岡本太郎の記念館に行ってきた。
表参道を根津美術館の方へ歩いてゆく、
大通りをそれて、小道を一本入った住宅地の中にひっそりとそれはあった。
岡本氏の生前はアトリエ住居として使っていた青山の邸宅。
カフェや受付があり、作品に彩られはしていたが、彼の生活の香りを色濃く残していた。
●一体の人形
受付を通り過ぎ、館内を回る。
アトリエへ通じる通路へ入り込むと、岡本太郎を精巧に模した人形がこちらを凝視している。
ぼくはそれにハッとした。
彼がぼくを力強い目で見つめていた。
人形でありながらも、どこか懐かしい生気に満ちた眼差しは、
どんな生きた人間よりも力を放っていた。
人形ですらこれなのだ、
本人はどうだったのだろう。
形を模したものにはその力が宿るという。
だから人間は古代より神々を型どり、信仰してきた。
絵描きも、キャリアを重ねると、
インスタレーション、物体芸術に足を伸ばしていく者がいる。
岡本太郎はそんな芸術家だった。
形の中の美は、それを超越した根源的な力とつながるのだ。
ビジュアルアートというのは、枠組みに囲まれた平面の中に全てがある。
それは、手の届くようで手の届かぬ世界。
触れることの叶わぬ世界だ。
オブジェクトを作るというのは、その触れられぬ儚さを克服するための試みだ。
ぼくたちは、作ることによって生かされる。
それは儚い夢のようで、その実態を確かめるために、確かなオブジェクトにすがりたい。
一体の人形は、そんなことを教えてくれた。
●アトリエにふれて
アトリエは筆やキャンバスに溢れながらも、整然としたオーラを放っていた。
本人人形のような、凝縮された純然たるパワーではなく、引き込まれていくような静かな力。
墨が水に溶けていくのをじっと見つめているような感覚を覚える。
岡本太郎が制作に勤しんだ場所。
筆の一本一本は、擦り切れて、変色している。
しかしそれはまだ生きていた。
場所には力が宿る。
京都や高野山といった、古来からの伝統を残す場所へ行くと、そんな感覚が溢れてくる。
場所が生きているのを身体全身で感じるのだ。
ぼくがこのアトリエで感じたのも、そんな感覚だった。
モニュメント作品がいくつか置かれ、使いかけのキャンバスが棚にしまいこまれている。
ここで創造がまさに起こっている。
そんなことを感じる。
彼の信念として、
「創造とは自らのうちに新しいホリゾンを打ちたてることだ」
というものがある。
何かを具体的に作ることだけが創造ではない。
鑑賞もまた創造たりえるのだ。
何かを観て、自分の内的感覚に新たな1ページを加える。
すると、その瞬間から自分は作り変えられて、新しい存在となるのだ。
アトリエをこの目で見て、新しい内的感覚を呼び起こすということは、
ぼく自身の中に新しい水平線を見せてくれた。
アーティストというのは、繊細で、影響を受けやすい。
無意識に影響を与えられ、自分の表現は変化していく。
何かに触れるというのは、自分を作りかえることなのだ。