男と女 その八 | ライター海江田の 『 シラフでは書けません。 』

男と女 その八

遠い昔にあったことが、唐突にあふれ出すことがある。

きっかけはいろいろだ。

匂いや音に刺激されたり、どこかで見たような風景を前に古ぼけた記憶がどうしようもなく湧き上がってくる。


先日、男四人連れでカフェに入り、ひとりがカプチーノを注文した。

カップの中にシナモンスティックを泳がせると、ふんわり甘い薫りが漂う。

そして、それはやってきた。


日比谷の喫茶店だった。

女のコと映画を観たあとのひと休み。

男はカプチーノをたのんだ。

いかにもふだんから飲み慣れてますという顔で。

しかし実際は気取ってみただけで、シナモンスティックとは初顔合わせだった。


なんだろう、この茶色い棒は。

男は正解を探した。

どう扱えばいいのか。

しばらく眺めてみたところで、名案は浮かばなかった。

とりあえず、かじった。

瞬間、これは違うと思った。

まずい。まずいにもほどがある。

が、いったんカリッとやった以上、引っ込みがつかない。

平静を装ってカリカリやって、半分以上腹の中におさめた。

ひと息ついて正面に目をやると、女のコは斜め上を見ていた。

いまとなっては、顔も思い出せない。

それを最後に二度と会わなかったはずだ。


家に帰ったら、その日あったことのなかで一番おもしろかったことや楽しかったことを話す。

それが男と女の不文律だ。

男は、夕食後のコーヒーをすすりながら、そんなばかばかしい話を女に聞かせた。


「それ、あたしだよ」

「えっ、ほんとに?」


まさかの展開だ。

二度と会えないと思っていた女が、目の前にいる。


「どう思った?」

「あ、食べちゃったって」

「びっくりした?」

「うん。バカだと思った」

「知っとったなら、言ってくれればいいやん。だいぶ無理した」

「言えないよ。そんなに打ち解けてなかったし」


男は女をまじまじと見つめた。


「よくそんなんで……俺やったら次はないわ。そんな奴、イヤやもん」

「そう思う」

「樹皮だよ、樹皮」

「ふつー食べないよね」


女は、いまさらながらあきれ返っている。

一方、男はまた違う方面に解釈を進めていた。


「そうか、おまえ、そんなにまで俺のことを」

「ん?」

「で、何年かあと、最終的に言ったわけだ。『結婚してくれなきゃ死ぬ』って」

「言ってないよ」

「あんときはまいった」

「ううん、言ってない」

「死ぬとか言われたら、困る。反則やろ」

「それ、誰にも言ってないよね」

「結婚について聞かれたときは、そう答えるようにしてる」

「ひどい。うそつきッ」

「それも間違ってたなら、ごめんね」





ライター海江田の 『 シラフでは書けません。 』-シナモンスティック