(8月22日、すみませんが少し修正しました)

2002年の夏。日韓ワールドカップがあった年。

私は27歳で会社員。
実家から電車で1時間半程度のところに、
一人暮らしをしていた。

母と私はまるで姉妹のようで、
1、2ヵ月に1回帰省しては、
私とほとんど同じ体型の母と、
洋服の話をしたり、食べ物の話をしたり、
あらゆることを相談事をしたり、
精神的にもお互いを頼っていて。

2人で、ハワイやシンガポールにも遊びにいく、
かなりの仲良し母娘だったとおもう。


私の妹は、医学部の4年生。
遠い大学だったので、実家を出ていて、
普段は勉強や部活が忙しく、なかなか帰省できないということもあって、
私が実家に帰ると両親は大喜び。


私は、いつか結婚して、子供を産んでも、
ずっと仕事は続けたいと思っていて、
母が「将来、赤ちゃんが生まれたら、
お母さんが毎日面倒みてあげるから大丈夫だよ」
なんて約束もしていて。
そんな未来を、何の疑いもなく思い描いていたんだけど…


その夏、母が、少し痩せていた。


「お風呂に入ると、お尻のホネが出ていて、椅子に当たるんだ…」という。
「胃の調子もあまりよくない…」と。

当時、母は
出版関係のパート仕事をしたり、
スポーツ教室にいったり、
趣味でお花を庭いっぱいに育て、絵を描いたり、
編み物や洋裁をしたり、
友達の家を行き来したり、ご飯を食べにいったり、
父と旅行にいったり…などなど、
公私ともに忙しい毎日。

私は、まさか病気だなんて思わず、
「やせてよかったじゃん! 前より若く見えるよ(笑)」なんて笑って。
母自身も、胃の調子も、ずっと昔から悪くなることが多かったので、
「夏バテかもね」と笑って…。


そして10月下旬ごろ。
母が、毎年恒例の人間ドッグを受けた。

そこで、「膵臓(すいぞう)に何かのう胞?がある」と言われたのだ。

要再検査…となり、
11月中旬ごろ、再検査となる。

胸騒ぎがしたけど、
きっと「問題ないです」と言われるだろうと、
半ば自分に言い聞かせるような気持ちで、ひたすら祈る。


父から、「11月●日に再検査の結果がわかるから、
お母さんに夕方くらいに電話してあげて。
直接聞いた方がいいだろうから」と言われた。


その日は、友人の結婚式の二次会。

パーティードレスを着て、
二次会会場近くの駅に早めに到着し、
近くの静かな場所を見つけ、「よしかけるぞ」と心に決めて、実家に電話をする。

―  確か今日結果だったよね。どうだった…?

…と聞くと、母は沈んだ声だった。

母「やっぱり膵臓に問題があるみたい。
 インスリンなんかを毎日打たなきゃいけなくなるかもしれない。
 食事も制限があるだろうから、もう一緒にご飯を食べに行ったりはできなくなりそう。ごめんね。」

え? そこまで? どういうこと? 嘘でしょ…? 
これからも普通に一緒に過ごしていくはずだったよね…
旅行だってレストランだって行きたかったのに…
といろいろなおもいが浮かんで面くらいながらも、急に背筋が凍るように怖くなった。

ー 命に別条はないんだよね?
 
テレビなどで聞きかじった「命に別条…」という言葉に、自分でも震えた。
なんだか怖くて怖くてたまらなくなってくる。

母 「うん、多分大丈夫だと思うけど…ちゃんと治療したりすれば…」

ーえ? ほんとに? ほんとに大丈夫なの?

なぜか、母に懇願するような気持ちになった。

母「そんなこと言われたって、お母さんだってわからないよ」


今後、詳しい検査を実家近くの大きな病院でするという。
それまでは詳しいことがわからないということで、
とりあえず電話は切ることに。


不安な気持ちで胸が苦しくなりながら、
かといってどうすることもできず。
これからの二次会というおめでたい席で、誰か友達に話すわけにもいかず…
普通の顔をして、二次会会場へ向かった。


この日から、徐々に、
母も私も家族も、精神的に追い詰められていく。
その静かなはじまりだったんだとおもう。