昭和天皇は戦前戦後を通じて、時代が変わっても常に変わらぬ「道義的な国家のあり方」を、身をもって国民に示してこられた。
それは昭和天皇実録の晩年の記述からも、はっきりとうかがうことができよう。
昭和52年8月、那須御用邸で行われた記者団との懇談で、76歳の昭和天皇は、俗に「人間宣言」と呼ばれることになった21年の年頭詔書について振り返られ、「詔書の第一の目的は冒頭の『五箇条の御誓文』であり、神格とかそういうことは二の問題であり、民主主義が輸入のものでなく明治天皇が採用し御誓文に記していることを示す必要があった」と述べられた。
また、85歳の誕生日を前に行われた会見では、戦前と戦後とで行動や考え方をお変えになったかとの質問を受け「大正天皇が仰せられた『順応の道を講ずべきの秋となり』という文言を遵奉して対処している」と述べられた。
戦争に敗れ、数々の理不尽を押し付けられ、政治や社会の諸制度を一時的に変更せざるを得なくても、日本の「道義」を見失ってはならないと、昭和天皇は仰せになっているのだ。
大日本帝国憲法の「統治権の総攬者」から日本国憲法の「象徴」へ、条文上の文言は変わった。
しかし、天皇の本質は不変であるとのお考えに立って、昭和天皇は行動しておられた。
来年は終戦70年。
この機会に、実録に示された昭和天皇のメッセージを正しく読み解き、日本を見つめ直す一助にしたい。