今日は、山梨県身延町に訪問してきました。

 

歌手の橋幸夫さんがご一緒だったので、町長さん以下皆さんでお出迎えいただき、歓迎していただきました。(もちろん橋さんが)

ご存知の通り、橋さんといえば、「潮来の伊太郎」「子連れ狼」、吉永さんとのデュエット「いつでも夢を」などのヒットメーカーでしたが、今年、歌手を引退され、第二の人生として、京都芸術大学の書画コースに入学されて、現在は書と日本画に励まれています。

80歳になられてから、大学に入り、全く違う道を一から頑張られている姿は素晴らしいなと思いました。

 

午前中は、まずは、富士川町鰍沢の雨畑硯の雨宮弥太郎さんところに立ち寄り、素晴らしい硯作品を拝見しました。雨宮さんご自身は13代目だそうですが、先先代が、いわゆる硯の世界に芸術性という概念を持ち込み、アート性のある硯に精進されたそうです。それらを拝見しながら、その後、硯の削り方など実際に見学させていただきました。ノミのお尻の部分を自らの肩口に当てて体重をかけて掘るそうです。凄い力仕事で、これを一日中、淡々と石に向かって作業する姿は修行僧にも通じるものだと思いました。

途中、昼食会では、地元の皆様に囲まれて「おざら」といううどんの仲間をいただきました。橋さんもご挨拶ということで、立ち上がりご挨拶をされましたが、5.6分お話しされたかと思いますが、流石にタレントとは才能のことだというのがよくわかりました。話に人を引き込む力は、まさに橋ワールドでした。

 

その後、身延の西嶋和紙を訪れました。

僕自身は何度か訪れていますが、橋さんは初めてということで、紙漉きも体感させていただき、僕自身も貴重な体験になりました。

 

それにしても、紙漉き、やってみて何が1番大変かというと、

紙料を簾の上で揺すりながら目を揃えるところまでは、そんなに力がいらないのですが、(この辺は、紙料を舟から掬い上げる方法をとっているところは、この作業も大変なんだろうと思いますが。山十製紙さんでは、上から一気に紙料を流し込む方法を取っているので、そこにはあまり力がいらないような仕組みになっています。)

ところが、

簾を簾ゲタから外して、それを、前に漉いた紙の上に重ねていくときに、ゆっくりと簾を下ろしていくのです。これが、大変に腰や背中に来るのです。

手前の方は自分の態勢が垂直に近いのですが、ゆっくりと空気が入らないように慎重に下ろして行って、20センチ、30センチと、先へ行くと、当然体勢も、先に身体を伸ばしていきます。その際に身体は相当に前傾姿勢になっていきます。そのままジワリジワリと下ろしていくので、前傾姿勢を保ったまま、かなりの重さの簾を下ろしていく作業はすごく大変です。後ろに身体が前に倒れないように、手で掴むバーがあるのですが、それをしっかり握っていても、腕と腰がプルプルときます。

(ちなみに、動画では女性がその作業をやっているところが出ていますが、その時に男性(社長)が、簾を下ろす作業をサポートしてますが、これは、僕の漉いた紙に手で絵を描いたので、そこが凸凹にならないようにお手伝いしてるだけで普段はお一人での作業です。)

しっかりと下ろし終わった後に、紙料だけを残して簾を持ち上げ、また、簾ゲタにセットし直します。

な、なんと、それを1日600回も繰り返して作業するそうです。

15分に一度くらい、その作業から離れて、今度は昨日漉いた、紙の水を絞る作業をするそうですが、それも、かなり重いバーを幾度となく引き下します。

つまり、紙漉きの間に休憩する代わりに、さらに力仕事をする。それを、何クールか一日中繰り返すそうです。(もちろん正規の休憩時間はあるんだと思いますが。)

いや、これは、大変な重労働だと思いました。ずっと男性の仕事でしたが、実に60年ぶりに女性がやられているそうです。

身体で体感した和紙の重みでした。

 

その後、席画ということで、橋さんは、ご自身の歌の歌詞を紙に、そして、僕は牡丹を描きましたが、なかなか大変です。普段短時間で描く作業をしていないのでと、言い訳をしながらの5分間でした。その後、書家の宮村先生が、ささっと書くところはさすがという感じです。

 

今日は雨畑硯、西嶋和紙さんと、一日、良い体験をさせていただきました。

町長さんはじめ、山十製紙さん、ご自宅にお招きいただきましたIさん、他、地元の皆さんに大変お世話になりありがとうございました。ただのお供でしたが、良い一日をいただきました。橋さんご夫婦も大変お疲れ様だったと思いますが、ありがとうございました。