田村正和さん死去 | リヒャルト・アドルフ・ワイズマンSS大佐のふてくされPlatz

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刑事ドラマ「古畑任三郎」などで人気を博した俳優の田村正和さんが4月3日午後4時20分、心不全のため東京港区の病院で死去したことが18日、分かった。77歳。昭和の時代劇スター阪東妻三郎さんの三男として京都で生まれ、高校在学中に映画デビュー。「眠狂四郎」など時代劇に出演し、80年代以降は「うちの子にかぎって…」などのホームドラマ、「ニューヨーク恋物語」などのトレンディードラマに出演。94年から放送されたフジテレビ系連ドラ「古畑任三郎」ではコミカルな演技が好評で当たり役となった。

 眉間に人さし指をあてて「ん~古畑です~」と話すモノマネが流行した「古畑任三郎」など多くのドラマや映画で印象的な演技を見せてきた田村さん。晩年は心臓の手術をするなど仕事をセーブして生活していた。

 阪東妻三郎の三男として高校時代から注目され、60年に長兄・高廣の主演映画「旗本愚連隊」の撮影現場を見学した際にスカウトされ、同作で映画デビュー。学業と両立しながら61年には映画「永遠の人」で本格デビュー。63年の「花の生涯」から5年連続でNHK大河ドラマに出演するなど父親譲りの二枚目スターとして注目された。学生時代にはバスケットボールに熱中した。

 84年に優柔不断で頼りない小学校教師を演じた「うちの子にかぎって…」で三枚目に挑戦。これがターニングポイントとなり、「パパはニュースキャスター」など多くのコメディードラマに出演。トレンディードラマ全盛期の90年代からは「ニューヨーク恋物語」などに出演。同作は大規模なニューヨークロケを敢行するなど制作費が豊富なバブル期を象徴する作品で、井上陽水が歌う「リバーサイドホテル」も大ヒットした。

 「古畑任三郎」がスタートしたのは94年。当初、オファーを受けた際にはアクションを駆使しながら犯人を追う従来の刑事ドラマをイメージして出演を固辞したが、原作・脚本の三谷幸喜から謎解きをメインにした展開などを説明され、出演を決めた。ドラマの冒頭で犯人が明かされ、結論に至る捜査の過程を古畑がたどっていくのが見どころとなる画期的な刑事ドラマだった。

 2010年以降は仕事をセーブ。1年に1、2本のペースで時代劇「忠臣蔵」や松本清張原作の重厚な作品に出演した。13年にスポーツ報知の取材に「声がかすれて出ないんです。これ以上、滑舌が悪くなったらどうしようかとか考えます」。夢も見るそうで「一人でNGを出して、どんどん(撮影が)遅れていくんですよ。そしたら俳優さんが入ってくるの。『どうなってるんだよ』って。それで目が覚める。悪夢です。そういう怖さです」と胸の内を語っていた。

 また、16年に放送されたテレビ朝日のスペシャルドラマ「地方紙を買う女~作家・杉本隆治の推理~」で、かつて娘役を演じた広末涼子、水川あさみと共演。「長くやっていて良かった。2人の成長を感じたし、自分の後退も感じた。『辞め時を模索中の老俳優・田村』としましては、とてもうれしかったです」と話していた。

 ◆田村 正和(たむら・まさかず)1943年8月1日、京都市生まれ。高校在学中から映画に出演し、大学始業後に本格デビュー。代表作は時代劇「眠狂四郎」シリーズ(72年~)、ドラマ「うちの子にかぎって」(84年)、「パパはニュースキャスター」(87年)、「古畑任三郎」(94年)など。昭和の時代劇スター阪東妻三郎の三男。4人兄弟で長兄・高廣と弟・亮も俳優。次兄・俊磨さんは芸能活動をしていない。



05/18 20:47 スポーツ報知

📸田村正和さんの代表作といえば、吾輩は「古畑任三郎」で、よくものまねのネタにされました。
二枚目でありながら三枚目の役を演じたことに、田村正和さんの格好良さが増した様な気がしました。

吾輩としては是非とも、「スーパー刑事大戦」のゲーム化を実現して欲しいと思います。


R.I.P.