病院で対応してくれた看護師さんによると夜7時までは普通に過ごしていて、夜8時に紙おむつの介助に来たら心臓が止まっていたとの事。
看護師に言われて下記の事が脳裏に浮かびました。
母は父と結語する前、愛知県の岡崎市に住んでいました。
岡崎市と言っても歩いて10分ほどすれば隣の西尾市なので端のほうです。
母か高校生の時に数人と近所のおばあさんと話をしていて「夕食食べたら又来るね」と1時間程度して同じように夕食を済ませた数人とおばあさんのところに行ったらおばあさんは亡くなっていたというのを母から40年以上前に聞かされていました
その時のおばあさんのように穏やかに召されたんだなと思いました。
母は33年前に銭湯で倒れて搬送され翌日にそこから別の病院に移送し再検査の結果、8時間におよぶくも膜下出血の手術をしました。
手術後、1週間ほど集中治療室に入ってから一般病棟に移りリハビリを。
本来なら半年以上はリハビリを病院で行うのを担当医が驚くほどの回復力で3ヶ月で退院しました。
18年前、少し風邪気味でかかりつけ医に行き念のためレントゲンを撮ったら肺が真っ白で肺炎と言われてくも膜下出血の手術をした大学病院に紹介状を書いて病院に母は父と行ったら満床で大学病院と提携している大学病院近くの病院に手配をしてそのまま入院。
入院中に検査したら肺炎から結核を患っていたので、面会に来ていた父と共に専門病院に搬送入院。
専門病院は東京西部にある市に位置していて、面会に行くのに電車乗り継いで1時間半かかりました。
1ヶ月半ほど専門病院で療養して元の病院に戻って肺炎の治療を半月して退院しました。
5年前の暮にかかりつけ医の紹介で年明けに心臓が悪くなっているから心臓系に強い病院に予約入院という形で、かかりつけ医が救急車の手配をしてくれました。
七草に入院しました。
心臓系が強い病院ではWPW症候群と検査の結果、場合によっては危ないかもしれませんと言われ約5ヶ月近く入院。
(最後の1ヶ月ほどは別の病院に転院)
その後は心臓系の強い病院に定期的に通院。
WPW症候群で入院以降は寝たきりではありませんが鼻に酸素チューブをしての生活となり、週3回(うち1回はリハビリ体操)訪問看護の方に来てもらっていた他に自分が自宅に泊まり朝晩、母の面倒をみていました。
車椅子を使っての通院でした。
昨年10月に自宅で転倒して左肩と左大腿部を骨折し、搬送された病院で翌日に4時間の手術をしてボルトを骨折部分に入れました。
3週間後にそこの病院から転院。
母は大病を繰り返してきたのですが、年齢的なものから体力もだいぶ落ちていて担当医から今度面会の時に家族に話をしましょうと段取りを組んでいた矢先だったそうです。
「またすぐ来るからね」
と言って面会を4月27日にしたばかりでしたから驚きました。
父が亡くなって約11ヶ月で享年88歳でした。
火葬後に母の遺骨と一緒に手術した箇所のボルトが出てきたのですが、かなり大きなボルトでした。
今日、頼んだ位牌を受け取りに行きます。
母の兄弟姉妹は健在で愛知県に住んでいます。
備忘録なのでもっと手短にと考えていたのですが、長文になった点お許しください。
最後になりましたが、お休み中の温かい言葉ありがとうございます。