ママ友、と言う言葉が
あの頃、あったのかどうか
30年以上も昔
集団登校のエリアから発生した
長いお付き合いのシニア四人で
久しぶりのランチでした
一年に一度くらいは
集まってご飯しましょう、と
約束して
実行出来たり、出来なかったり┅
それぞれにそれなりに
修羅場を乗り越えて
アラカンになり
今ここでのんきに笑っている
脱サラでパン屋を開店し
5時起きで働いていたTさんは
夏でも必ず長袖を着ていた
ある時、
ふと袖をたくしあげた彼女の一の腕に
無数の小さなヤケド跡を見てしまい、
私は固まった
「ああ、これ?
パン焼きオーブンで
ヤケドするねん、ハハハ。」
私はひとことも返せず
黙っていた
この時、
どんな言葉を返せば良かったのか、
今でも正解がわからない
舅姑の
手術入院通院リハビリはもとより、
認知症から寝たきり介護まで
みんな担ってきた
義両親のいなかったKさんは
介護こそしなかったが
2歳の子供を亡くしている
斎場で
子供を収めた火葬扉が
閉まるのを見て以来、
エレベーターのドアが怖くて
何年もトラウマだった話は
今回初めて聞いた
そんなだから、
せっかくのイタリアンも
最初のサラダと
最後のパンナコッタだけ パシャ📸
後はすべて撮り忘れ
あんな事もこんな事も
過ぎてしまえば今は昔
笑える時が必ず訪れる❤️🎵
と信じたいですね