古典の授業は必要か? | リヒャルト・アドルフ・ワイズマンSS大佐のふてくされPlatz

リヒャルト・アドルフ・ワイズマンSS大佐のふてくされPlatz

吾輩が日々の出来事などを思うまま、気の向くままに、ふてくされた状態でタレ流すブログであります。

古市憲寿氏 古典は不要と主張する人にクギ「授業時間が有限だということを忘れがち」
2024年2月28日 15:49

 社会学者の古市憲寿氏(39)が28日にX(旧ツイッター)を更新。長年議論になっている古典の授業の必要性に言及した。

 古典や漢文について「何のために勉強するのか」と、その意義を疑問視する声がある一方「日本の文化を知るために必要」といった意見もある。


 古典の必要性については長年議論されているが古市氏は「『古典の授業が無駄』といった議論に反射的に反論するひとって、授業時間が有限だということを忘れがちだよね」と指摘。

 続けて「そりゃ時間が無限にあれば古典でも何でもすればいいけど、それはたとえば外国語よりも有益なのか」と英語などの授業と比較して、どの程度重要なのか、考える必要性を説いた。

 その上で「あと反論するひとたちが、どれだけの古典に関する教養を持っているかを知りたいところ」とつづっている。

東スポWEB

🖋️近頃学校🏫で「古典の授業は必要か?」という議論がありますが、吾輩も授業で古典を習いましたが当時吾輩は「古典を習って、社会に役に立つかな?」と疑問を感じましたが、今にして思えば古典は素晴らしき日本文化や自身の教養に役に立ち、雑談にも古典の一節を引用したりして相手に差を付けたり出来ますね。