先日、新日春展のシンポジウムが開催されて、その中で、登壇者の1人、学生さんの方から、

「学生時代にやっておいた方が良いことはなんですか?」

という質問があって、その時に審査員の先生が、即座に「デッサン力」と、おっしゃってました。

 

僕もその通りだと思いましたが、今日知人のブログを読んでいたら、「デッサン力はあっても良いけど、必須条件ではない」と、書いてあって、うーん、両方正しい。と思いながら、それについて書くことにしましたが、その前に、僕なら、

美大生が学生時代にやっておいた方が良いのは、

1.デッサン力を身につけること

2.海外での活動と語学力を身につけること

3.デジタルツールを扱えること

その3つかなあ。と、その時思いました。

 

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その上で

「デッサン力は本当に必要か」

まず、「デッサン」って定義の仕方もいくつかあるのですが、

1、ドガ風に言えば、「デッサンとは見る眼である。」とか、

2、本紙に描く前の秀作の絵とか、

3、色を使った絵に対してモノクロで描かれた絵

とか、

 

でも、一般的に美大生とか、美大を出た絵描きやの方がイメージするのは、

4、3次元の世界(モチーフ)を2次元(紙の上)にあたかも3次元が存在するかのように表現する方法

と、いうイメージの人が多いと思います。大体、絵描きと言われる人たちの多くが、大学受験の折に石膏デッサンや静物デッサンを何十枚、何百枚と描かされるのですが、その中で、空間とか立体感とかしつこく指摘されるわけです。したがって、遠近法と陰影法がその1番重要な技術なので、デッサン力ってそれが描けることと思ってしまうのです。

 

でも、本来的に言えば、

「デッサン力とは、造形活動において全体を総合的に捉えて把握する力」

のことです。なので、造形活動という文言を外せば、すべての仕事や生活において、(食事を作るとか、学校に遅れないように行くとか。彼女にプレゼントを買うとか。)何にでも、共通に活かせる力のことで、それを、造形活動において勉強するのだからあった方が良いに決まっています。

「デッサンって、美術教育における共通言語であり、かつ、コミュニティーにおける共通言語なんですよね。」

 

美術を経済活動とだけ捉えると、デッサン力って、あまり意味がないんですが、大学にせよ、師弟関係にせよ、共通言語がないと良いとか悪いとか言えないし、共通のプラットフォームがなければ歴史や技術を習得できないし、だから、共通言語としてのデッサン力を必要とするのです。

先生「ここの形は、こうした方が良いんじゃないの」とか「ここの色は変えた方が良いんじゃないの」とか、というのは、デッサン力を基礎にして対話するわけです。それがなければ、「人それぞれ良いんじゃないの。」で話終わってしまいます。

 

ですが、これはあくまで共通のプラットフォームのもとに、コミュニケーションをしようということであって、コミュニティが変われば共通のプラットフォームは意味があまりなくなってしまいます。

たとえば、水墨画の人のデッサン力と、西洋油彩画の人のデッサン力はだいぶプラットフォームが違うので、話が合いにくいし、コミュニケーションも成立しずらいのです。絵画観というのはまた別ですが。

 

さらに言えば、絵が売れるか売れないかという、市場経済の観点から言えば、デッサンは直接意味がありません。あくまで、西洋画を見慣れている、現在のところの絵画観に則ったコミュニケーションのツールということです。

 

時代はコミュニティーを超えてグローバル化が進み、さらにグローバルな世界がどんどん進化してるので、旧来のデッサンが意味がなくなってきてます。

でも、みんな旧来のコミュニティーが恋しいんですよね。新しいプラットフォームなんて、最先端にいればいるほど孤独で苦しいものだから。

 

ということで、これからの若者が新しいプラットフォームを作っていくのであれば、遠近法とか陰影法とか全く必要ないのですが、あればあったで、過去から現在へと繋がる西洋画の価値観の延長線上で、みんなとおしゃべりしたり、褒めたり、貶したりできる共通の土壌として、欲しい人はあった方が良いのではないかと思います。

そんな鬱陶しいコミュニティーも歴史も関係ないという人は、どんどん先に進んだ方が良いかもしれません。

 

いまや、アートもNFTの時代です。

NFT化したデジタル資産と現物のアナログ資産とどっちが必要か問われて、50%の人がデジタルと答えたそうです。

NFT化した作品を焼却するパフォーマンスまで登場しているようです。

すでに時代はデッサンがどうこうと言ってる場合ではないようですね。

 

でも、やっぱりデッサン力がどうのこうの言ってる場所が恋しいし、同じ土壌の上に、語り合いながら、優れた先人たちと会話を通して、自分を成長させる。そんな共通のプラットフォームを持って、それを駆使できるというのは、それはそれで楽しいことなのです。

音楽におけるクラシックの世界をイメージしていただければ良いのですが、ショパンの「別れの歌」とか、ベートーベンの「悲愴ソナタ」とか、ピアノでバリバリ弾けたら良いなと思ったりするのですが、そういうのと、遠近法を用いて、油彩画を超リアリズムで描くというのも、基本は同じことなんですね。

 

やっぱり、デッサン力という共通言語を理解し、技術として持つことができれば、よりたくさんの人と対話ができて楽しい世界に浸れるのですね。

 

そんな感じかなあ。