2.会社を辞めた私は社長に申し訳なく思っていました。しばらくの間時間をおいて考えたいと思いました。というのは聞こえはいいのですがその当時 パチンコがブームとなっていて特に[一発台]がすごく玉 一発が当たりの穴に飛び込むと1万円分ぐらいの玉が出るのです。昔パチンコをしていた人はお分かりでしょう。数字が揃うと玉が出る台も多数ありましたがそこから パッキーカード等でかなり様相が変わりパチンコは進歩していきました。パチンコの話ではないので本題に戻ります。2から3ヶ月ほど 多少貯蓄があったのでぶらぶらしていました。まあほとんどパチンコしていたんですが?そして 意を決して仕事を探すことにしました。手当たり次第に[アルバイトニュース]等の就職雑誌を購入し設計関係の仕事を探しました。設備設計事務所はあまりなく建築事務所等で又私は工事現場の方ですので設計は正直よく分かりませんでした。何の資格もとっていませんでしたし建築の一級建築士に当たる[管工事 一級][設備士]があり結構難しいです。現場では設計図をもとに 施工図を書くので製図には多少自信はありましたが設計には多少不安がありました。就職雑誌の中に年齢等かなりゆるい条件の設備設計事務所があり決心してそこに電話して面接に行きました。場所は新宿の雑居ビルの4階か5階だったと思います。古いビルであまり綺麗とは言えないビルでした。社長が面接し30分ほど話をし「じゃあ いつから来れる」と言われ 明日からでも大丈夫ということで入社が決まりました。あまりにも簡単に決まったので 信じられない気持ちと不安でいっぱいでした。その会社は派遣がほとんどで150人ぐらい社員はいるようですが派遣の人は滅多に事務所の方に来ないのでだいたい私の想像です。社長は某大手の派遣会社から独立し事務所を構えて設備と電気の設計事務所を始めたようです。社長はプラントが専門でした。プラントは何と言うか 建築設備は建物の付随的ですがプラントは反対に配管等がメインで建物はただの器かないということになります。ですから建築設備のように 施工図というものは存在しません。建築との取り合いがないからです。事務所には私を含めて 11人いたと思います。設備は5人(1人は女性のトレーサー)で電気は6人(女性のトレーサーと積算専門 の2人)だったと思います。設備の方は自分を含めて男性4人ですがはっきり言ってド素人でした。1人は20歳そこそこの若い人でもう一人は自分より1つ年下で派遣でプラント関係の会社に1年ぐらいいたそうでそれは図面を書くのも早く字は綺麗でさすがだと思ったものです。派遣先ではいかに早くきれいに書くのかお要求されるそうです。私にはできないと思いました。もう一人は私より10歳以上年上でしたが全然関係ない仕事をしていたので完全なド素人でした。設備設計事務所の下請け的な図面の清書と工事会社からの施工図等が主な仕事ですが中には社長のプラント関係の仕事で某大手企業の車の上に雪投げ機を取り付けるというよくわからない打ち合わせ及び図面を書くこともありました。電気の方は積算専門の人もおりそれなりに年齢で経験がある設計できる人もいたように思います。その内の一人が某設計事務所の公共建物の施工管理をしていました。その設計事務所が後に自分に大きく関わってくるのですが ここでは記しません。今まで工事だったのでほとんど作業着のためスーツをあまり持っていずネクタイ等もなく着替えに苦労した覚えがあります。反面スーツ姿に憧れていたと思います。そして半年ぐらい経つと事務所は移転することになりました。多分私の想像ですがその当時派遣でかなり儲けていたと思います。とても事務所の設備と電気の設計で設けているとは思えません。社長の趣味とまで言いませんが対面上事務所を構えその事務所を大きくする夢があったと思います。そしてこの頃からバブルが始まっていたような気がします。移転先は後楽園 でした。新築の10階建てぐらいで7階だったと思います。駅のそばですぐ近くにドーム球場がありなんと私が最初に入社した会社のすぐ近くで歩いて2〜3分のところに8階建ての本社の建物がありました。窓の外を覗くと歩いて駅に向かう先輩の姿を何度か見かけました。そして事務所の人数も増え 17〜18人になっていたと思います。バブルは始まり そして私が驚くような話が社長から言われます。

