もうそろそろ大学に合格してから一年が経とうとしています。早いものですね。
合格した日のことは今でも覚えていて、それを忘れたくないので書き記しておこうと思います。
一発目の発表は龍谷大学でした。元々関関同立以下であれば進学しないという話だったので
あくまで試験慣れのために受験しました。もちろん過去問等も全くやっていません。
そんな状況の中受験したので、正直1番手応えがなかったです。
倍率も昨年より上がっているし、肝心の英語が全く頭に入ってこない。
国語は古文が全く読解できずにこれは落ちたなと思いました。
そんな中迎えた発表日はサイトで見れる前に合格したらポストに通知が投函されてるという
情報を聞いて、恐る恐る家のポストを見に行きました。
そしたらありました!
その時は人生で初めて手にした合格(定員割れ高校を除く)だったので嬉しかったし、
いくら手応えはないとは言え、それなりにやってきた自負はあったので
結果が出たんだっていう安堵感がありました。
次は関西学院大学。関学は全学部と個別で4学部受けたのですが
全学部の初日で英語を9割近く取り(自己採)、正直合格するだろうと思っていました。
しかし発表が出るまでは安心できずにいました。
UCAROで発表時間の前からずっと待機してひたすら更新。
そして時間になると同時に確認すると合格の文字が!
この時は嬉しかったというよりかはやっと大学生になれるんだという安心感がありました。
同志社の合否後に個別の経済が出たのですが、それは嬉しかったですね。
関学経済は何となくかっこいいなーって思ってたので。
そして本命の同志社大学。
同志社は正直手応えがあったのは1日だけでそれも難関学部の日で
受験者層のレベルを考えると自分が手応えあるならみんなもあるに違いないと思っていたので受かると思ってなかったです。
初日の全学経済はまさかの2点差補欠。
思ったより取れてるなーと思ったと同時に
後2点ってなんやねんって思いましたね笑
それを見た直後振られた彼女に会いに行かなきゃいけないのでそんな事を忘れて元カノの元に行ったのも覚えてます。
正直もう大学生になれるからええかって感じでした。
同志社は1日ごとに発表されるのでそれからはソシャゲのガチャを見る感覚で見てました。
翌日の個別経済は普通に落ちてたのでもう半ば諦めてもいました。(チャンスがあるなら経済と思ってたので)
そして政策学部発表の日。いつものようにガチャ感覚で
受験番号を打ち込み見ると合格の文字が!
何かの間違いなんじゃないかと思ったと同時に、自分が同志社に行けるって考えると自然と笑みが溢れました。
急いで家族や塾、友人に連絡しました。
そして合格画面を眺めながら、同志社の校歌を聴いて
余韻に浸りましたね笑
様々な人がこの報告を聞いて驚きつつも祝福してくれたことを覚えています。
そこから第一志望学部に合格するなど色々ありましたが
あー受かってるなーって感覚でしたね。もうこの政策学部の発表で
全部出し切ったみたいな。
強いていうなら合格発表の直前に振られなければもっと嬉しかったんだろうなと思います。
廃人状態だったのでこの瞬間だけ感情を取り戻していました。
人生において自分が成功したと言えるのはオンラインゲームで入賞したくらいで
それ以外に何もありませんでした。そんな中とんでもない低学力から
憧れていた大学に行けたというのは僕の中で一番の成功体験です。
今は新たな目標を探していますが、それを見つけた時はこの体験を糧にまた頑張ると思います。
今これから勉強しようとしている人や最中の人もいると思いますが、
こういう景色もあるのでぜひ自分が行きたいと思えるところを目指して頑張って欲しいです。
結果がどうであれそれは糧になると思います。