中々腑に落ちない、判らない…

それは各々の積み重ねた巡りや壁で、またそのタイミングもあって(それが仕方ないにしても〜) 、それ以前の問題として ここでも、あらゆる信頼関係の薄さはあらゆるリレーション-ネックになります

私には一般的な先生や師匠やメンターがありませんでしたから時間だけ掛かりました

ギリギリ間に合った
「カモ 知れない!所」の狭間に
今は在ります…

まだ間に合う

自分自身が 信頼出来た上に!
会って直接話の出来る 師匠/Master を探して持つことです

最短で導いて貰えますから…

例えば思い描いてみてください。斎藤ひとり さんや M氏、Y氏、一部の埋もれた覚醒者方も在ります

探し気が付き 認める、大きな価値が あります

どうしても無理なら
「一二三」や「カタカムナ」等の書籍もありますし、それらを何度も何度も、読むたびにその内側へと 意味が異なって取り入れ始める時があります

自分の中、メンターとしての存在に気が付くときです

「聖書」も同様で、改ざんや変更をされていたとしても、素晴らしい導きを与えてくれます。が、読む方 自身が "逆さま色眼鏡" で、単一の見方 読み方をしてしまう傾向にありますから、本当の心理には届き難い

「仏教の法典」も同じく、
それは初期の文字も書けない 意味も判らない よく分からない初心者的な方々、そのもの達から順を追って心理へといざなうものへの方法から、今も越えられていません

どちらも、温故知新は間違われた都合の解釈が多く、自分の意識知識を積み上げて読み解くまでにはタドリついていない状態にみえるともいえます。あれだけの書物を、本当に勿体ないですね。

迷ったとき

誰か、何か、ではなく
自分で観たものを 信じること…
大切にしています。