母親が今年に入って体調が悪くなり、今月中旬頃から入院しています。
結構危ない状態でずっとしんどそうにしていますが、
それでもなお、母親というのは、子供に何か伝えよう
何かを与えよう、心配したりしています。
言葉の奥にある、深い深い愛情を感じるし、
母は、生きる事を通して、私たちにたくさんのことを与えてくれている
かけがえのない存在です。
そして、母なりに、色々自分の人生を振り返ったり、
自分の兄弟や、色々な人に思いを伝えたり、生きようとしているのがすごく伝わってきます。
ふと思い出しました。
アドラーの弟子のフランクルという人がこんな風に言っています。
私達が『生きる意味があるか』と問うのは、はじめから誤っているのです。
私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し、私たちに問いを提起しているからです。
私たちは問われている存在なのです。
私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、
『人生の問い』に答えなければならない、
答えをださなければならない存在なのです。
生きる意味は、私が愛をたくさん母親に与えてもらったからだと私は思っています。
その愛をより多くの人に私は与えていける人になりたいなあと思います。
世の中多くの人が、自分は愛されてないんじゃないか、
自分に自信がない。
こんな自分じゃだめだと、愛されて生まれてきているのに
多くの誤解をして、自分を責めたり、人を責めたりして
ひどいと自殺してしまう人も本当に増えてますよね。
母は本当に今、自分の人生について、生きることについて
考えてるんだと思います。
私もそんな母をみていて、自分がどう生きるのか、
考える機会をいただいてるなと思います。
そして、そたくさんの愛情をくれている母に
私もたくさんの愛情を伝えていきたいと思います。