ホテルニュージャパン火災から42年 | リヒャルト・アドルフ・ワイズマンSS大佐のふてくされPlatz

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吾輩が日々の出来事などを思うまま、気の向くままに、ふてくされた状態でタレ流すブログであります。

吉本興業が、所属タレントが東京で仕事をする際の宿泊施設にここを指定していた事があった。ところが桂三枝(現・六代桂文枝)が部屋の空調などで不満を漏らし、「追加料金は自腹を切るので別のホテルに泊まらせて下さい」と泣きついた事から、他のタレントも三枝に追随、結果吉本はここを宿泊施設の指定から事実上外した。火災が発生したのは、三枝が吉本に泣きついてからしばらく経ってからの事だったという。
ビートたけしによると、「北海道で仕事終えてからの帰りにニュージャパンに泊まろうと思ったけどお金がなかったから友達ンちに逝って金借りてきたんだ。でもあいつンち新宿でニュージャパンまでちょっと遠かったから近場のホテルに泊まっちゃったらあの惨事だったからねえ。危なかったな」との事。
ここの火災のまさに翌日、羽田空港に着陸しようとしていた日本航空のダグラスDC-8-61が羽田空港沖の東京湾に不時着水する事故が発生してしまう。その結果、東京消防庁(とマスコミ)は両方の対応に追われる事になる。
前述のとおり、東京有数のナイトクラブ・ニューラテンクォーターは隣接地にあり、1982年のニュージャパン火災以後も営業は行われていたが、1989年に閉店した。また、このクラブは1963年に力道山が刺され、その後死亡した場所でもある。

(ピクシブ百科事典より抜粋)


🔥本日はホテルニュージャパン火災から42年経ちますが、ビートたけしが火災から逃れて命拾いした話や、吉本興業所属のタレントが東京で仕事した時にホテルニュージャパンの悪い評判を聞いて別のホテルにしてくれ。と頼み込んだりして命拾いしたが、その翌日に日航機羽田沖墜落事故が発生してマスコミが右往左往した話もあったとか。