中編の最後で、“復讐”とか書いちゃって、
なんだかものすごく重苦しい感じなってきてしまいました。

でも、非常に子供っぽくて恥ずかしいのですが、
やっぱり私、“復讐”してたんだなーーと思うんです。

私に起こってきた山ほどの小さな小さな失敗の多くは、
実は目の病気によるものだったのかもしれない、と
気づいたその後…。

***

「私のせいじゃなかった」は、
その日から親に自分の正当性を主張する武器になりました。
そして、親の理不尽さを証明する証拠にもなりました。


どうして気づいてくれなかったのか。
どうしてもっと私の話を聞いてくれなかったのか。
どうして私を信じてくれなかったのか。
どうして私をわかってくれなかったのか。


たぶん本当は直接言いたかったんだと思うのですが、
当時の私には言えませんでした。


だから私の20代は、
そんな気持ちを行動で表現するような選択ばかりを
してきたのかもしれません。


こんなことを書くのは自分でも吐き気がしますが、
“一生治らない”と言われた遺伝の病気、
そんなところも親への復讐には好都合だったのかもとさえ思います。


結局のところ、私は長い間、
私が小さな失敗を繰り返す原因に気づいてくれなかったことを
“親の失敗”と決めつけて、許せずにいたんです。



「あなたのせいで、
私はいくら頑張っても幸せにはなれない」


あれから16年もたった、つい先日、
私の中のずっとずっとずーーーっと奥底に
こんな言葉が埋められていたことに気づいてしまいました。

容易には直視できない、恐ろしい言葉です。



だけど、もちろんずっと前からわかっています。

親だって、

自分の見ている景色と、子どもが見ている景色が
実は全然違うものだったなんて、
考えたこともなかったはずです。

もし私がその時の親の立場だったとしても、
きっと絶対に気づけなかったはずです。



だから、本当は誰も悪くない。

小さな私に起きた出来事も
一生悔やまなければいけないような“失敗”ではないし、
親が私の病気を見つけられなかったことも、
“失敗”なんかであるはずがない。


……

ここまで書いて、
涙が止まらなくなってしまいました。

子どもに復讐される親の気持ちを想像して。
私は何ということをしていたんだろう。



気づいて、これからどうしたらいいかは
まだわからないのですが、


それはまたゆっくりと考えていくとして。


とりあえず、
これからは、自分の“失敗”を許そうと思っています。
失敗するかもしれないことにもチャレンジしてみようと思います。

失敗しても、自分を許して、ほめる。


それができるようになったら、
たぶんもう人を責めなくてよくなるんじゃないか…

と思う…。


こわいけど。



おわりうさぎ


ヘビーな長文に
最後までお付き合いくださり、
ありがとうございました。


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