おお、ことしも4分の1が終わり、いつの間にか桜も咲いています。Prof. K.です。

 

新しい人が入ってきて、自己紹介をしてもらう。よく聞くフレーズが「一生懸命頑張りま~す」である。はじめなので「まあ、がんばれよ~」とか適当にエールを贈っておく。

 

数か月たった後、ディスカッションの場で、予定どおり進捗していないことを指摘すると、「はい、頑張ります」という。この辺りから、私は徐々に面倒くさいオッサンになってくる。

「ということは、これまでは頑張っていなかったということですか?」

「いえ、もっと頑張る。ということです」

「ということは、これまでは、やっぱり手を抜いていたということね?」

「えっ、そんなつもりでは・・・・」

 

方向も定まらぬまま無目的にやたら作業をしても結果はついてこないし、能力も向上しない。トレーニングも仕事もベクトルである。例えば、同じ研究グループのA君が、昼間穴を一生懸命掘って、B君が夜中にそれを一生懸命埋める。二人とも自身に「やった感」を満載している。しかし、これでは永遠に何も進捗しない。

 

「やった感」ではなく「やり遂げた感」が重要だ。「やった感」を決めるのがたんなる努力量であるのに対し、「やり遂げた感」には目標を達成できたかどうかが加味される。まずは目標「なんのためにやるか」とゴール「どこまでやるか」の二つを明確にしよう。

 

ある大学院生が、やたらと実験作業ばかりを繰り返していた。上手くいかないので、毎日徹夜するようになった。しかし、研究の目的も、実験の原理も十分に理解できていないので、データらしきものはあるものの、信頼できるデータはひとつとして得られなかった。年度末に彼は私に、彼の実験時間を記録した表を見せて、自分はこんなにも努力をして、連日徹夜して頑張ったんだから、学位をくれ、という。彼が夜な夜なマスターベーションして溜めた液体が入った一升瓶を鼻先に突き付けられたような気がして私はとても不快だった。

 

ただ単に頑張って頑張って、頑張っただけ報われるのであれば、みんなもっと頑張るだろう。そして、もしそうであれば世の中はもっとマシで、皆さんはもっとハッピーだったと思う。頑張っても頑張っても、頑張るだけではどうしようもないことはたくさんある。それを実感できたときにあなたはすこし大人になる。

 


 

次週は、初登場「苔玉」さんです。乞うご期待!