ー真実は皮膜の間にあるー
この言葉は美術家 篠田桃紅先生が執筆された
『103歳になってわかったこと』
の本に書かれていたもので、非常に心を打たれたので紹介いたします 。

‐真実は伝えられない‐
『真実は皮膜の間にある』
これは人情浄瑠璃、歌舞伎の作者、近松門左衛門の有名な言葉です。
実際には皮と膜との間には何もないのに、そこに真実があるとはどういうことなのか?と疑問に思った篠田さんに対し、映画監督であり従弟の篠田正浩さんが『言葉と言葉の間にあるという意味だろう』と話されたそうです。
言葉と言葉にある真実とは、言葉にしえないし、文字にもしえない。。。
きっと想像力を頼りにしなければ語れないものである、と近松門左衛門はそう言いたかったのでしょう。
例えば、悲しいと言う言葉を一つとっても、悲しい感情が主体であっても、そこには寂しさや辛さなどの他の感情が混ざっているかもしれません。
ここで、篠田さんは悲しい、と言葉にした時点で、他の多くの感情が失われてしまうのでは?
その失われてしまう感情の中にはまだ自覚していないモノもあるのでは?と自問されました。
考えれば考えるほどに伝えきれないもどかしさ、寂しさ。表現には限界があり、そして真実自体も本人すらはっきりとわからいない神秘的な、不思議な部分があります。
そこで、篠田先生は
『私たちは、目に見えたり、聞こえたりするものから、察する。真実は想像のなかにある。真実は感じる心にある。』と103歳になって分かったことの一つして紹介していました。
これを読んで様々なことが繋がりました。
職人の世界で、昔の師弟関係において、師匠は弟子には何も言葉では伝えようとしない、ただただその背中や姿を見せるだけ。 弟子はその様子をひたすら観察して、試行錯誤する、、、、
師匠がやっていることを言葉で説明したら、言葉では表せない多くのことを考える機会を失い、本人で解ることにはならない
言葉にしたら真実が伝わらないと解っていたんだと思います。
アートや芸術の世界もまさにそう。
言葉には表せないから絵や物で表現をするんだと思います。それが意識、無意識に関わらず。
職人の技にしろ絵やアートにしろ、その技術だけを教えて真似れる人は沢山いるはずです。絵が上手な人は沢山いますし、本物よりうまく書けるようになるかもしれません。しかし、評価はされないでしょう。
ただうまいだけでは良い作品にはならないのです。
ただ上手くかけた絵と良い絵とでは違います。
モノマネでいくら歌がうまくても歌手として大成出来ないのも似ているかもしれません。
言語で全てを教育され、常に答えを用意されている教育
それが悪いとは言いませんが、きっと気づかないまま行ってしまう人がごまんといるのでしょう。
だいぶ話がそれたかもしれませんが、真実は語れる物でもなく言葉に出した時点で真実ではなくなり、きっと一人一人の心の中にしかないんだと思います。
長くなりましたが、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
みさと接骨院
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