
3.設計事務所に入って1年が過ぎバブルが始まってきていました。素人集団と思われた人たちがそれなりに仕事をして人も増えて私はそのリーダー的な立場になっていました。社長はその当時[来るものはこばまず]的なところがあり服装が乞食ともまでは言いませんがみすぼらしい人まで面接に来ていて後で社長に聞くと社長は「大丈夫 問題ない」と言いどこかの会社に派遣されたようで改めて景気がよく人がいないの実感しました。そんな時社長が「お前パスポート持ってるか」と聞かれ驚きました。今まで 海外など行ったことがなく当然「持ってません」と答えました。社長は「あー そうかじゃあ 取ってこい」と言われなぜですかと聞くと「イギリスに行ってこい」と言われ びっくりしました。私は 思わず 聞き返してしまいました「イギリスって外国のですか」何を言っているのだとこの人は と思ってしまいました。社長は続けて「当たり前だ外国のイギリスに決まってるだろう」と続けて「なべ(私のこと)をイギリスに生かしてやる」と言い少し変わったところのある人ですが 急にイギリスとは中国とか東南アジアならありそうな感じはあったのですが?それは某プラント系の会社(一部上揚)の仕事で新設の英国日産工場の仕事で派遣で7月の1ヶ月間だけの応援でいくとのことです。私は何の仕事で何のために行くのかもよくわからずものすごく不安で社長に何しに行くんですか私でいいのですかとしつこく聞きましたが「大丈夫」と言うばかりでしまいには行きたくないのかと言われ口ごもってしまいました。相手の会社に社長と一緒に行くと年配の課長か部長が対応してくれて社長は 知り合いみたいな感じで「いつも通りに」とか色々話していて1週間後の飛行機の搭乗券を渡されました。それも ビジネスクラスでトラベルチケットももらったと思います。後で聞いたのですが 飛行機代金は100万ほど往復でしたようです。相手の人は「無理を言ってすまないね」と低姿勢でイギリスにうちの社員が3人いるからよく聞いてお願いしますと言われ何をするのかもわからず「あーそうですか」と答えるしかありませんでした。入国審査の時は必ずビジネスではなく観光と言うようにしつこく言われました。ビジネスだと入国させてくれない可能性があり不法労働の関係だと思います。名刺も渡されました。その工場が建設されているのは ニューキャッスル というところで スコットランドの国境近くのところです。日本で言えば 北海道の稚内というところでしょう。私は海外のそれも イギリスということで パスポートはもちろん車の国際免許も取り携帯電話はその2年後ぐらい出始めたと思います。しかし翻訳機はあり日本語で話すと英語に変換して話してくれる機器を2台買いました。全然役に立ちませんでしたが。慌ただしく私は不安を抱えながら旅立ちました。イギリス内で国内線の乗り換えがあり現地にいる人の迎えはニューキャッスルの空港ですので ヒースロー空港から ニューキャッスル空港行きに乗り換えて行かなければなりません。日本で言えば東京着いてから稚内いきに乗り換えるようなものです。飛行機はアラスカ 経由でロンドン行きで何時間かかったのかよく分かりませんが24時間以上乗っていたと思います。アラスカ 空港に着陸しそこで乗り換えるのですが アラスカ空港で着陸のため低飛行する時下に樹氷と言うか氷の塊があたり一面に広がっていてそれはすごい景色で人生で一番感動したと思います。アラスカで2から3時間待たされて出発したと思います。ビジネスクラスなので ファーストクラスまでは行きませんがそれなりに広く料理も美味しかったと思います。エコノミーの方を覗いてみると狭い席に座っていてビジネスとの違いに驚いた覚えがあります。ヒースロー空港に着き入国審査の時言われた通り観光と言いましたが話が通じず困まっているとたまたま近くに日本人の英語ができる人がおり助けてくれて大変助かりました。その人は ニューキャッスルへの乗り換え方法まで教えてくれてかなり離れたところにある空港への行き方も教えてくれました。その人がいなかったらたどり着けなかったと思います。なんとかニューキャッスル 行きに乗ることができました。その飛行機は全員外国人で隣の人が何か話しかけてきましたがよくわからず推測で何しに来たのかと聞いているようなので日産工場の仕事で来たとつたない英語で話したように思います。相手はああそうかというように 納得したような記憶があります。機内では飲み物としてビールが出て私は酒はあまり強くなくすぐ顔に出るので遠慮したかったのですが隣の人が進めるのでお昼の時間なのにと思いながら飲んだと思います。1時間ほどで目的の空港に着き向かいの人が来ていて無事に会うことができました。その人は 40代半ばぐらいで私はその時35歳でした。もう35年になるのですね!この年になると感慨深いものがあります。その人は優しく「よく来たね迷わなかったかい」と迎えてくれました。そして車で日産工場の方に向かい 敷地内にある事務所に私を案内してくれました。そこには営業の人が一人ともう一人の工事の人と迎えに来た人と3人いました。仕事は車のボディの塗装ラインを受け持っていました。10社以上の業者が入っていてそのうちの1つが私が派遣された会社です。塗装ラインは2つあり噴射とどぶ漬けだったと思います。私はどぶ漬けの方で迎えに来てくれた人の部下ということになります。工事は英国の業者に丸投げでほとんど完成しており私は何もすることはほとんどありませんでした。定期的に1日に3回ほど制御盤の計測をするぐらいだったと思います。実情は日産に対するポーズ として 一生懸命力を入れてやっていますとのことだったと思います。そのためすぐに日産の人に自分を紹介して挨拶をさせられました。他の2人は自分と同じぐらいの歳で営業の人は家族もこちらの方に住んでいてかなり長くこちらに住んでいると言っていて後の二人は 1年以上家を借りて住んでいるようです。噴射担当の彼は最後の調整でピストル型の噴射機をいくつも動かしてペンキだらけになって夜遅くまで作業していました。ドブ漬けの方はボディ本体をペンキの入った大きな浴槽形の中に入れて塗装するのですが全て自動的に行われます。その調整もほとんど終わっており何も作業することがなく非常に申し訳なく思いました。宿泊のホテルは海沿いの3階建ての小さなホテルでした。宿泊代金は トラベルチケットで払ったのですが値段は忘れてしまいました。そんな 高くなかったと思います。何しろバブルの始まりで円高で今では信じられない 1ドルが80円 ちょっとぐらいですから推して知るべしです。朝食はよく覚えていないのですがパンと軽い軽食 だったと思います。夕食はよく覚えています。パンとほとんど 肉料理と野菜で海沿いなのに魚類はほとんど出なかったと思います。その後のデザートがすごいのです。何種類ものケーキ類が ワゴンで運ばれてきて必ず選んで取り食べなければなりません。その大きさと量の多さに辟易してしまいました。無理して食べた覚えがあります。料理は美味しかったと思います。昼はほとんどと言うか毎日 ハンバーガーでした。そしてみんなビールを飲むのですが私は強くはないのですがそれなりには飲むのですが顔にすぐ出てしまいます。みんなビールは水と一緒という感じで他の3人は平気で私は昼を過ぎても顔が赤く困ってしまいました。ホテルのベッドメイクの人にチップを置くように言われていたので5ポンド 置いていたような気がします。日本円でその当時 500円ぐらいだったと思います。週に1から2回夜の食事に迎えに来てくれた今の上司は連れて行ってくれました。日本食はないのですが中華は1軒ありそこには2回ほど行きましたがほとんどレストランです。そこには入り口が2つあります。服装 及び職業によって入る場所が違ってくるのです。ですから自分らは作業着なので帰って服装を備えてから行くことになります。さすがに紳士の国だと思いました。夜は10時過ぎまで明るく11時頃に暗くなる感じです。夏なのに涼しく寒い くらいでした。車の国際免許を取りましたが 全く運転することはありませんでした。ホテルまで上司が迎えに来てくれ 帰りも送ってくれました。道路は ロータリーが多いような気がしました。あっという間に1ヶ月が経ち予定通りに帰ることになりました。何か役に立ったのか申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが営業の人以外あと1か月ぐらいで帰るということなので安心して帰ることにしました。他の業者で帰る人が2人いるということでその人たちと一緒に帰ることになりました。ロンドンに一泊して観光して帰るということで決まりました。今度は逆回りでヨーロッパの上空を飛んで中国上空を通り乗り換えなしで帰ったと思います。16時間ほどだったと思います。無事帰ってこれてほっとしたのを覚えています。



だらだらと書いてしまって 予定より進まず 次回 最終回の予定ですが どうなるか分かりません。もう 皆さん お分かりでしょうが 一応題目なので言っておきます[さて ここはどこでしょう]今日もちょっと話題になっていますよね!最終回に続く予定です。