両手でガキ大将の胸ぐらをつかんで板塀に押し付けたという武勇伝を紹介している。

 中学では英語が嫌いだった漱石は、成立学舎という予備校の様なところで英語を猛勉強して東京大学予備門に入学した。予備門というのは第一高等学校の前身で今の高校と大学の教養課程を合わせたようなものだ。


 漱石はこの予備門時代には随分と悪さをしたようだ、彼自身が「落第」の中で次のように書いている。

何とかかんとかして予備門へ入るには入ったが 、惰けておるのは甚だ好きで少しも勉強なんかしなかった 。(中略)試験の点ばかり取りたがっている様な連中は共に談ずるに足らずと観じて 、僕等は唯遊んでいるのをえらいことの如く思って怠けていたものである 。

(中略)

皆な悪戯ばかりしていたものでスト ーヴ攻などと云って 、教室の教師の傍にあるスト ーヴへ薪を一杯くべ 、スト ーブが真赤になると共に漢学の先生などの真面目な顔が熱いので矢張りスト ーヴの如く真赤になるのを見て 、クスクス笑って喜んで居た 。数学の先生がボ ールドに向って一生懸命説明していると 、後から白墨を以って其背中へ怪しげな字や絵を描いたり 、又授業の始まる前に悉く教室の窓を閉めて真暗な処に静まり返っていて 、入って来る先生を驚かしたり 、そんなことばかり嬉しがっていた 。

その結果漱石は落第した。そこから心を入れ替えて一生懸命真面目に勉強するようになったのである。

 

ペンネームは言い間違い⁉️

漱石というのはペンネームで、本名は夏目金之助という。ペンネーム漱石のいわれは次のような中国の故事に由来する。

「中国西晋(せいしん)の時代、孫楚(そんそ)は、隠遁しようと決心して、友人の王済(おうさい)に「山奥で石を枕にし川の流れで口をすすごう(枕石漱流)」と言うべきところを「石で口をすすぎ、流れを枕にしよう(漱石枕流)」と言ってしまった。それを指摘されると「流れを枕にするのは、汚れた話を聞いた耳を洗うためで、石で口をすすぐのは歯を磨くためだ」と言い張った。


つまり偏屈で強情っ張りということだ。石で口をすすいでいる姿を思い浮かべるとおかしくて仕方がない、漱石の性格を表している様だ。