翼をください | 哭するタイプライター2017

哭するタイプライター2017

生と死。絶望と希望。光と闇。運命の悪戯に翻弄されながら、時にもがき苦しみ、それでも前に進まんとする者たちが織り成す物語を紡ぐ、ドラマティック・ノンフィクションコラム集ー

 

 

 

 

 

 

 

 

―ねえ、おばあちゃん、人間は死んだらどうなるの

 

―大きな翼が生えてきて、遠い国まで飛んでいって、

 

   そこでずっと幸せに暮らすんだよ

 

 

 

 

 

 

 

 

神田良子さん(仮名)が、

 

海外旅行の最中に行方がわからなくなったのは、

 

2012年のことである。当時23歳。

 

ニューヨークマンハッタンのセントラルパークで、

 

友人らしき若いアメリカ人女性と,

 

笑顔で並んでいる写真が載った葉書が送られてきて、

 

それ以降、ぷっつりと連絡が途絶えてしまった。

 

少しの間、呼び出し音がなっていた携帯電話も、

 

じきに繋がらなくなった。

 

良子さんの、知る限りの足跡をたどり、

 

各国の日本大使館に連絡し、

 

アドバイスを受けつつ手を尽くしたが、

 

ようとして良子さんの姿をつかむことはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

時を同じくして、

 

神田さんの祖母であるいく子さんに

 

認知症の症状が見られるようになった。

 

いく子さんは、ことのほか、孫の良子さんをかわいがり、

 

大学を卒業すると、

 

突然、一人で世界をまわりたいと言い出した良子さんを

 

「危ないからやめなさい」と、

 

涙ながらに引き止めたという。

 

良子さんも、小さい頃からのおばあちゃん子で、

 

失踪するまでに数回届いた葉書のなかには、

 

必ず育子さんに宛てたメッセージが添えられてあった。

 

アメリカからの最後の便りには、

 

あと半月ほどで帰国するという報告とともに、

 

こう記されてあった。

 

「おばあちゃんに早く会いたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連絡が途絶えた良子さんを、

 

いく子さんは無論、ひどく心配し、

 

眠れない日々が続いていたという。

 

時折、ふと姿が見えないと、

 

最寄りの駅の前に雨の中、たたずんでいることもあった。

 

良子さんが帰ってくるかもしれないからと、

 

数時間改札を見つめていたという。

 

そのような身心を圧迫するような日々が重なったことが、

 

精神状態に何らかの変化をもたらし、

 

認知症の症状を引き起こすひとつの要因に

 

なったのかどうかは定かではない。

 

ただ、いつしか、

 

あれほど心配していた孫の写真を見せても、

 

それを誰なのかを判別できないほどに、

 

症状は進んでしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

良子さんの足取りが途絶えてから、

 

2年ほど経ったある日。

 

良子さんの母、香さんが、

 

いつものように、

 

デイサービスの迎えが来たのを知り、

 

育子さんを部屋に呼びにいった。

 

郁子さんは毎日朝、

 

早くして病に倒れた夫の伸介さんの仏壇に

 

手をあわせるのが日課で、

 

その日も仏壇に向かう郁子さんの背中が、

 

ドアを開けると目に入り、

 

声をかけようとしたそのとき、

 

かおりさんは耳を疑うことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

育子さんは、仏壇に語りかけていた。

 

 

 

 

 

おとうさん、たのむから、はやくわたしを、

むかえにきてください、

そうしたらつばさがはえて、

そらをとんで、りょうこをむかえにいけるんです

たのむからはやくむかえにきてください

 

 

 

 

 

 

そう、

 

呪文のように何度も語りかかける郁子さんの表情は、

 

痴呆など感じさせないほどに必死な眼差しで、

 

まさに懇願というにふさわしいものだったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

孫のことを、今もなお忘れずにいた、

 

郁子さんの、小さいけれど優しい奇跡に、

 

香さんは声をかけることも忘れ、

 

キッチンの隅に座り込んで泣いたという。