『誰が為に鐘は鳴る』



たまに目にすることがある一文です。
意味はそのまんまで、「誰の為に鐘が鳴っているんだろう?」ってとこかな。



ここでの鐘とは、誰かが亡くなった時に鳴らす、いわば追悼の合図みたいなものらしいです。
日本でも葬儀で出棺する時にクラクションを鳴らすので、イメージとしてはそんな感じですかね。



東北で大地震・大津波があってから一週間以上が経ちました。



福島出身の友人がいて、状況を聞いたら実家と連絡が全く取れないと心配していました。



かなり経って連絡がとれ、家族全員無事が確認できたらしいですが、実家はほぼ全壊したそうです。



被災地の空撮映像を見たときは本当にゾッとしました。沿岸部に何も残ってなく、アップにした時に家の土台部分だけが残っていて、そこに家があったということだけが分かるような状況を流していました。



津波の恐ろしさは色々なもので見てきたはずですが、そのどれもを遥かに超える被害の状況。



何と言っていいか分からない、本当に言葉が出てこないほどの衝撃でした。



自分の実家は千葉の北西部で、揺れは強かったものの皆無事でした。



電話がなかなか繋がらなかったこともあり、無事が確認できた時は本当にホッとしました。



「生きていることの素晴らしさ」とか「今の生活がどれだけ恵まれた環境か」なんて、今までただ分かった気になっていただけだったと痛いほど実感しました。



被災地はとにかく物が無いと連日報道されています。生活するためではなく、生きていくための物が足りない。寒さを逃れるための毛布すら無い。そういった悲惨な状況が伝えられ続けています。



どれだけ自分が恵まれすぎているか。考えさせられるのと同時に痛感するのが、いかに自分が無力か。



物資や義援金を贈ることはできるかもしれない。でも正確に言うと、それだけしかできない。直接被災者に物資を届けられるわけでも、誰かの命を救えるわけでもない。



一人でも多くの方の無事と、少しでも早く復旧ができることを祈るぐらいしかありません。



冒頭の話に戻りますが、鐘の音は誰の為のものなのか。



個人的な勝手な解釈ですが、「誰かのため」ではなく、「すべての人に向けて」鳴っていると思っています。



「鐘」とは今回の震災に関わる報道全て。追悼の意、安否確認、応援メッセージなど、すべてをひっくるめたものだと考えてみます。



それは全ての人が受け止めなければならないこと。全ての人に関係すること。



影響がない西日本の人にも、同じ日本で起こっている悲劇を知り、今の環境について考え直すきっかけになるかもしれない。



もしも「影響がないところに住んでてラッキーだった。」とか「自分には関係ないことだ。」と考えている人がいるならば、その考えは改めなければいけない。明日には自分がそうなっているかもしれないのだから。



ずいぶん勝手な解釈ですが、そういった意味で鐘はすべての人に向けて鳴っていると思っています。



なんか全くまとまりのない文章で、結局何が言いたいのかよく分からない日記で大変申し訳ありませんが…



被災された方々には心よりお悔やみを、そして一刻も早い復旧を祈っています。とにかく皆で力を合わせて今出来る事をやれるだけやっていきましょう。



最後に、サンドイッチマンを応援しています。今回の震災で被災された中での活動に感動しました。もちろん東北魂に義援金を出しました。届くわけないメッセージですが、二人にとにかく頑張って欲しいです。